トリプルプレー | 女装男子かなこのブログ

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一度に2アウトを取るダブルプレーはよくありますが、一度に3アウトを取るトリプルプレー(三重殺)は、めったに見られません。


だが、今年はプロ野球で2度、そして夏の全国高校野球でもトリプルプレーがありました。


4月10日、西武―ソフトバンク(ベルーナドーム)、西武は5回表の守備で三重殺を完成させました。


ノーアウト一、二塁で甲斐拓也選手のゴロを処理した三塁手の山田遥楓選手がベースを踏み二塁走者を封殺、二塁手の外崎修汰選手、一塁手の呉念庭選手へと転送し、一塁走者と打者走者をアウトにしました。


4月27日、阪神―中日(甲子園)、4回ウラ阪神の攻撃、ノーアウト無死一、二塁、高山俊選手のライナーをつかんだ一塁手ビシエド選手が一塁ベースを踏み、飛び出した一塁走者の山本泰寛選手もアウトで2アウト。


この時、二塁走者の糸井嘉男選手がアウトカウントを勘違いしていたのか、飛び出したまま。


高山選手が二塁を指で指し、気付いた糸井選手が慌てて帰塁したが、ビシエド選手から二塁ベースカバーに入った遊撃手の京田陽太選手に送球されて3アウト目が宣告されました。


矢野燿大監督は二塁にスライディングした糸井選手の帰塁が先ではないかとリクエストしたが、リプレー検証でも判定は変わらず、三重殺となりました。


阪神が三重殺を食らうのは1999年(平11)5月27日の中日戦(富山市民)以来。


このときは1回表のノーアウト一、二塁から新庄剛志選手(現日本ハム監督)がサードゴロを打ち、三塁(ゴメス)-二塁(立浪)-一塁(山崎)と転送された三重殺でした。


さらに、8月18日の全国高校野球選手権大会準々決勝、下関国際高校(山口)-大阪桐蔭高校でも、下関国際が三重殺で大ピンチを切り抜けました。


4―3と大阪桐蔭がリードした7回裏、大阪桐蔭の攻撃、ノーアウト一、二塁。


カウント2ボール0ストライクから大阪桐蔭ベンチはバントエンドランを仕掛けてきました。


だが打者の田井志門選手(3年)のバントがフライになり、仲井慎投手(3年)がノーバウンドでつかみ、二塁、一塁と転送。


スタートしていた走者は戻れず全員アウトで、大阪桐蔭は追加点のチャンスが一瞬でスリーアウトチェンジ。


これで試合の流れが変わり、下関国際が9回に2点を奪い逆転、5―4で下関国際が勝ち、センバツで優勝した大阪桐蔭は春夏連覇を断たれました。


夏の大会での三重殺は2013年の愛工大名電高校(愛知)が聖光学院高校(福島)戦で成功して以来、9年ぶり9度目でした。

トリプルプレーで最も多いのはノーアウト一・二塁または満塁でサードゴロ、三塁手が捕って三塁ベースを踏んで1アウト、二塁に送球して二塁アウトで2アウト、一塁に送球してバッターランナーもアウトで3アウトというのです。

巨人の原辰徳監督は現役時代、守備で2度トリプルプレーを決めています。

ともに二塁・篠塚利夫選手と一塁・中畑清選手とのトリオで決めたもので、その一つは、バッターは広島の山本浩二選手でした。


「トリプルプレー」といえば、年に一度お目にかかれるかどうか…という珍しいプレーだが、ここで取り上げるのはその中でもさらに珍しいもの。


三重殺成立でスリーアウトチェンジ…と思いきや、実は“四重殺”だった、というまさかの大どんでん返し。


これが起こったのは、1962年7月12日の南海―東映(大阪)です。


0-0の1回裏、南海は先頭の広瀬叔功選手が四球を選んだあと、送りバントの野選とバント安打でノーアウト満塁のチャンス。


ここで4番・野村克也選手はサードゴロに倒れたが、本塁アウトを狙った西園寺昭夫選手の送球がワンバウンドになり、捕手・安藤順三選手が落球する間に、広瀬選手が先制のホームイン。


なおもノーアウト満塁で、次打者・ハドリ選手はライトフライ。


三塁走者・大沢啓二選手がタッチアップから本塁を突いた直後、毒島章一選手の本塁への送球を安藤選手が後逸。


これを見た二塁走者・ピート選手は「しめた!」とばかりに本塁を狙ったが、安藤選手の後方で待機していた久保田治投手が難なくボールをグラブに収めると、ピート選手を余裕でタッチアウト。


さらに、二塁を回っていた一塁走者の野村選手も挟殺プレーでアウトになり、あっという間にスリーアウトチェンジ。


この回、南海は2点を挙げて攻撃終了…と思われたが、直後に西園寺選手が「大沢の離塁が早かった」とアピール。


これが認められ大沢選手もアウトになり、結果的に“フォーアウト”になったことから、最後にアウトを宣告された大沢選手がスリーアウト目に繰り上がる、という現象が起こりました。


