今みたいに、集団登下校がなかった時代だったので、雨の日は、傘で見つからない様に隠して帰れるから、雨の日は大好きだった。
家に帰って、泣きながら話しても、父は「泣くな!!」と怒鳴り、母は何も言わない、抱きしめても、慰めてもくれない。
ただ、担任の先生には、いじめる子の事は話したようで、それがまた、「先生に言ったやろ?!」となるわけで…
あと、同級生の幼馴染みの女の子が三人いたので、その子達に、もし、私がいじめられた時は助けてあげて欲しいと、頼んでいた様だ。
幼馴染みに、助けてもらった。
「助かった~」と思う反面、同情されてる様で、複雑な気持ちだった。
も~~~っ、学校に行くのが嫌で、毎朝、泣き叫ぶも、自転車の後ろに乗せられ、店が休みの日は、父の車に乗せられ、遅刻で無理矢理連れて行かれた。
今みたいに「いじめ」と言う言葉も、「いじめで自殺する」子供も、「不登校なら、無理に登校させることはない」という定義もない時代、ひたすら耐え抜くしかなく、毎日ずっと、死んだらこの苦しみから逃げられる、楽になりたいと考えていた。
ある日、化粧中の母に「何で火傷したん?」(面と向っては聞きにくいので)と、聞いても無言だった。
それ以上は聞けない雰囲気だった。
つづく
今日も読んで下さり、ありがとうございます。