「父と私の事❶」とは内容が違って、❷は、話が今現在(つい先日)の事を、書いています。
今の私の気持ちの整理の為に書いてます。
興味ない方は、スルーしてくださいね

⚠️あと、PTSDの事を書いてるので、それに反応してしまう方は、読まない方がいいと思います。
ちょうど父が入院した日から、コロナ感染予防の為、ナースステーションに着替えを預ける事しかできなくなり、面会禁止になった。
私達姉妹には有難い。
母に父が迷惑かける事ができないから。
母は、父のことが心配で気分的にも頭から抜けないようだ。
妹二人はフルで働いてるので、手術の日と翌日に休みを取ったので、母が急に手術の説明の日を言うから、
私と母で、手術の説明を聞きに行った。
しかも、「前日の夕方まで、手術の説明の時間や、手術時間がわからない。先生から電話がある」て母が言うから、バタバタだった。
母もパニックの為か、一過性健忘症?て思う程、すぐ忘れている

なので、母の言う事はあてにならない。
先生からの説明があるまで、外来の待合室で母と座って待ってる時に、
母が「お父さんの今回の手術も大変やと思うけど、あんたが小さい時に、こども病院に入院して、手術して、一人でこんな感じやったんやな、て、今更思って、可愛そうな事したな、辛かったな」て言われた。
多分、父が一人で全てを耐えねばならず、着替えさえままならない父の事を考えてたら、私がこども病院に入院してた頃を思い出し、それと重なったんだと思う。
私「そやな、寂しさと恐怖かな…。
ま、お父さんは、私がこども病院で入院した頃と今の事を思い出して、頑張る、という考えにはならんな
」

母「そうやで!ほんま、あんなんやからな〜…
」

先生からの説明前に、入院病棟のナースステーションに、着替えの交換を看護士さんに頼んだので、
まだまだ時間あるし、待合室で私が書いた手紙を父に渡してもらいました。
思い立ったらすぐやらないとダメな私。
後から「やらかしてしもた…」て思った

手紙の内容✉️(大体の)
「私は幼稚園から小学2年まで、1年に1回、1週間入院手術しました。
しかも、一人で頑張りました。
寂しく、辛く、痛くて、恐怖で。
でもお父さんから「弱音吐くな‼️泣いたらあかん、痛くても耐えろ‼️頑張らなあかん‼️」て言われていたので、一人で耐えました。
次は、お父さんが一人で、辛くても、寂しくても、痛くても、頑張る番です。
手術の日は、お母さんと妹❷が付き添います。
私と妹❸は、実家で応援するので、頑張ってください」
みたいな事書いた。
これ渡したのも、手術の説明会も、実は手術の前日です



後から、父には不味い(怒らせる)内容だったかな?と思ったけど、
私、父に小さい頃、頑張った事と、恐怖や孤独を解って欲しかったから、我慢出来ずに手紙で知らせる、
という手段に出たのだと思う。
と、同時に、無意識に「復讐」兼ねてたのかも



説明は、母と私だけが聞くのだと思ったら、父も一緒だった。
入院して5日間の間に、下唇の癌が更に大きくなってて、先生方はビックリしてた。
私もその時初めて父の唇見たけど、めちゃくちゃ酷かった。
よくまぁ、あんなになるまで自分で放置したな



口腔外科手術(下唇と顎半分切除)と、下唇再建手術(先生はまた別)を行う。
ほうれい線から頬の肉を唇にもってくるので、かなり切って縫う。
私も顔の火傷の手術のうちの1回は、顔半分火傷の部分を両端から挟んで隠して縫う、
という手術だったので、ほぼ同じ感じだな、と思った。
手術の同意書サインと説明文のコピーと一緒に、父の唇の写真6枚くらい?切る位置のペン書きもいりますか?て、先生に聞かれたから、
写真のは、かなりエグいので「写真はいりません」て持って帰らなかったら、
看護士の妹❷から
「アホやな
気持ち悪いから持って帰らんかった、という問題ちゃうで


術前と術後の比較、
医療ミスがあった場合の証拠になるから、
全部持って帰らなあかんねん

なんでもらって来ないんよ
」

て、めちゃくちゃ叱られました



「いや、私、素人やし、そんなん知らんし。
ほな、あんたが今度先生に言って、貰ったらいいやんか。
それに、医療ミス隠すような事するんやったら、今時、画像加工や編集技術なんか、凄いのに意味ないと思うけど」と、後からラインを送ってしまいました



妹❷も、父の性格、酒飲んだ時が瓜二つなんです



(それに、カメラが一眼レフ📸で、レンズ周りに、凄いライトを装着してありました。
すいません、カメラが趣味なんで、カメラめちゃくちゃ凄いな
て、見てました
)



この事を、妹❸に話したら
「そもそも医療ミスで裁判沙汰にする

お父さんの事やで。しかも、裁判費用誰が出すん

裁判長いのに、それに耐えれる精神力ある

はあっ


」




て言いました。
確かに‼️
そんな費用や労力、父に使わないわ

今後の参考として覚えておこう

しかも、私は朝に夕食の準備して出かけたんですが、
ハンバーグ作ってて、父の唇の癌と被ってしまい、帰りに菓子パン私の分だけ買いました

ハンバーグ食べてるみなさま、大変失礼しました



下唇のできもの(癌)が染みるから、最悪水で口の中を濯ぐように母が言っても、やらなかったらしい。
だから、上の歯の検査(どれだけ使える歯があるか)、癌の大きさ(6.5cm、下唇ほぼ全体だった)、
手術中に、バイ菌が入らないように、歯をきれいにしてもらっていた。(歯医者でするみたいに)
3本抜歯した方がいいと先生が言ったから、
退院したら絶対歯医者や病院には行かないのは解ってるんで、速攻「一緒に歯も抜いてください。」と言ってしまいました。
先生「これは、本人さんの許可貰わないとだめなんで。
○○さん、どうします?抜歯しますか?」
父、無言。
私「な、お父さん、いっぺんにやった方が楽やから、抜いてもらお」
先生「……いや、本人さんの許可が必要なんで…」
私、先生の言う事無視

