1/700 タミヤ
大日本帝國海軍 二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日
第1次多号作戦第2輸送隊「イピル揚陸」
可能な限りの記録をリサーチし、同じく可能な限り実際の現場での史実の1シーンを忠実に再現いたしました。
ようやく完成しました。
と言っても、前回との差異は、砂浜に出迎えの帝國陸軍の兵隊さんを21名ほど配置しただけですが、人物を配置するしないはドラマ性に関わって来るので、21名を配置しただけではあるものの、訴求力が上がると思います。
まだまだ沢山残っているので、帝國海軍の艦船であらためて使用しようと思います。
模型表現として波の工作をしておりますが、揚陸現場のオルモック湾は、内海であり、実際はほとんど波がありません。また、海の色も深い青で、砂浜も黒っぽい灰色で、湘南海岸のような感じです。
オルモック湾対面には、観光地で有名なセブ島もあることから、模型表現でエメラルドグリーンの海に白い砂浜の表現が私の作例を含め多用されますが、実際は全くのデタラメ。
植生も現地のヤシの木林の実際の大きさをほぼ正確に落とし込みしてたかったのですが、ブッシュ含め、ヤシの木の大きさはちょっと大げさなオーバースケールになります。1/700では約5~6mmが良いと思いますが、実際は8mm前後にしています。
兵隊は、同じ形のものは無く、何らかのポージングで差別化されています。
塗装は、帝國陸軍兵の色とは微妙に異なりますが、カーキでの塗装となりました。
LED照明下では波が反射しませんので、絵の様に見えてしまいます。砂浜の兵隊さんも、ほとんど見えません。
こうして見ると、やはりヤシの木は巨大過ぎますね。
初めての砂浜と海面表現で更にレジンを使いましたが、とても楽しめました。
これにてジオラマ完成とします。
大日本帝國陸軍 第102師団 独立歩兵第169大隊 のその後、ですが、この後の太平洋戦争でも最大の激戦がこのレイテ島中心に行われ、事実上壊滅し、生存者はほとんどいませんでした。
オルモック湾の対面のセブ島では多くの観光客が何も知らずに南海のリゾートを満喫しています。日本兵10万人の犠牲を出したレイテ島を沖合に見て何を想うのでしょうか。
とても考えさせられます。
2等輸送艦 101号型第101号について
多号作戦における全体は以前解説しておりますので、省きます。
第1次作戦の第1輸送隊は、1等輸送艦を中心にした揚陸作戦でしたが、第2輸送隊は、2等輸送艦第101号、第102号のたった2艦のみの作戦でした。
1944年10月28日
第2輸送隊2等輸送艦『第102号』がオルモック湾に向かう途中、ネグロス島付近の空襲で撃沈されてしまいます。
10月30日、『第101号』は単艦でボホール島の第102師団独立歩兵169大隊の増援輸送に成功しています。揚陸地点はオルモック南東のイピリです。
しかし、揚陸最中に攻撃を受けてしまいます。
トーマス・スプレイグ少将の第77.4任務部隊(栗田艦隊から逃げた護衛空母艦隊)は度重なる損耗で疲弊していたものの、未だ空母10隻を保有する十分過ぎる戦力を保持しており、この艦隊艦載機がオルモック強行上陸作戦実行中の2等輸送艦『第101号』に襲い掛かりました。
猛砲爆撃の中、満載していた陸軍部隊、及び2式内火艇、97式中戦車などを揚陸し、あとは補給物資を半分ほど揚陸することに成功しますが・・・
延べ数ではなく、実数で80機の艦載機の空襲(ルソン島方面の攻撃部隊がたまたま発見したというのが正解だと思われます)を受けて、離岸して退避しますが、執拗に攻撃をされてしまい、10月31日ついにパナイ島北東沖で被弾多数により大破航行不能となります。
その後、シブヤン海を抜け、ルソン島マニラ湾コレヒドール島南のキャビテにまで挽行されて戻ってきましたが、修理不能と判断され、101号は海没処分となりました。
合掌
出典:
戦史叢書48巻 375~389頁「多号輸送計画の概要」「米機動部隊のルソン空襲と輸送船団出航遅延」「海軍多号作戦戦闘詳報」他
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