永六輔さん死去 | 女装男子かなこのブログ

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永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが亡くなりました。

83歳でした。

東京・浅草出身の永さんは10代の頃のNHKラジオへの投稿がきっかけで放送作家の道へ進みました。

ラジオや草創期のテレビ番組に携わり、1961~66年まで放送された「夢であいましょう」(NHK)などの人気番組の脚本を書くかたわら、自身も番組に出演し、独特の早口なしゃべりで人気者になりました。


作詞家としても活動し、中村八大さん(故人)が作曲し、水原弘さん(故人)が歌った「黒い花びら」が1959年に第1回日本レコード大賞を受賞しました。

以後も中村さんやいずみたくさんとのコンビで「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「女ひとり」などの国民的ヒット曲を生み出しました。

清酒菊正宗のCMソングも永さんの作詞です。

「上を向いて歩こう」は「スキヤキ」のタイトルで全米シングルチャートでも1位となり、スターダストレビューや4PMなど内外の多くの歌手がカバーしました。

「見上げてごらん夜の星を」は平井堅さんがカバーし、NHK紅白歌合戦で平井さんが歌うバックでオリジナル歌手の坂本九さん(故人)の映像が流れました。

「こんにちは赤ちゃん」は当初、中村八大さんの第1子誕生を祝い、父親の気持ちを歌った歌詞でしたが、「夢であいましょう」で女性の梓みちよさんが歌うことになったので、母親の気持ちを歌った歌詞に変えました。

梓さんはこの「こんにちは赤ちゃん」で1963年、初めてのNHK紅白歌合戦出場を果たしました。

テレビでも大活躍し、「遠くへ行きたい」(日テレ)では主題歌の作詞とともにリポーターとしても出演しました。

「徹子の部屋」(テレビ朝日)では最多出演記録を持っています。

「テレビファソラシド」(NHK)で当時無名だったタモリさんを司会に起用、タモリさんはこれで司会者としての境地を開き、後の「笑っていいとも!」(フジテレビ)の司会につながりました。

これを最後に永さんはテレビから遠ざかっていきましたが、そのきっかけは「アフタヌーンショー」(テレビ朝日)出演時、桂小金治さん(故人)とのケンカだといわれます。

80年代以降はラジオが活動の中心となり、最近まで生番組の司会をしていました。


合掌。