1980年代は多数のアイドルが芸能界デビューしました。
だが、その中にはなかなか売れなかった人も少なくありません。
1983年は、「不作の83年組」と呼ばれるほどアイドルの成功者が現れませんでした。
2年目の新人に与えられる「日本テレビ音楽祭」の金の鳩賞では、1984年(1983年度デビューが対象)は受賞者なしという結果に終わっています。
83年組からNHK紅白歌合戦に出場した人もいません。
正統派アイドルから、異色のアイドルまで…。
錚々たるメンバーだったのに、なぜ83年組は不作と呼ばれてしまったのでしょうか?
アイドル評論家の中森明夫さんが、次のように解説していました。
思い当たるのが、オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)の変容です。
花の中三トリオ(山口百恵、桜田淳子、森昌子)やピンク・レディーら、スーパーアイドルを世に送ったスタ誕は、1981年末に番組が様変わりしました。
審査員として長く番組を支えた阿久悠さん(故人)、都倉俊一さん、中村泰士さん(故人)らがいっせいに退陣するのです。
振り返れば、彼らこそがアイドル発掘の目利きでした。
彼らが最後の年に番組で見つけた原石こそが、ともに1982年にデビューを果たす小泉今日子さんと中森明菜さんです。
もし、目利きたちがスタ誕に残っていたら、もっと華々しく活躍する1983年組アイドルが誕生したかもしれません。
山口百恵さんや中森明菜さんを発掘した「スター誕生!」の審査員が1981年末に一斉に退陣したことも理由の一つのようです。
松田聖子さんのように、フリフリドレスを着た可愛いアイドルが求められたのは、1982年までだったように思いますね。
1984年はちょっとエッチで不良っぽい中山美穂さんが歌手デビューに先立ちテレビドラマ「毎度おさわがせします」(TBS)でデビューします。
そして1985年には、「夕焼けニャンニャン」(フジテレビ)のオーディション企画から派生したアイドル「おニャン子クラブ」が時代を席巻しました。
アイドルも多様性を求められる変革期にあった83年組が、谷間に埋もれてしまったのではないかと思います。
不作と呼ばれてしまった83年組アイドルが、魅力がなかったわけではないと思いますね。
タレントの松本明子さんが11月18日、自身のインスタグラムを更新し、同じ1983年にアイドルとしてデビューした森尾由美さん、大沢逸美さんらとの集合ショットを公開しました。
松本さんは「1983年デビュー『お神セブン』不作の83年組と呼ばれた私たち、自称「お神セブン」が、3年ぶりに全員で再会出来ました!会えない歳月が長かったね!純子おかえり~!」とつづり、一列に並んだ集合写真などをアップ。
「お土産交換して、食べて、お喋りして(話題は健康と日本の将来)、お祝いして、時間が足りなくて、またお茶して。35周年手作りライブもこの時期だったんだね!来年は40周年やん!みんな元気で歳を重ねて、会えて良かったね~!」と再会を喜んでいました。
「お神セブン」とは大沢逸美さん、森尾由美さん、小林千絵さん、徳丸純子さん、木元ゆうこさん、松本明子さん、桑田靖子さんの7人のことです。
また、森尾由美さんも同じ日に「不作の83年組お神セブン ひっさしぶりに7人揃いました!」とインスタグラムで再会を報告しました。
フォロワーからは「不作なんかじゃありませんっ!」「みんな懐かしい顔ぶれ」「皆さん全然変わらない」「世代違うけどオーラすごい」「皆さん、今でも綺麗」などの声が上がっていました。
松本明子さんはアイドルとしてデビューしたが、「オールナイトフジ」(フジテレビ、関東ローカル)で放送禁止用語を発言したことで干されてしまい、事務所の先輩の中山秀征さんが救いの手を差し伸べ、バラドルとして復活しました。
5月3日に放送された「X年後の関係者たち」(BS-TBS)では、松本明子さん、森尾由美さん、小林千絵さんが出演し、それぞれが「不作と感じた瞬間」として、松本明子さんは「堀越高校の芸能コースに通っていたのに皆勤で、卒業後の大学進学を勧められた」、森尾由美さんは「親衛隊がなかった」、小林千絵さんは「芸能人水泳大会で歌ってもワイプ画面、競技で勝っても白い目で見られる」と語っていました。
同じ1983年デビューのアイドルには他にも、歌手よりも女優としてブレークした伊藤麻衣子(いとうまい子)さん、富田靖子さん、写真集の貝殻ビキニが話題となった武田久美子さん、横浜銀蝿ファミリーのひとりの岩井小百合さん、ロボットと歌うのが話題となった河上幸恵さんも挙げられます。
