【貴重な体験シリーズ 第1段】
いくつかの同じような経験と被ることも申ことながら、
だが可能な限り曖昧なものは排除し、
1998年12月15日
午前4時
その年の夏はとても暑く、観測史上最高気温だった筈だ。
だからなのか、吐く息もそう白くなく、
曇り空だから月明かりも無く、
マフラーから迷惑な爆音を極力出さぬよう、
首都高速から幕張を抜け、成田方面へと抜けていく道程は、
長い1日の始まりであった。
午前7時
当時始まったばかりのサービスだったインターネットサイト予約を
送迎マイクロバスに乗り込んで成田空港第2ターミナルに到着した
フライトは10時発。
それまでの時間は、どうやって過ごしたのか覚えていないが、
そして、ここの記憶こそが曖昧だが、
乗り込んだのはスターアライアンスグループ筆頭会社で世界最大の
今はできないANAのマイルが溜められたが、
午前10時
いつものことだがテイクオフ後の記憶は無い。
機内サービスの映画も何を放映していたか覚えていないが、
離陸後の朝食も手を付けることはなかったと思う。
当時は円高不況と言われており、1ドル約70~
今は逆転しているが、当時の国内都市部のホテルは1泊2~
長引く日銀の金利政策により、
成田を飛び立った飛行機は真北へ向かい、樺太、シベリア、
現地時間午後4時頃
トランジットの為、フランクフルト国際空港へ降り立つ。
次のフライトまでは3時間ある。
そこで事前に全く予定していなかったのだが、急遽ゲートを出て、
フランクフルト・アム・マイン観光でも良いのだが、
赤く金色JAPAN刻字の世界最強の印籠は、
以前の記事でも取り上げたが、シュプレヘン・ジー・ドイッチュ?
このマッチョな入国管理官と笑顔でやりとりし、
空港の外へ出るといきなりわんさか寄ってくるブルカを纏った高齢
ドイツにはトルコから流れてくる方が多いとは聞いていたが、
空港駅へ駆け込み、
こういう冒険好き。
乗ったのは勿論各駅停車だ。
乗ってから行先を確認して、
もしかしたらルクセンブルクとかまで行けるかなとも思ったが、
マインツはとても美しい街。
ディズニーリゾートなんか足元に及ばない本物のおしゃれな街。
基本的に有名観光地ではないので、いるのは現地のドイツ人のみ。
それでもクリスマスシーズンに突入していく街中をウィンドウショ
午後5時の鐘の音を聴いた。
後から聞いた話だが、マインツドームの鐘の音は、
現地時間午後6時くらい
マインツという街は、日本で言えば人が多く往来する釧路や小倉、
さて戻ろう、そう思ってマインツ駅の時刻表を確認し、顔面蒼白。
心臓が止まる程驚いたのが、
日本の感覚でダイヤが組まれていることは無いことは当然理解して
ホーム上には人がほとんど居ないのだ。
飛行機が行ってしまったら仕方ない、
近づいてきたのはIC(イツェ:特急)だ。
運よくICに乗れたが、完全貸し切り。
誰も乗っていない。
事前に特急券を買っていなければ罰金で何倍かの金額を払わなけれ
IC本来のスピードを出すことも無く、
現地時間翌午前0時くらい
着陸態勢に入った飛行機の窓の外。
暗闇の中に浮かぶオレンジ色の明かりに統一された宝石の様に美し
あらためて申し上げるが、現地時間午前0時ほどの到着だ。
久しぶりな中近東近く。
当時、サダム・フセイン イラク大統領に対してJブッシュ大統領が、
空港内は軍の特殊部隊っぽい者が大勢集まっており、
1998年12月16日
現地時間午前2時
空港の喧騒を他所に、深夜タクシーを走らせ、
後で知ったのだが、
現地時間午前4時
携帯のアラームを鳴動させたのだが全く気付かず爆睡しており、
始発のアンカラ行の飛行機に乗って、いざ東方へ。
現地時間午前8時頃
アンカラ到着後、主たる箇所の観光だけにして、
荒野の中猛スピードで南方へ飛ばすダイムラーのフル規格のバス。
ちょっとハンドル操作誤ったら即死だな、
途中天空の鏡として有名な世界絶景ポイントの1つ、「トゥズ湖」
車内が騒然としてきたのは、
「コンヤ」にはアメリカ軍の駐留基地があり、
バスからは基地がどこにあるかの認識はできなかったが、
どこからともなく誰かがそれはアメリカ軍のパトリオット迎撃ミサ
(私にはそれが本当かどうかは判断できない)
軍用車両に見とれていたのか、
現地時間午後7時頃
話は戻り、到着したコンヤの街。
スンニ派穏健派のメフレビー教団の所在で世界的に有名だ。
尖塔がトルコ石で出来ている(日本で例えれば、小さな五重塔がエメラルドで出来ていると同じほど希少な意味)メブラーナ博物館のあるところだ。
だが、アフガニスタンや、イラクでの力によるイスラム抑え込みに不満を持つ原理主義者(後日彼らはアルカイーダやISISなどになっていく)が多く集まる街でもあった。
大変危険な街であることは承知して
それでも街中を一通り観光。ラマダン直前の日でもあったと思うが、
その日はコンヤの格安ホテルに宿泊(3,000円しなかったと思う)したが、
しかし民族的には我らと同じウラルアルタイ語族で、つまり日本人と同胞だ。
昔中国東北部に居た、『契丹』という国がトルコ系だ。今ではオルドスに広大な自治区を構えるトルコ系ウィグル族が、新疆ウィグル自治区を構成する。
【中国共産党政権下で集団虐殺が進む現在のウィグル】
見た目はギリシャ人との混血が進んでまるでヨーロッパ人の様に見えてしまうのは、歴史的に2,000年間ローマ帝国の本拠地だったからであろう。
トルコ語の語彙を置き換えればほぼ日本人には話が通じることから、
国連総会でイラクを相手に国連軍が組織できず、
いつ攻撃が始まってもおかしくない、
前日までは配備されていなかったことも確認できた。
しばらくの後。
喧騒を他所に聞こえてくる大規模な数の航空機の離陸音。
それらは旅客機の音ではないことが直ぐ理解できるほど、
後から知ったが、この時を以て第2次湾岸戦争が始まり、
問題はここからだ。
空襲警報が鳴り響き、
格安ホテルからの案内は何も無かったが、ロビーで訊くとテレビの緊急放送で、
この時、ようやく自分が戦争に巻き込まれていることを唐突に理解した。
結局この弾道ミサイル「スカッド」は、エルサレムに向けて発射されたそうで、
その夜の夢は、