私達はまず、結婚式場を下見し、予算を出してもらったが、二人で貯めたお金には程遠く、司会、ビデオ撮影は知人に、貸衣装も知り合いの紹介で安く借りて、式場も料理屋の大きな所で借り、お祝い金で何とかなった。
貸衣装は、白無垢、色打掛(かつら2種類変えて撮影)、白のウェディングドレス、カクテルドレスと、何回もお色直し。
これはとても満足

着る機会なんか、ないんだから。
それに、当時はこれくらいは当たり前だった。(ジューンブライド)
結婚式を料理屋にした為、すべて自分達で企画せねばならず、司会をお願いした知人が、結婚式の司会のバイトもしていたので、色々と教えてもらいながら、進めた。
式当日に、「ご両親への花束は?」
と、料理屋さんに聞かれ、全く頭になく
、急遽、料理屋さんが手配してくれた。


新婚旅行は、彼が高い所は怖いから、飛行機は嫌だと言ったが、結局東北地方に行ったので、行きは青森空港
まで飛んで、帰りは横浜で1泊したので、仙台から新幹線
に乗った。


旅行のコースや、宿泊施設は、全て私が決め(好きなんで)、レンタカー
で1週間、泊まりは公共施設、プチホテル、など格安宿
を予約した。


当時は、ネットなどなく、調べるのは、図書館の本のみ。
五色沼近くのペンションの、フランス料理のコースや、朝だされた牛乳(私は牛乳が苦手)がすごく美味しく、料理人のオーナー(男性)が、「関西の方ですが、お味は大丈夫でしたか?こちらも勉強させていただきました。」と、大変よくして下さった。
結婚が決まった時、お祝いの品や、お祝い金をして下さった、両親の知人は、私の辛い過去を知ってるので、涙を流して祝福してくれた。
私は、こんなにたくさんの人達に見守られていたんだ
と、初めて知り、感謝する。

彼も「こんなに皆んなに思われて、嬉しい事やな。僕も大切にするから」と言ってくれた。
と、ここまでは、良い思い出。
苦い思い出は、
結婚、旅行の準備で、すでに疲れ切ってた私。
皆様には申し訳ないけど、結婚式の間中、「早く終わって、休みたいよ~」
と、思ってた。
新婚旅行の帰りの横浜駅で、すでに体調がおかしく、自宅最寄駅まで、彼の友人が迎えに来てくれる事になっており、私は、すでに発熱していたのに、言い出せず、そのまま、迎えに来た友人家族と、ビアガーデンへ……
翌朝、高熱と、全身、顔までじんましんが出て、もう1週間、無理言って仕事を休ませてもらった。
たぶん、疲れとストレスだと思う。
出勤し、個人経営の会社の為、結婚式、新婚旅行にもかかわらず、忌引き休暇しか貰えないというのがわかり、
「なんやねん
せこ~~(お金に厳しいという意味)」と憤慨


会社の方針なので、仕方ない。
それと、結婚前提で付き合ってる時、彼から、「言いにくいんやけど、お金貸してくれへんか?15万位。
お母ちゃんが生活やっていけへんねん。
今回だけ」
あまりよく思い出せないのだか、
借金があり、親や弟の金銭的な面倒を見ていたのは知ってて、付き合ってたが、
いざ、言われると、「結婚詐欺か
」とか、先が不安になったり……

でも、この人は、私を全て受け止めてくれた人だから、信じた。
返ってこないつもりで渡した。
結婚するのだから、返してくれるお金も、出処が怪しいから。
これこそが、結婚後の、新たな地獄の始まりの序章に過ぎなかった。
最近になって、主人に、
「結婚決まって、付き合ってる時、私に15万程貸してって、言ったやろ?
どんな気持ちで言ったん?」
と、聞くと、
「えぇっ
ほんまに、そんな事言ったん


えぇっ
うそやん……

よう、そんな事言えたなと思う……
恥ずかしい……
しかも、覚えてない……
ごめん……」
いや~~、私の方がびっくりだわ



お気楽な人やな~~
お金貸してと言った事さえ、記憶にないとは……
だから、あんだけ借金があっても、家族残して失踪しなかったんだ、と、改めて、
納得したり、良い性格だなと、思ったり。
失踪してたら、私、完璧壊れて人間不信どころではなくなってただろうな。
ある意味、主人の性格に感謝

あ、この時貸したお金は返してもらってないか、二人で貯金してたから、余分に彼が貯金したかの、どちらかだったと思う。
思い出せない私も、似たりよったりかな。
つづく
今回もお読みくださりありがとうございます
