当時は、ポケベルが出始めの頃で、彼とのやり取りは、家の電話か、公衆電話か、手紙のやり取りだった。
彼と何度か電話のやり取りの後、初めて会う事になった日に、専門学校の帰りの電車が、待ち合わせの、一駅前で故障の為止まってしまい、公衆電話で「電車止まって帰れないから会えない、父に迎えに来てもらうつもり」と、言おうとしたら、
「電車止まってるんやろ?そこまで迎えに行くから、駅の近くで待ってて」
と、強引?8歳上だから、頼りになり、引っ張るタイプ?なのか、私にはか弱い男子しか知らなかったので、新鮮だった。
駅前で待つも、どうしても顔が思い出せないので、「大丈夫か?私…」と思いながら…
向こうから声かけてくれて、
「あ、やっぱり、好みじゃない…」
と思う。
後から主人に聞いたら、主人も私の顔を覚えてなくて、「あの人かな?」と、声かけたらしい

夕食を食べに連れて行ってもらい、会話すると、優しさがにじみ出ていた。
それから3回目のデートで、京都に行き、家族に対する考え方が同じ、一緒にいて自分が自然でいられる、よく気を使ってくれる、
で、結婚してもいいかな、と思うようになる。
しばらくして、私の両親に挨拶に行きたいと言われ、
結婚⁉️か⁉️
その頃には、私の事を大事にしたい、とか言われてたから、私も結婚してもいいかなとは、思ってたけど、両親に挨拶に来るなら、きちんと彼と結婚するか、返事しないといけないと思い、悩みまくったあげく、
両親に挨拶する前に、二人きりで会い、
「私は結婚してもいいと思っている」と伝えると、彼も結婚する気であると言ったんだが、
両親への挨拶というのは、
本当は、「結婚する、しないは別にして、どんな人と娘が付き合ってるか、親が心配だろうから、顔見せのつもりの挨拶」だったのだ。
てっきり、私の早とちりだった訳だが、
「自分も結婚するつもりやったから、気持ちが聞けて良かった」と言ってくれた。
そして、我が家で、両親と会い、
父が「この子は、顔は火傷で傷があるけど、心は優しい子なんで」と言うと、
彼は、間髪入れず、「僕は、顔とか関係ないし、気にしません」と言い、
私は涙ぐんだ。
彼が帰った後、父は、(頑固で職人気質)
「なかなか大人やな」と一言。
仲人のおじさんは、すぐにでも結婚式挙げるよう言ってきたのだが、
私と彼の話し合いで、
私は、自分で、仕事と、専門学校や、その課題制作、家事全てをこなす自信がなく、
全てがおろそかになって、彼に傾いていくのが解ってたので、学校卒業するまで、1年半待って欲しいと言った。
彼は、(お見合いする前から弟の借金返済してる事は、私は聞いていたが)
弟の借金返済があるから、今は生活やっていけないけど、1年半後なら、目処もつくから、その方がいいと言った。
もちろん、彼は貯金などなく、結婚するまで、二人でお金を貯めることになった。
両家とも貧乏で、親に頼る気など、さらさらなかったからだ。
彼の家(母しかいないが)から、彼を通して、「結納と婚約指輪はどうするか」聞かれたが、借金返済して、家庭を支える彼に、それ以上負担かけると、結婚後の私達の生活にものしかかるのが解っていたので、断った。
本当は、借金がいくらあるのか、具体的な金額を聞きたかったのだが、まだ、彼との絆も浅く(出会いの日数も浅い)、遠慮があって聞けなかった。
借金があっても、彼は、すでに私の中では、大きな存在になっていて、会う度、彼の車の中で、号泣してしまい、甘えまくり、頼りまくっていた。
今思えば、親からの愛情不足や、泣くのをずっと我慢してきた事、私が自分の中で嫌いだという部分を、「そこがすきだ」と肯定してくれた事で、根気強く、優しく、全てを受け止め、だんだんからっぽの心の中身を埋めていってくれたから、
自分の理想通りの
「私の全てを受け止めてくれて、
気持ちを解ってくれる人」
だったから、借金は気にならなかった。
いつもブログを読ませて頂いている、エルサさんのブログの中の言葉に、
ハッッッ
と、しました






これは、全て私が結婚相手に望んでいた条件で、全てを満たしてくれたのが、彼だった。
だから、結婚21年、何があっても、離婚に至らなかったのだと思う。
つづく
今回も、長文に関わらず、お読みくださり、ありがとうございます
