いつも超絶モデリングで我々の目を楽しませていただいておりますプロモデラーの大ちゃんさん企画。
前回は艦橋製作。
大分実艦と異なる部分がある様ですが、リサーチしている余裕がない、と言っていながら、前回D-デイの概要を説明したところだ。
それでだ。
調べる時間が無い、と言っていながら、このロドネイが何処の何に向けてこの巨砲41cm榴弾を撃ちまくったのか。
どうしても興味関心が尽きなかった。
1944年6月6日のD-デイ、ノルマンディー上陸作戦の緒戦は、大鑑巨砲による艦砲射撃で口火が切られた。これは前回開設した通りだ。
特に41cmの巨砲による戦艦ロドネイの射撃は凄まじいものがあり、榴弾として十二分の範囲の敵を殲滅することができた。
狙われたドイツ軍部隊の対象は何❔
そこで驚くべき、まさかの実態が判明した。
D-デイ後の緒戦は、上陸と橋頭堡の構築が目標だった連合軍は、その後内陸部へ向かって進撃を開始する。
無難に上陸を終え、橋頭堡を構築できたバーナード・モントゴメリー指揮の王立陸軍は、最初の戦略的攻撃目標地点は、ノルマンディーの主要都市であるカーンであった。
その主要都市カーンの正面は、ドイツ軍の強力な装甲教導師団が重厚な戦線を構築していると考えられており、ここの攻略を担当することになった王立陸軍のモントゴメリーは戦術的迂回を決断するくらい、連合軍にとってこの装甲教導師団は邪魔者であった。
これが上陸地点に押し出してきても面倒であった為、このカーンを艦砲射撃の目標地点と定めたのである。しかし実際にはカーンには未だ戦車装甲教導師団は展開していなかった。
つまり艦砲射撃が不発だった訳である。
これが結果論だ。
ドイツ軍は、エルビン・ロンメルの無能さを表わした戦略的に配置された水際対策用の装甲師団は、その全てが、何の役にも立たずに壊滅したが、フォン・ルントシュテットがロンメルに頑なに譲らなかった内陸奥地でキープした装甲師団温存は見事に的中し、その殆どが無傷で残った。
連合軍は、ロンメルの戦い方を知っていた為に、艦砲射撃と十二分な爆撃によってドイツ軍水際部隊は壊滅し、満足な装甲師団は残っていない、とタカを括っていたのも事実である。
迂回してきた王立陸軍によってカーン攻略の前哨戦として辺境南部の村であるヴィレル・ボカージュという小さな村が連合軍に攻撃され占領された。
連合軍が休憩し、カーン攻撃に備えていた時にドイツ軍装甲教導師団いや、たった1輌のティーガー戦車が襲い掛かるのである。
かつて天狗マスターベーシ さんが製作した、ティーガー1後期型222号車である。
D-デイの日には、ノルマンディーピカルディ近郊に駐屯しており、このカーン攻略を狙う王立陸軍を迎え撃つ為に移動を開始したのが、ドイツ陸軍装甲教導師団である。
当にロドネイが狙った攻撃目標そのものであった。
もし、ロンメルの思惑通りにこの師団がカーンにいたら、ロドネイの砲撃により、ティーガー重戦車でも至近弾で破棄されるだろうし、直撃弾なら跡形も無くなってしまっただろう。
フォン・ルンテシュタットの先を読む力が、ロンメルよりも秀でた証左になる。
そして、この装甲教導師団の中の一つに、有名な大隊が所属している。第101親衛隊重戦車大隊、即ち第101SS重戦車大隊のことである。
大隊長は、ハインツ・フォン・ヴェステルンハーゲンSS少佐。
彼の麾下には、
ミハイル・ヴィットマン
ヴァルタザール・ヴォル
ヘルムート・ヴェンドルフ
カール・メビウス
ユルゲン・ブラント
など、誰でもどこかで聞いたことがあるエースが揃っていたという。
しかしドイツ軍も王立陸軍が大部隊だと知らず、先端が開かれたのはヴィットマンの威力偵察を兼ねた淵部隊への攻撃からであった。ヴィットマンは愛車の205号車が不調の為、(軍艦堂さんの文献調査)222号車で出撃したと言われているが諸説あるようだ。
結果的に、ヴィットマンのたった1輌のティーガーであったことが幸いし、王立陸軍は大混乱の中、結果的に敗北し、大部隊の残存兵力はドイツ軍に投降することになる。
有名なヴィレル・ボカージュの戦いの舞台となった。
この時の盛りに盛られた当時のヴィットマンの戦果だったが、実際に彼が撃破したのは、戦車12輌(クロムウェル5輌、スチュアート3輌、シャーマンファイアフライ4輌)であった(それでも恐ろしい戦果ではありますが・・・)。
それにしてもまさか、
ロドネイが実際に第101SS重戦車大隊を狙ったとは・・・出木杉ドラマだと思う。
ということで、本日も模活はできませんが、期限迫る中寄り道している余裕は無いのですが・・・