3人目のつわりと姑 | 雨のち、くもりのち、時々はれ

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もうすぐ還暦^_^
辛かった過去や趣味、お出かけ、日々の感じたこと等を書いてます。




【余談】

前回の記事で、主人の転勤の話を書き、まだ解らないままなんだが、子離れ出来ない姑が知ったら、寝込むんではないか、と思う。

主人の母、姉弟達、次男嫁も、主人に頼ってて、姑からしたら、優しく、自慢の長男だから、「それやったら、会社辞めろ」と言いかねないな…

主人が借金した時も、自慢の長男だから、きっと心配性の姑は、寝込むと思い、私は、次男嫁しか話さなかった。



どうなるかは、また、解り次第、報告します。







で、本題です。





長女は、長男とは、学年で、6年違い、

次男とは4年違い。



実は、女の子が欲しくて、ちまたの情報を元に頑張った結果、運良く女の子を授かった。

私34歳での、妊娠、出産になるのだが、
妊婦の間は、とにかくしんどかった。

もう、これで、子供産むのは無理だと思った。

つわりは、やはり辛く、何が一番辛かったかというと、主人の弟(次男)夫婦が、姑の家を建て直し、同居するまで、うちの3LDKのマンションに、姑と三男(独身の弟)が住んでいて、各人に一部屋ずつ割り当て、私ら夫婦と子供二人は、6畳の和室で寝ていた。

別に、それはいいのだが、いつもの如く、つわりで、食事作りが限界に達し、

主人から姑に、

「つわりで、御飯作れないから、お義母さんに、作ってと頼んで欲しい」とお願いした。


主人に言うのも、勇気がいった。


でも、主人は姑に話してくれた。

この時で、姑74歳。



姑は、昔から、たぶん料理が面倒だったと思う。

主人と結婚前の挨拶の時に、
「この子は、ええもん(美味しい食べ物)食べさせてないから、食事に関しては、文句言わずに育ってるから、楽やで」と言われた。


確かに、その通りだ。




そして、頼んだ初日は、近所のお好み焼き屋から注文配達した。


二日目、近所の寿司屋から、注文配達。



三日目、な、なんと!!

「あんたら、若いもんの、食べ物が解らんから、あんたら家族は、あんたらで、


私と三男は、私が作るから、別々にしよな」


ポーンポーンポーンポーンガーン!?アセアセ!!??もやもや

えっ!?まじで!?


一瞬我が耳を疑った。

主人に、「なんて、お義母さんに頼んでくれたん?」


「つわりやから、御飯作れんから、代わりに作ってと言ったら、わかった、って言ったで」


姑から言われた事を、そのまま主人に伝えると、


「えっ?

で、一瞬固まってた。



私「もう、ええわ。作る気ないんやろ。

数日だけ作ったら、ええと思ってたのが、ずっとって解らんかったんちゃうか」


姑も、義姉も、つわりが全く無かったので、辛さが解らないのだ。



それからが、地獄だった。



料理を別々に作ることになったが、台所は一つ。

私が料理したい時間が、姑と常にかぶり、私が譲る。


おまけに、主人のおかずは作っても、



「あんたや、小さい子の食べるもんは、わからんから、これは、あの子(主人)に食べさせたって」


ゲローと、悪気もなく、平気で言う。


まじか!?ムカムカゲッソリ

私はどうでもいいけど、孫より、息子か!!ハートブレイク



これには、主人も驚いてた。


姑、炊飯器を持参してきて、自分の部屋

(元は私達の寝室で、ダブルベッドがある)

で、ドアを閉め切り、御飯を炊き、ベッドの上で、食事、おやつ等を食べ、三男は仕事か、遊んでから帰るのか解らないが、帰宅が深夜で、リビングで食べるから、隣の和室で、寝てる私達。


特に、私、つわりで、やっと眠りに落ちたと思ったら、又それで目が覚め、吐き、寝れない。


三男の仕事柄、夜中に職場からの呼び出しで電話がかかってくることも、度々あり、その頃は、携帯などないから、私が電話に出て、三男を起こす。



姑の家の建て替えまでの、しばらくの辛抱だと、我慢してたのだが、近所の人が、市役所に電話して「あそこは、私道やから、家建てるのおかしい」と苦情を入れたらしく、古い家の時も、その私道に建ってたし、たかだか、幅×道のりは、数メートル、


文句言う程の広さ違うやん!!ムキー


その為、建築の許可が降りず、知人の紹介で、ある方に動いてもらったら、一発で許可が降りた!!グッド!



