2022年7月26日の早朝、まだ始発列車が走る前のJR京都線沿線で、多くの鉄道ファンがカメラを構えていました。
彼らのお目当ては、この日から京都鉄道博物館で展示されることになった、「オヤ31形」と呼ばれる車両の回送でした。
ちょうど日の出を迎えたころ、赤いDD51形ディーゼル機関車にけん引されて、回送列車が通過。
時間調整を行いながら、午前8時少し前に京都鉄道博物館に隣接した京都貨物駅に到着しました。
オヤ31形の展示スペースへの搬入は、京都鉄道博物館の開館時間内に行われました。
同館の「特別展示」では恒例の取り組みで、もはや企画の一部となっています。
そもそも、現役の営業車両を展示する鉄道博物館というのは全国的にも珍しいです。
営業線につながる線路と展示スペースを持つ、同館ならでは強みです。
午前11時過ぎ、今度はDE10形ディーゼル機関車に押される形で、オヤ31が大勢の来館者が待ち構える館内へゆっくりと入線。
所定の位置に据え付けられ、準備作業が終わると、さっそくファンが盛んにシャッターを切っていました。
7月30日(土)~8月4日(木)は車内公開を実施しました。
ところで、オヤ31はなぜ鉄道ファンから人気があるのでしょうか。
それを説明するには、この車両がどういうものなのかをまず説明する必要があります。
オヤ31は、「建築限界測定用試験車」と呼ばれる車両です。
例えば、駅のホームやトンネルなど、新たな鉄道施設を造る際には、当然ながら車両とぶつからない範囲に収まっていなければなりません。
その範囲の境目を「建築限界」といい、施設が建築限界を越えていないかを測定する試験車がオヤ31なのです。
オヤ31をよく見ると、車体の中央付近と片側の端に、トゲのような細い棒が何本も突き出ています。
これは「矢羽根」といって、その先端がちょうど建築限界と合致するようになっています。
もし鉄道施設が建築限界を越えて設置されていた場合、この矢羽根が接触して動き、車内に設置されたランプが点灯。
乗り込んだ係員がこのランプや矢羽根の挙動を確認・記録し、後で何らかの処置を講じることで、列車の安全運行を確保するのです。
ちなみに、矢羽根を広げた姿をカンザシを挿した花魁(おいらん)に例えて、オヤ31は「オイラン車」とも呼ばれます。
車内の壁や床は木張りで、作業用の机や椅子が配されています。
机の横には灰皿が、執務スペース中央には石炭ストーブがあり(いずれも現在は使用停止)、まさに昭和30年代の雰囲気が残っています。
車外に突き出た矢羽根は車内にもつながっていて、芸術的な幾何学模様を描いています。
オヤ31は1949~1961年に7両が旧形客車からの改造で製作され、1987年のJR発足時は5両がJR四国を除くJR旅客5社に継承されました。
12はJR東海、13はJR東日本、21はJR九州、31はJR西日本、32はJR北海道の所属となり、引き継がれなかった1と11は国鉄末期に廃車されました。
測定用腕木が1、11、12、13、21は3か所、31と32は2か所という違いがあります。
しかしながらその業務の特殊性から、このオヤ31が運行されることはめったにありません。
また、オヤ31を使った建築限界測定は多くの人手や準備を要するのに加え、近年は検測機器の発達や線路上を走れるトラックが普及したことから、これらを使った測定が主流となっています。
そのため、現在残るオヤ31は、このJR西日本所属のオヤ31 31のみです。
JR東日本では、1995年にオヤ31の後継として、オハフ50を改造したスヤ50が登場しました。
スヤ50はメタルハライドランプとCCDカメラで観測する非接触方式となり、検測時の最高速度向上と検測要員の削減が可能となりました。
スヤ50は2003年に近赤外線照射装置を搭載するなどの改造でマヤ50となりました。
21世紀に入ってからは、2004年に加古川線で、また2011年にJR琵琶湖線で、オヤ31を使った測定が行われたものの、ここ10年は出番がほとんどない状態です。
2019年にはおおさか東線が開業したものの、その際もオヤ31形の出番はありませんでした。
多くのファンが回送列車を撮影しに集まったのも、いわば当然の結果といえます。
ただし、車両のメンテナンスは定期的に続けられており、いつでも動ける状態が維持されています。