2回目は父と母の最近の事を書きました。
今日は、私の両親や私の中の闇について話せる友人や義理弟嫁に話してるうちに気づいた事や、気づかされた事を書こうと思います。
暗い内容なので、興味ない方は、スルーしてくださいね

前回、父の手術の説明の時にフラッシュバックしたのは、母による誘導でなったのではないか?
もちろん、母は無意識で、単に私を心配しての声かけや、子ども病院に入院してた話をしたんだと思います。
しかし、よくよく考えると、子ども病院の話や、何回も何回も「あんた、大丈夫か?外に出とき」て言われなかったら、フラッシュバックになってないかも





父に対する怒りや、不平不満は山ほどあり、しかも、今は、父に対しては、冷静に対処できます。
ある意味、私の中で、捨てているから

「この人はこんな人、自分の好き勝手に生きてきて、自分の事しか考えられない人だから、振り回されるのは、アホらしい」と、客観的に見れます。
母を見ようとすると、
なんと

母の姿が見えなかった





私自身、「えっっ



」てなりました






えっ
なんで
どういう事



そこから徐々に母との記憶を辿っていくと、
母も、一歩引いて私に接してたのかもしれない。
多分、私をやけどさせた自責の念と、両親は男と女だったので、何回も流産してやっとできた最初の娘に、女として育つ私に嫉妬してたのかも(母自身も無意識で気づいていない)
未成年の頃の記憶は、父が理不尽だと思っても、母は私にフォローしてくれる事が全くなく、常に無言で、行動も無かった。
就職(だけでは無く諸々)に関しては、両親共に私を支配した。
就職先でセクハラで辞めたいと、勇気を出して両親に言ったが、父に「辞めたらあかん」と叱られた。
(昔は一生同じ仕事で生きていくのが世間体だった)
母は同じ女でありながら、何も言わなかった。
家族旅行に行っても、夜に夫婦二人で「散歩に行ってくる」と、まだ幼い私たち3姉妹を残して、なかなか帰らず、私はずっと不安だった。
家族旅行だけでなく、両親が日帰りで田舎に帰るときも、三姉妹で留守番できると判断されたのか(多分小学低学年位)、
「ちょっと用事があって、田舎に泊まって帰るから」
と電話があり、(父か母かのどちらが電話してきたのかの記憶がない)
そのあと、田舎のおじさんから「もう、お父さんらは帰ったか?」と電話があったので、
もう、この頃には、男女の事の想像はついてたので、
私は「なんか、車が故障して遅くなるらしい」と、嘘をつき、両親をかばった

あと、今思うと、まだまだ小さかった頃に、モーテル(今でいうラブホ)に家族で泊まり、両親とは別の部屋だった記憶がある。
車で直に平家の畳の狭い部屋に入れた。
私たちが寝静まると、両親は居なくなってた。
暗くて知らない部屋に子供だけ。
ただただ、怖くて不安だった。
「両親が男女」という内容は、書ける範囲がこのくらいですかね…



そういえば、小さい時によく見ていた夢が、知らない街中で、母が私を置いて、どこかへ行ってしまう夢。
「お母さん、行かんといて‼️私も連れて行って‼️」て泣き叫ぶ夢。
起きたら涙が出てるし、寝言で泣き叫んでる声で、自分で目覚める。
こんな小さな時から、不安だらけだったのかな、私…。
母は、私(やっとできた最初の子)を女としてみており、父と私は親子だが、私に嫉妬していたのだな

もちろん、母の無意識下で、母は未だに気付いていない。
そう考えると、今までの事が全て、合点がいく。
それを着て、実家に行くと、
父に「これ、お母さんが若い時に着てた着物やで
」と私が言うと、父はすごい喜んで「ほ〜
」と言う。



しかし母は毎回、不機嫌な表情をして、着付けのアラを指摘し、「そうやったかいな〜
」と言う。


私なら、娘が私が大切にしてた着物(しかも自分の手縫い)を着て、見せに来たら、
「うわっ
似合ってるな
かわいい
」て、喜ぶで





実際、正月に娘に私の着物着せた時に、その姿に見違えた娘をみて、嬉しかったもんね

もう、この時点で、母は父に対する女目線、「母VS私」になってるんだと気づいた。
そしたら、今まで母に良かれと思って提案した事とか、その他諸々を、ことごとく否定されていた事を思い出した



