
これで、私の過去の話は、終わりになります(また、何か思い出したら書くかも)
それでは、本題へ。
エステのパートをしながら、次の仕事を探した。
エステの同僚の「品出しとかは?」の言葉をきっかけに、接客以外の仕事を探す。
何せ、接客は私には向いてない、というのが、ハッキリわかったから

とにかく、長男のクラブチームにかかるお金が半端なく、家計を圧迫しており、土日祝は、クラブチームの手伝いで親は行くのが当然になっていたのだが、シングルマザーの家庭も多く、仕事優先で、当番の時だけは必ず参加してたので、私も、土日祝休みで探すと、なかなか見つからない為、当番以外は仕事する事にして、
後は主人に丸投げした。
クラブチームでは、父親の役目も結構あるので、それで同学年の母達にも了承得た。
またもや、何度も面接に落ちるも、スーパーの品出しの昼から5時間のパートに決まった

いざ働き出すと、私が働く部門のチーフ(娘)とその母親、長老連中が沢山おり、このチーフ親子がめちゃくちゃキツく、仕事のやり方等も教えて貰ってないのに、毎日何度も怒られ、売り場でも怒鳴られ、帰宅後、重労働に加え、精神的にも応えて、毎日泣いてた

この人らがキッツイから、人が続かず、直ぐ辞めていくので、私は簡単に採用になったのか、と確信する

しかし、やっと受かった職場(私の年齢では、掃除のパートしか無かったし、無資格、無免許)だから、我慢して頑張り抜いた

このころは、まだ心が病んで無かったので、耐えれたが、今だと、たぶん、鬱状態になり、辞めなければいけない体調になると思う

昼から一緒に仕事する、50台後半のおばさん(私、当時40台)を見よう見真似で、必死で覚え、数年後には、チーフ親子にも仕事ができる人(ただの品出しだけど、速さと陳列のきれいさ)と認められると、親子の、私に対する態度も、逆転し、仕事がやり易くなった。
今年で、勤務年数9年、給料体系、仕事の簡略化、キツイおばちゃんの退職(チーフ親子含む)等で、随分働き易くなり、上司にも恵まれ、唯一、主のキッツイオバハン一人(チーフ親子のキツさよりはマシ)
が厄介だが、皆で愚痴言い合ってるので、今まで続いてる

このオバハン退職まで1年半の辛坊



一年前からフルに変え、家事がまともにできず、寝不足、疲れもあるが、仕事のやりがいもあり、体調(心は大丈夫)崩す時もあるが、あと10年は働きたい。
(私60になる頃)
クラブチーム、学費の足しになり

心を病み始め、完璧に鬱状態になってしまった時も、品出しで無心に仕事する事で、自分の気持ちを保てた

有難い

これで、一応過去の話は終わるので、
これからは、テーマに捉われず、好きな様に書いていこうと思います

今回もお読み下さり、ありがとうございます😊
今後もよろしくお願いします

以前の仕事の話は、お時間あれば、こちらをお読みください。