河上幸恵さんは1981年に「スター誕生!」で第36代チャンピオンに輝き、上京。
中学校卒業を待ち、1983年、シングル「ブルーエトランゼ」で歌手デビューしました。
所属はホリプロで、当時の寮では大沢逸美さんが同期、井森美幸さんらが後輩だったそうで、高校は堀越高校に通いました。
大沢逸美さんは定時制高校(明治大学附属中野高校の定時制)に通っていたので、プライベートでもほとんど会うことはなかったそうです。
3曲目「DOKI♥️DOKI」、4曲目「ハートのねじ」(ライオン歯磨きのCMソング、本人もCMに出演)がロボットと歌う曲でした。
このロボットはホリプロが創立25周年を記念して製作したもので、「HP-25ツトム君」って名前が付いていました。
しかし、4年目の19歳で引退しました。
その後、故郷の神戸に戻り、結婚して1児の母になった河上さんは、これまでメディアへの出演はすべて断っていました。
かつて、河上さんにお世話になったという井森さんからのテレビ出演依頼もあったが、首をタテに振らず、手紙の返信にとどめていました。
その後、アルバイト的に司会者の仕事をするため、名前を登録していた事務所に、男性ファンから「コンサートに行けないまま引退された」とメールが届いたというそうです。
人前で歌うことの素晴らしさを改めて感じていたという本人は、ありがたさに感激しました。
「歌いたいかも」と一念発起し、2018年12月に、その男性ファンのために3曲のミニライブを開催しました。
それが2019年4月、ラジオ関西の番組出演から32年ぶりの芸能界復帰につながりました。
河上さんは神戸出身ということもあって、デビュー当初からラジオ関西では地元発のアイドルとしてイチオシ、同局の番組では彼女の歌を頻繁にオンエアしていました。
今でいう「パワープレイ」や「ヘビーローテーション」のはしりともいえます。
彼女は「スター誕生!」でチャンピオンになっただけに、実力はあったけど、ヒット曲に恵まれませんでした。
地元の局のラジオ関西の番組で復帰したのは、デビュー当時にプッシュしてくれたことへの恩返しなのでしょう。
中山美穂さん、本田美奈子さん(故人)、南野陽子さんらを輩出した1985年デビューのアイドルにも消えた人がいます。
歌手でタレントの森口博子さんが11月16日放送の「あいつ今何してる?」2時間スペシャル(テレビ朝日)に出演、森口さんと同じ1985年にデビューした人気アイドルの現在に迫りました。
森口さんの「会いたい人」は、お互いに励まし合った同期アイドル「橋本美加子ちゃん」と名前を挙げました。
橋本さんは15歳の誕生日に「メロウ・シーズン」でデビューし、当時は早見優さんと同じ事務所でした。
「まつげちゃん」の愛称で親しまれ、数々の新人賞を獲得した逸材です。
堀越高校で同級生だったこともあり、森口さんは「めっちゃ仲良しで、ご飯も行ったり、カラオケとかも一緒に行っていて。めっちゃいい子」と振り返っていました。
現在は「連絡先とかもわからなくなって。お互い引っ越し、引っ越しで連絡もつかなくなった」と明かしました。
スタッフは橋本さんと連絡を取り、東京都江東区の東陽町駅近くで待ち合わせました。
橋本さんがVTRに登場すると森口さんはうれしそうな表情を見せました。
橋本さんはデビュー翌年から女優業にシフトして舞台やドラマを中心に活動してきたが、25歳の時に大きな決断をしました。
それは、海外の映画の話がなくなり「次、私、何したらいいんだろう?」と悩み抜いて出した結論は「そうだ!普通に働いてみたい」と芸能界から遠ざかりました。
その後はカフェバー、ケーキ屋さん、料亭の仲居さんなど数々の仕事を経験。
忙しい日々を送っていた橋本さんは、40歳過ぎに体に異変がありました。
「どんどん痩せてくる。で、みんなが会うたびにビックリする。“これはおかしい”と思って病院に」と診察の結果は「バセドー病」でした。
それでも通院しながら薬の服用を続けて6年ほどかけて症状が寛解しました。
また、47歳の時に「今度は子宮系の病気になりまして」と、仕事もできないような状態になったものの、無事に手術を終えて半年ほどかけて仕事復帰しました。
およそ4年前に今の職場「日本鉄塔工業」に転職し営業事務を担当しています。
現在は素敵なパートナーとともに暮らし、休日は趣味の釣りに没頭しており「今が一番幸せじゃないですかね」と振り返っていました。