「やっぱ、ええわ」「しんどいわ」「もういいわ」とかばっかり。
単に歳取ったからではなく、ずっと以前からだったな

その時の私は「
」と軽く感じながらも、

「うん、わかった」で済ませてた。
だから、なんか、スッキリしなかったんだね…
私自身が…
本当はずっと「









」











こんなだったのに、今まで気付かなかったんだ

それが解ったら、私の中で
「ええっ⁉️」
となり、、、
「はあっ⁉️」
となり、、、
もう、自分自身が崩壊しそうになり、
母に対する憎しみと、拒否感が半端なく、、、
で、ブログが書けなくなりました







しかも、両親が男女で私が体験した事は、性的虐待だと知り、更にショック

そして、現代報道されている虐待は、虐待ではなく犯罪であり、「虐待」というのは昔と今では全く違う、
という事を知りました。
私、虐待されてたんですね



まさかの事実が、しばらく受け止めてきれませんでした



自分で気づいてない人が多いらしいが、
まさか、自分が
て…

両親が男女だったという事は、今回初めて友達と義理弟嫁に言いました。
「それはおかしいで」
「しかも、いくら昔で店が忙しいとはいえ、居間の掘りごたつに、生後3カ月の子供寝かさへんで。
(掘りごたつに顔から落ちて、生死を彷徨う大火傷を顔半分と片手に追いました。ケロイド状態です)
しかも、しょっちゅう子供だけにされとるやん。
家族旅行に行ってまで⁉️
えっ⁉️ラブホまで⁉️はぁっ⁉️⁉️」
私「……

え❓……う〜ん……、言われてみれば、私ならせえへんわな……



ええっ…ええ
…どうゆう事なんやろ…ええ
」



頭が混乱して思考停止

掘りごたつに寝かしたのは、泣いてもすぐあやせるし、まさか生後3か月の赤ん坊が動くと思って無かったと思います。
「えっ
普通じゃないの
」


て解った事多数

ちなみに、友達も義理弟嫁も、両親の虐待で、ずっと苦労してきています。
だから、私の話が理解してもらえる。
私の中の「母の闇」、いや、
ラスボスは母だった、、、
と気付いてから、もう完璧に母が無理になり、怒りが出てた。
小さな頃から、私の「怒りの感情」は、外に出した事はなく、内側→つまり自分に向けていたんだとわかった。
そう、自分を責めまくるという事。
自分で自分を虐待していたんだと気づいた





これに気付いてから、更にブログが全く書けなくなりました





今現在は落ち着いて、母に左右されないように、私が言いたいことだけ言って電話を切るとか、
淡々とメールして終わりにできるようになりました。
父の事もあり、介護認定の申請もしたいと私が言ったら、母が断りました

「お父さんが精神的に落ち着くまで待って」と。
やっぱな、断ると思ったわ

今までも、こうやって、ずっと断られた事に、私が気付かへんかっただけやったんや

この方程式が解ってから、ブログがやっと書けるようになりました。
今回の入院が、コロナの影響により面会できなくなり、父が退院するまで、会う事ができなかった母。
毎日電話してた父と、それを待つ母。
心配しすぎて、食欲がなくなり、めちゃくちゃ痩せた母。
私が子ども病院に入院してた時は、あんなボロボロになってなかった母
。

共依存の夫婦…
父は現在、口腔外科の癌の取り残しもなく、退院して、週一で妹❸の送迎で通院しています。
食事も半分になった唇で食べれるようになりました。
店も、母は閉めるつもりだったが、父が店を閉めたらボケるからと言い、昨日から開店してます。
お客さんは、ほぼ年配の常連さんだけですが…
口腔外科の術後が安定したら、次は大腸癌(まだ悪性か良性かも不明)にうつります。
今は介護認定申請する為に、母親とやりとりしてますが、まだ会うのはキツい

お陰で3キロ痩せました



この時点で、私の中の私をどうすればいいかわからなくなり、プロの手を借りる事を決めました。
カウンセリングを受ける事にしたのです。
PTSDトラウマ症候群から全ては始まってる、というのを知ったので、それに詳しいカウンセラーさんを見つけて、お願いしました。
腹立ったけど、
「主人が笑ってくれたから、深刻にならなくて良かったやん。
同じように、えっ⁉️てなり、深刻にされたら、もっと落ち込んで、メンタルガタ落ちやったから、助かったんちゃう?」
て義理弟嫁に言われて、「そっか〜」と思った。
主人の何にも考えない?性格らしさが、私には助かってるという事ですかね



ま、腹が立つ時もありますけどね

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました😊
次回は、両親を半面教師にして子育てしてたつもりだったのに、同じような事をしていた事に気づいたのを、書きたいと思います。
これは、すごいショックでした





【追記】
写真は四国の砥部焼の店のトイレの洗面台や床のタイルです。
白ご飯が大好きなので、食べすぎないように、小さな砥部焼のお茶碗を買いました
