巨大機コンペは、プロモデラーの大ちゃんさんの提供によりお送りしています。

ロシア軍の早期侵略地全面撤退、ウクライナ戦争の早期終結を祈念するコンペです。

 

Imperial Japanese Army, Mitsubishi Ki-67 Type 4 Heavy bomber "HIRYU"

帝國陸軍 三菱 キ-67甲型 四式重爆撃機「飛龍」

1/73 マイクロエース 1966年 旧LS社製金型

 

太平洋戦争中に我帝國陸軍が1944年8月最後に量産化した高性能爆撃機。

 

ちょっと模活がし辛くなってきました。

時間が全然とれません。

 

でも何か四式重爆撃機という偉大な航空機を放っておくことも出来ず、本日は判って来たことをいくつか記録してみたいと思います。

 

四式重爆撃機。

陸軍が大戦末期に採用して量産した機体は、2,000馬力の誉エンジンを双発で持つ、機動性と運動性に優れたとんでもない機体でした。

 

その逸話として有名なのが、グラマンF4F戦闘機4機と遭遇した四式重爆撃機1機が、3機を撃墜し、1機を追い回した、という逸話です。

 

戦闘詳報を漁ってみたいと思いますが、また何かわかったら報告します。爆撃機だと舐めて撃墜にかかる戦闘機を返り討ちにするのは、正直聞いたことすらありませんでした。兎に角撃ち落とされなかった様ですね。

 

この逸話をご紹介するだけでどれだけ四式重爆が優れているのかがお解りいただけるかと思います。

 

でも終戦後、とても悲しい姿を晒すことに。

悲しいですね。どこの飛行場か判らないし、部隊も判りませんが、涙が止まりません。

 

戦後の残骸は見るととても悲しくなります。

 

ここで少し貴重な写真を厳選してご紹介しますので、戦後の残骸を振り返ってみます。

海軍機の残骸。とても綺麗な写真です。手前銀河、その下にはアムロ、その隣もアムロ。奥には月光でしょうか。もう1機銀河らしきものも見えます。この色遣いはポイントですが、とても黒っぽい感じがしています。

 

海軍厚木航空基地の残骸。東京の空を最期まで守り、一切負けている感覚は無かった、と言っていたほど、この厚木航空基地所属の部隊はアメリカ軍にとって脅威であり続けました。

 

どこの飛行場かもわかりませんが、百式『呑龍』や97式重爆❓らしきものが見えるので、これは陸軍基地の航空機の残骸だと思われます。

 

そしてこれはとても貴重ではないでしょうか。大戦末期に登場した特攻専用機?『剣』と思われる機体。これだけ鮮明なカラー写真というのは多分これだけではないでしょうか❓ただ、錆びる筈の無い飛行機に錆が出ている、ということが理解不能です。まさか鉄が使われている?それか着色写真?

 

最期におまけ。

先日大ちゃんさんが確か作っていたと思われる変態飛行機ドルニエDo335。

 

パパさん、大ちゃんさん、そして3jinotitiさん、今度残骸選手権しませんか❓

99式襲撃機ソニア。ジオラマで誰か作っていそうです。

 

そしてこれ最後。東京大空襲時に爆撃下の東京から低空を飛ぶB-29を撮影したカラー写真。パパさんがteznoさんの卓で飾られる時に参考にしていただければ。

 

では。

本日はJR、停電で止まりまくリングでしたので時間がいっぱいありました。