大量得点していてもおかしくなかったのに、まさかの“四重殺”によって南海の初回の攻撃は1点止まり。


このボーンヘッドがたたり、南海は2―3で敗れました。


試合後、南海の蔭山代理監督は「1回の三重殺が最後まで響いた。あれなら3点は取れるケースだった」とボヤきが止まりませんでした。


たった一人でトリプルプレーを完成させたのが、阪急の住友平選手です。


1967年7月30日の東京戦(東京)ダブルヘッダー第1試合。


1点を追う東京は2回、先頭の前田益穂選手がセカンドゴロ失策で出塁したあと、篠原良昭選手が四球を選び、ノーアウト一・二塁のチャンス。


次打者・大塚弥寿男選手は送りバント失敗のあと、カウント2ボール2ストライクからエンドランを試みました。


打球は二塁正面へのハーフライナーとなりました。


セカンドを守っていた住友選手は、これをダイレクトキャッチしてまず1アウト。


直後、すばやく二塁ベースを踏んで、飛び出していた前田選手をアウトにして2アウトを取ると、さらにスタートを切っていた一塁走者・篠原選手にもタッチして3アウト。


なんと誰にもトスすることなく、たった一人で三重殺を完成させました。


一打同点のチャンスが、一瞬にしてスリーアウトチェンジに…。


東京ベンチは何が起こったのかわからず、呆然とするばかりでした。


ちなみに、この打球を処理した住友選手と、“一人三重殺打”を放った大塚選手は、奇しくも1961年の夏の甲子園優勝校・浪商高校で同期のチームメートでした。


トリプルプレーが成立したにもかかわらず、1点が入ってしまうという珍事が起きたのが、2015年3月8日のオープン戦・西武-オリックス(わかさスタジアム)です。


初回に4番・中村剛也選手の中越え2ランで先制した西武は、2回にも炭谷銀仁朗の適時打など、4安打を集中して4点を追加しました。


そして、問題のプレーは5回に起きました。


この回も西武は渡辺直人選手や炭谷選手の連続適時打などで10-0と大きくリードを広げ、なおもノーアウト満塁のチャンス。


次打者の栗山巧選手は二ゴロに倒れ、これがヘルマン選手から原拓也選手に転送されてまず1アウト。


さらに一塁走者・秋山翔吾選手も一・二塁間に挟まれ、セカンドカバーに入った安達了一選手がタッチして2アウト。


そこから、この挟殺プレーの間に二塁走者・金子侑司選手が本塁突入を試みるも、安達選手から送球を受けた伊藤光選手が好ブロックでタッチアウト。


あっという間にスリーアウトチェンジとなりました。


しかし、三塁走者・炭谷選手がすでに11点目のホームを踏んだ後だったので、トリプルプレーなのに得点が記録される珍事になりました。


「あれはしょうがない。(オープン戦ではあっても)シーズン入ったらないよ」と、結果的に暴走となった拙攻に苦笑いの田辺徳雄監督だったが、「三重殺なのに得点」の珍事も、前出の大沢選手のアピールアウトで幻と消えているので、こちらも「シーズン入ったらないよ」です。


逆転サヨナラのチャンスが一転、トリプルプレーで3アウトで試合終了となったのが2001年5月12日の中日-巨人戦(ナゴヤドーム)。


9回裏、中日は1点を返してなおノーアウト満塁。


1―3のスコアだから、勢いからすれば中日のサヨナラ勝ちも十分考えられました。


打席の代打・井上一樹選手は巨人・條辺剛投手の投球にやや詰まり、センター浅めの飛球。


と言っても、中堅手が弱肩なら犠飛になるくらいの飛距離はあります。


これが中日側の判断を狂わせました。


巨人・松井秀喜選手はこの打球を直接捕球して、中継に入った仁志敏久選手に低く速い送球。


1点はあきらめ、二塁ランナーの大西崇之選手の三塁への進塁を阻止しようという守りでした。


「タッチアップは完全にやられたと思った。だからカットマンに素早く返球したら、ああなった」と松井選手。


「ああなった」とはこういうことです。


仁志選手が送球を受けて三塁方向を見たら三塁ランナーの鈴木郁洋選手は、なぜか突っ込む様子がありません。


仁志選手は「ついている」と思って大西選手に目をやると、ふらふらと二塁を離れています。


すかさず追い込んでタッチアウト。


すると、何を思ったのか、今度は鈴木選手がふらふらと三塁を離塁。


仁志選手はボールを持ったまま、鈴木選手をホーム方向に十分追い込んでから捕手・阿部慎之助選手に送球。


阿部選手がタッチして、三重殺完成。


三重殺で試合が終了したのは、5年ぶりの珍事でした。


「ホームか三塁にいるか判断がつかずチョロチョロしていた」と鈴木選手。


試合の中には、エアポケットのように、おかしな動きをしてしまうこともあるが、これはプロ失格と言われても仕方がない大チョンボでした。