先生、めっちゃ若くてイケメン。マスク越しでもわかる

父、無言。
これの繰り返し3回くらい。
やっと父無言でうなずく



数年前に、歯槽膿漏が酷くて歯医者に行き、歯石取るのが痛かったらしく、
「痛い‼️痛い‼️痛い‼️」と子どものように大声出し、その日限りで通うの辞めた結果、
総合病院で、全身麻酔にて歯石取りと抜歯、入れ歯作りになった過去アリ

しかも、今回の病院でも、1回検査(生研)したら痛かったから、母に「もう病院行かへんから、予約キャンセルしてくれ」と言ったらしい



これは、看護士の妹が説得した、しかも無理やり

こんな過去があるから、手術説明前の歯の検査や掃除は大丈夫なのか⁉️と見てたら、
多分、自分の癌の酷さ(大腸もあるから)と、80過ぎという年齢の為か、わめく元気が無かったのだろう。
ビクッと、手を上げただけで、頑張りました💯💮
(子ども以下


)




で、父と母は、めちゃくちゃ切って縫う事にショックを受けた模様。
私は、過去に自分がされてるから冷静。
しかし、
待合室で子ども病院の話した事、
母が途中で何度も私に
「大丈夫か?しんどかったら外でとき」と気遣う。
父が歯の診察台に座って、歯の掃除等してるのをみて、
私、フラッシュバックしてしまいました



私は、こども病院で手術中に、歯が抜けたかなんかで、術後落ち着いてから、こども病院の暗い歯科の診察台で抜歯して、しかもめちゃくちゃ痛くて、それ以来、歯医者が怖くなった過去があったのを、いきなり画像が現れた



待合室で待ってる時に、パニック障害の頓服飲んだけど、帰宅後は、疲れ果て、最悪状態に…
翌日の手術の日は、妹❸に車で迎えに来てもらい、実家にて待機。
妹❸と話しまくり、気も紛れ、元気に実家のワンコの散歩する。
が、翌日、身体が重いし、気分が落ち着かない。
ゲームでも紛れない。
ひたすら寝る。
昔の私は恐怖と孤独だったけど、
今現在の私は、
「安心できる場所にいて、家族も友達も、母も、理解してくれる人に囲まれてるから、
大丈夫なんだよ、今現在のわたしは、安心できる場所に居るんだよ」
と、言い聞かせて、少し楽になりました。
フラッシュバックしたのは、2回目です。
なのが、子どもで動いたら危ないから、私が入院した子ども病院で、全身麻酔で手術になった

長男は日帰り手術で、次男は1週間の入院。
私は3人目の妊娠後期だった。
私が入院手術してから、20年以上経つのに、総合待合室、待合室のタイル壁画、病室、手術に向かう時に入れられる乳母車?みたいなやつに、エレベーターで連れて行かれて、それを見送る親の光景が、全て同じで、
走馬灯のように、いきなり映像が流れて、涙がいきなりあふれ、嗚咽してしまった私。
きっと、他人から見たら、子供の手術を心配する母親に見えただろうが、実はフラッシュバックで私自身の過去に返り、泣いていたのだ。
母親として「我が子を想うより、昔の私を見て泣く、母親失格の私」と思ってしまった…
この頃の私は、まだ心を病んではおらず、元気で若かった。
あの頃のフラッシュバックよりは、今回は随分軽いフラッシュバックだった。
鬱とパニック障害で、余計に後からきたのかな?
父ですが、ま、私の手紙の効果は期待してないけど、
入院してすぐ、看護士が耳元で大きな声で話したら
「耳は聞こえる‼️
」


と、早速怒鳴り、
手術前後も父には会えないから、たまたま手術室行く途中で時間が合えばすれ違いに会える、との事で、
手術前会えたら、母が手術着に着替えさせに病室に来ると思ったようで(コロナで面会禁止だが、手術前だから来れると、父は思ってたらしい)、
上手く手術着が着れなくて、しかも看護士さんに車椅子押してもらってるけど、点滴吊り下げた棒?は自分で持たなければいけないが、それの動きが上手くいかずに、イライラ全開





文句言ったらしい

手術後も、たまたま終わって出てきた時に会えたらしく、少ない国民年金生活なのに、






今日から連休で、病院の外の警備員さんしか取り次げないらしく、妹❷と母と、個室の代金やら、ネットで調べる模様





口がおちょぼ口みたいになり、上手く喋るのも難しいだろうとの事。
退院したら、自分の意思が伝わりにくいのは、想像できるから、かなり母に当たり散らし、自分自身にイラつくのは目に見える







ああ〜……







色々大変です…
亡き姑を、いつも思い出す。
ほんとうに、賢い老人だった。
みんなに迷惑かけたくない、迷惑かけたら「ごめんな」て、感謝の気持ちがあったから、身内からも「お母さん、お母さん、」て慕われてたな

書かないと、私が持ちませんでした



最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました



父を反面教師にして、我が子には、迷惑かけたくないです。
ちなみに、文中の花の写真は、実家で母が咲かせたものです