姑、段々自分達の食事作りも面倒になったのか、いつしか、たまに近所に住む義姉に頼んで持って来てもらっていた。



そしたら、玄関で、二人でコソコソ私の悪口。


あの家族、内緒話ができない位、声がでかいんで、丸聞こえなんですけど~


もう、一人になる場所もなく、姑も家から一歩も出ないから、トイレにこもり、吐きながら、水流した音で、声を殺して毎日泣いた。


ノイローゼになりそうで、お腹の子が、無事に育つのか、心配した。



主人に「一緒に住んでたら、助け合うのが家族やろ?

もう、私、無理やから、二人どこか家建つまで、賃貸借りて出て行ってもらうよう、言ってくれへん?」


主人、きっぱりと、「それはできへん」と言った。



やっぱりな、自分の身内が大事なんやな。




もう、気が狂いそうだったので、実家の母に事情を説明し、鼻で笑われたが、上二人の息子を連れて実家に帰った。


長男は、幼稚園か保育園に通ってたので、母が(運転免許なし)電車で毎日送迎してくれた。




そのうち、上二人は、うるさいし、実家の両親も、ストレスがたまり、限界になり、父の血圧も上がり、


「もう、いい加減に帰って欲しい」と言われたので、数ヶ月の滞在で、

又、あの息苦しい我が家に帰った。



我慢した。




やっと家が建ち、そっちに帰って行った。



つわりの時の姑の仕打ちが、今も忘れられない。

(根に持つタイプの私)




それから、14年後のある日、

次男が高校受験の冬に、姑が、骨粗しょう症で背骨にヒビが入り、自宅で寝て過ごすしか無かったのだが、

痛いから、機嫌が悪く、文句ばかり言い、たまりかねた次男の嫁が、主人にずっと
「どうにかして欲しい」と電話がかかるし、姑も主人に電話するし、


行ける日は、毎日主人が行き、マッサージをしていた。

その頃は、私はもう病んでたので、関与しなかった。


鍼灸に行ったら楽になるから、次男嫁に仕事終わってから、連れて行ってもらってたようだが、いけない日は、うちに電話してきて、私も昼から仕事だし、タクシーで連れて行って欲しいと言うのだが、

そもそも、病院の待合室が満員な場合や、タクシーの空間がだめだし、年寄りに付き添わないといけないから、満員でも待合室にいなければならない。


断った。


主人にも話し、「行かなくてもいい。ほっといたらいい。自分がするから」と。


義姉は、唯一、姑にキツく言える人で、
「病院行って、どうもできへんねんから、嫁に迷惑掛けて、鍼灸行く必要ない!!」と言われたから、内緒で頼んでくる。


今度は、自分の部屋が、襖なのだが、重くて開けると、痛いから、

「あんたに、迷惑掛けるから、あんたに言うけど、あんたのマンションに治るまで置いてもらえへんか?」


昔、うちで暮らしたイメージで言ってるのだろうが、子供3人が、高校、中学、小学生になり、各個室を与え、荷物も半端ない。


それを言ったら、


「リビングでもええから」


子供らは、個室は、勉強と寝る時、友達と遊ぶ時以外は、テレビがリビングしかないというのもあるのだが、ほとんど、リビングが家族の憩いの場になってる。


次男受験生、リビングは、特に思春期真っ盛りの長男がテレビも含め独り占め。



最初は、私も、つわりの時に突き放されたから、断ってたのだが、泣きながら何度もお願いされると、可哀想になり、

主人に相談。


主人は、姑がうちに来たいと言った事にビックリし、我が家の状況から見ても、


「絶対無理!!ちゃんと断り、話す」と。


私の看護師の妹に、この事を相談した時、

「そんなもん、年寄りやから、いつ直るか解らんし、治っても、居心地いいからいつかれるで!

それに、ストレスで、お姉ちゃん余計調子悪くなるから、やめとき!!

と、喝。



結果、開けるのが重い襖を、軽く開けるように、主人が直し、問題解決。


痛くての、愚痴はしばらく続いたが、辛抱強く、主人が付き合い、暖かくなると同時に治っていった。



色々難しいね。




相手にした事は、結局、全て自分に返ってくるんだよ。


誰も見てなくても、お天道様は見てる。



お金、無くても困るけど、助けてくれる人が無かったら、もっと困ると、実感する。







つづく






またまた、長文を読んで下さり、ありがとうございますハート



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