興味ない方はスルーしてくださいね

過去記事の「両親」の所から、父の事については読めますが、まずは父の事について書いてみようと思います。
今までの重複部分もあります。
いわゆる「毒父」に近いかな、と思う。
最近気づいた、わたしの中の感情。
それは、「父にわかって欲しかった」という事。
父は終戦近くに田舎で生まれ、5人兄弟で育ち、両親(私の祖父母)には多分構う余裕もなかった時代だったと思う。
祖父(父の父)は、私も怖くて緊張するような人で、お酒が入ると必ず父と言い合いの喧嘩をしていた。
私達姉妹も、まだ子供なのに、ゲンコツで叱られた。
確か、この時、父はいつも同席してなかった。
祖父と関わりたくなかったのだろう。
子供に祖父の相手させて、それが親孝行と言っていた

父や父の兄弟は、祖父そのままの性格だ。
祖母(父の母)は、すごく優しくて、私達孫や嫁には優しかった。
口減らしの為に、中卒で田舎から出て奉公するのが当たり前の時代。
父は床屋に住み込みで、理髪師になった。
師匠を「親方」と呼んでいた。
先輩達からいじめもあり、辛かったと言っていた。
「技を見て盗んで覚えろ」の時代。
母とは2歳違いで、見合い結婚。
とにかくお酒が入ると、自分の限度が解らず、酔ったら叫びながら
とか、グチグチ長電話する、家族に当たる、

祖母(母の母)が癌で入院し、母が泊まりがけで世話する為に、母がいない夜は、スナックのママと浮気して朝まで帰らず(私は中1)


私40代?その時初めて、父が何で朝帰りでどこに行って何してたのかを知り、呆れた



多々あり過ぎるので割愛



ブログに書けない事もあります…

私から見た両親は「男と女」だった。
その辺がブログに書けない理由。
これも気づいた事。
父が嫌いというか、嫌悪感があった。
今は無い。「無感情」?
これ、多分、母を祖母のお世話で盗られて、寂しかったのを、我慢出来なかった結果なんだな、と今ならわかる。
しかし、呆れる

国民年金をもらい始めてから、今までの不摂生で、高血圧、糖尿病、透析患者になり、
入院する事が増えた。
そしたら、痛さに弱い、病院から抜け出す、タバコや酒を入院中もやる

病院から苦情がくる
母に、甲斐甲斐しく世話させる。
まるで子供のよう。
父はおそらく、甘えたかったのに甘えられなかったから、自分の妻に甘え(母は父がすぐカッとなると、血圧が異常に上昇する為、いう通りにする)
自分に対しても、食べたり飲んだりも、抑制できなかったんだと思う。
食べ物のない時代や住み込み生活、自分への甘え、
それを満たした結果、今に至る

と、私は思った。
そしたら、父に対する怒りが💢段々無くなっていった。
先月末に、父は口腔癌と大腸癌である事が発覚。
透析施設のある病院に入院するのだが、緊急性がある為、かなりのスピードでPET、入院、手術が決まった。
今まで2回、おでこにタンコブみたいなのができて、それは皮膚癌で、今回も唇に出来物があり、
母が何回言っても病院の先生に言わなかった。
コロナでマスクしてるから、先生に唇をさらす事が無かったから、どんどん大きくなり、たまたまそれを見た妹が「それ、癌ちゃうん⁉️早よ病院行かな‼️」
(私達三姉妹も、コロナ感染させたらいけないから、実家に長い間行ってなかった)
で、渋々病院に行った。
父は悪運が強い



皮膚癌の時も、取ったら終わり。
定期検査にも行かなかったらしい。
透析してるから、癌の対処法が、放射線や抗がん剤が使えず、手術のみになる。
今回も、リンパや肺に転移してるかも、と言われたが、PETで大腸癌が見つかった。
これは転移ではないらしい。
大腸癌検査は、唇の癌の手術して、落ち着いたらやるそう。
下唇を癌ごと取り、父の太ももの肉を唇にする為、移植する。
父は今回は少し凹んでるらしい

これ読まれた方、大変ですね



笑い事ちゃうで

と思われると思いますが、
私にとっては、これでも父はタバコと酒はやめられず、
大層に痛がり、母にあれこれ世話させて、「もう死ぬ…」みたいな⁉️
あの姿を見たくない‼️
病院でじっとできるのか⁉️
迷惑患者になるよきっと(毎回認定される
)

母も今回は洗濯物取りにしか行かないと言ってるけど、どうだろ。
父の好きなように生きてきた結果が、これだから、自業自得というか、
何言っても聞かないし、
「わしの人生、わしが決める
」

て、散々ほざいたので、
私の中では、波風が立ってないです。
ただ、病院や身内や他人に迷惑かけないでもらいたい。
という気持ちです。
私自身、生後3か月で顔にやけどして生死をさまよい、
幼稚園から小2まで、年1回こども病院で皮膚の移植手術の為に1週間入院。
完全看護。週3の見舞いのみ可能。
両親は自営で忙しいから、母だけ遅れてお見舞いにきてくれて、退院の日は両親と一緒に近くの公園で、母が作ったお弁当食べた。
あの時、私がどれほど辛くて、寂しくて、手術が怖くても「耐える、弱音は吐くな‼️」が父の言いつけだった。
私がそんな思いした事も、父自身の入院手術生活に当てはめて考えられない、
「子供があの時辛かったんだから、自分も頑張ろう」とか。
そんな思考を、はなから持ち合わせていない人。
我慢、忍耐ができない人。
修行時代のトラウマからか?
あ、私、この悲しみも、父にわかって欲しかったんだね…





今気づきました…
すごく長文になりました。
読んでくださった方、ありがとうございます😊
続きます。