私は、一人の方が気楽だし、眠くても寝る訳にもいかず……
昼間は、長男の初孫ということで、主人側の親戚や、姑の仲良しの友人が見舞いに来て、話すの大好き姑に任せ、私は側で、愛想笑い。
疲れたよ…、ほぼ毎日。
夜は、私側のお世話になってる人が見舞いに来てくれて…
夜寝る時は、赤ちゃんと同室で夜中の授乳で、泣くし、寝れないし。
退院後は、1ヶ月健診がおわるまで、実家の世話になった。
退院後、二日目の早朝、凄い揺れの地震発生。
古い家がギシギシ音を立て揺れ、添い寝していた長男の上に、覆い被さった。
タンスが倒れて下敷きになるの

家が倒壊するんじゃ

それが、阪神淡路大震災だった。
実家は、震源地より離れていた為、階段の手すりがとれたり、内壁にヒビが入ったり、棚の上の荷物が散乱するも、皆無事で、ライフラインにも影響がなかった。
近くのスーパーの開店と同時に、紙オムツとミルクを買って来てもらうよう、母に頼んだが、薬局の品は、もっとひどい被災地に救援物資として送られ、何も無かった。
被災地の産婦人科では対応できない為、私が出産した産婦人科にもたくさんの妊婦さんが運ばれ、退院できる産後大丈夫な人は、早めに退院させられたそうだ。
私は、ほぼ母乳と布オムツだったのだが、被災地のあまりの変わり様(通学、通勤に通ってた所でもあり)にショックで、母乳の出が悪くなった。
続く余震に怯え、1月17日が震災が起きた日で、長男を毛布にくるみ、ずっと抱っこしていた。
自宅マンションは、揺れの方向が、物を置いているのとは、逆に揺れた為、何も落ちてなく、被害は無かったのだが、年月を経るごとに、室内の板と、コンクリートの継ぎ目がヒビが大きくなり、壁紙もヒビにそって間が開いているが、耐震は大丈夫らしい。
次男夫婦は、アパート住まいだったが、食器棚から、食器が飛び出し、割れて、使わない食器をあげた。
姑と独身の三男が暮らす家は、ボロい為、私は1ヶ月は実家で産後過ごす予定だったので、もし、大きな余震がきたら、家が倒壊しても怖いから、私から主人に頼んで、うちのマンションで過ごしてもらうことにした。
初めての子供が産まれ、実家の両親がいるとはいえ、私は主人に側にいて欲しかったのに、「お父さんもお母さんもいるから、安心やろ?」と言って、実家には全く来ず、姑を心配していた。
子供に会いたくないのか

私と子供より、お母さんが心配なんだ

と、凄いショックと、焼きもちな、気持ちだった。
つづく
子供の読書感想文で、私が読みたかった本を借りた。
今回も読んでくださり、ありがとうございます
