ついにキレた私は、
「ちょっと位、手伝ってくれてもいいやんか



私は、ごはんもゆっくり食べれへんし、寝れへんのに、オムツ位、替えるとか、泣いたら抱っこするとか、したらどうよ
」


主人「そんなん言われても、どうしたらいいかわからん
」

ハッと、我に返る私。
私でさえ、何で泣いてるのか解らんし、オムツの替え方、ミルクの飲ませ方、首の座らない赤ちゃんの抱っこの仕方、お風呂の入れ方……
全て教えてもらってできるのだから、
主人なら、尚更、教えてもらって無いのに、当然解らないよね。
そこから、徐々に教えて、多少の出来の悪さは目をつぶる。
少しずつ、主人を教育していく。
震災後、姑(当時67歳位?)がまだマンションにいた為、お風呂に入れてもらったり、私が家事してる時は、あやしてもらって、それなりに助かったのだが、
視力が生まれつき悪い為、洗濯干してもらっても、しわしわ、靴下片方ペアが違う、
食事に関する家事は一切しない、
実家からマンションに帰って来て、掃除機かけてて驚いたこと、
ラグの下に、お菓子の食べカス、財布、新聞、室内の観葉植物(結構大きな鉢)の土の上には、みかんの皮(食べカス)が、沢山置かれ、
「なんじゃこりゃ~~
」

状態。
つまり、動くのが面倒だから、手の届く範囲に、ゴミと、必要な物、全てが置かれていた。
こんな不衛生な部屋に、新生児置けるか
ちゅう話ですわ。

おまけに、洗濯干す時に、隣にわざと聞こえるように、自分の気に入らない事をした事を大声で言ってる

私は、たいして気にならないのに、
今後の近隣関係に影響するのは、私やで

やめてもらいたい、けど、言えない……
幸い、隣の人がいい人で、助産師だったので、おっぱいマッサージを、うちで好意で何回かしてもらっている間も、気に入らない風。
半年はうちにいた姑。
もう、いい加減、帰って欲しかった。
呼んだのは私なんだが、こんなに長くいるとは思わないし、地震も落ち着いたんだから。
ある日突然、
「ほな、家帰って来るわ」と、出て行った。
今まで、何度か、「家帰って来るわ」と言って、必要な物を取りに帰ってたから、また、なんか取りに帰ったんだなと思ってたら、夕食の準備してるのに、夜になっても帰って来ない。
目が悪い為、夜は出歩かない姑。
主人に電話で聞いてもらったら、
「もう、家に帰る」と言う意味だったらしい。

それなら、そうと言ってくれれば良いのに、一応お礼も言いたかったのに、嵐がやっと過ぎたわ

なんか大変な産後だった。
つづく
今回もお読みくださり、ありがとうございました
