苗字に興味の無い人はつまらない記事になるので最初に断っておこう。
民主主義が発展した我国では死語である家格。
今回閑話休題として、武家の苗字に焦点を当てて紹介してみる。
ご自身の苗字があるか探してみると面白いですよ~。
オレ、ワタシの先祖はこれか、と判るかも知れない。
まず、高家の氏族で有名なのは、上位であればあるほど力なくとも敬われ、下位であればあるほどさげずまれる。所謂鎌倉期に成立した公家である。まず、御三家というのがあるが、これは説明するまでもないだろう。
次にその支流として繁栄した高家がある。
日野氏、広橋氏、柳原氏、戸山氏、戸村氏、甘露寺氏、万里小路氏、中御門氏、芝山氏、岡崎氏、堤氏などは鎌倉期に完成された公家の上位氏であって、皆様の中にもこれらの苗字を名乗っておられる方は、必ずおられるだろうし、世が世であれば敬われていたかもしれない。
甘露寺氏の子孫としては、大正期に鬼殺隊柱とし(略
でも今回は武家ですから、源姓と平姓になるところだが、今回は源姓の中の清和源氏に限ってご紹介しよう。
源姓清和源氏で最も有名なものは、清和源氏嫡流であり、源氏筆頭家格とされる摂津源氏 馬場氏であろう。
事実上の清和源氏の嫡流である。苗字は『馬場』を名乗った。
子孫には、平清盛に背いた馬場頼政(ばば よりまさ)や、武田24将の馬場信治(ばば のぶはる)などがいる。
摂津源氏 馬場氏
全国に馬場さんが多いのは、源氏の最名門だからである。この摂津源氏馬場氏から、様々な源氏の分家が派生していく。
馬場氏(ばば)
宇野氏(うの)
足利氏(あしかが)>室町幕府一族
夛田氏(ただ)>鎌倉幕府一族
福島氏(ふくしま)
山県氏(やまがた)>陸軍大将山県有朋は子孫
土岐氏(とき)
武田氏(たけだ)
:
などである。甲斐源氏武田氏に従っていった馬場氏、山県氏、福島氏、下野源氏足利氏に従っていった土岐氏などは、皆この超名門の馬場氏から出ている。
清和源氏三大名門の内、2番目に名門となるのが、
大和源氏 宇野氏
この宇野氏の支流には、
豊島氏(としま)
越智氏(おち)
石川氏(いしかわ)
太田氏(おおた)>子孫に戦国初期の太田道灌など。
土方氏(ひじかた)>子孫に明治初期新撰組副長土方歳三。
隈部氏(くまべ)
大森氏(おおもり)
:
などがある。
しかし、この清和源氏の内、棟梁を最初に名乗ったのは清和源氏家格的には低い部類の、
河内源氏 夛田氏
であった。
この夛田氏は、清和源氏の中でも家格は低い方で、与えられた封地が京から遠い関東であった。
しかしながらそれが良かったのか、夛田 義家(ただ よしいえ:八幡太郎義家)があまりに東国で活躍したために、たまたま源氏の中で最も勢力を誇ることが出来た。
その子孫は、夛田義朝時代に花開く。
夛田 義朝(ただ よしとも)
夛田 義平(ただ よしひら)義朝の長男
:
夛田 頼朝(ただ よりとも)義朝の三男
夛田 範頼(ただ のりより)義朝の六男
夛田 義経(ただ よしつね)義朝の九男
であって、夛田頼朝は、ご存じの通り鎌倉幕府初代将軍となるが、その子、
夛田 実朝(ただ さねとも)
の代で滅亡する。一部の子孫が支流を反映させる。
能勢氏(のせ)
中川氏(なかがわ)
高山氏(たかやま)
:
まぁ恐れ多くも主家を差し置いて源氏の嫡流などという嘘をついた(この描写は、先のドラマ「鎌倉殿の13人」でもあった)ことも祟ったのだろう。でも全国に夛田氏・多田氏が散らばったのは、この河内源氏が幕府開府した功績によるところが大きい。
皮肉なことに、清和源氏ではなく宇田源氏にはなるが、
近江源氏 佐々木氏
が数ある源氏の中で最も栄えている一族である。そこから派生した京極氏、尼子氏、木村氏、などなど合わせると500万人に達することが考えられており、日本でも4大大族の一つに数えられる。佐々木氏、尼子氏、木村氏は、広島県に最も多く分布しており、北は北海道、南は沖縄までまんべんなく子孫が反映している。一族で2番目に栄えた京極氏の家紋は、某航空会社の鶴のマークで有名。佐々木氏嫡流は六角氏(六角精児は子孫)を名乗った。
信濃源氏 村上氏
河内源氏馬場氏の支流。馬場氏のひとりが信濃村上荘に流罪になったことから始まる。
戦国期には村上義清という、名将を生み出した。その支流には、
播磨源氏 赤松氏
がある。この赤松氏は、夛田頼朝が鎌倉幕府を開府したことができた功臣の一人、
北条 義時(鎌倉幕府2代執権)
の婿になったことから反映することになる。
その氏族は全国に散らばり、
別所氏(べっしょ)
上月氏(うえづき)
小寺氏(こでら)
山田氏(やまだ)
福原氏(ふくはら)
石野氏(いしの)
赤木氏(あかぎ)
:
と多くの支流を生んだ。
信濃源氏 小笠原氏
基は甲斐源氏武田の支流だが、鎌倉幕府功臣、初代執権
北条 義政(初代執権)
の婿になったことから、大いに繁栄することになる。
その子孫は多くの支流を生み出し、戦国大名などに発展していく三好氏なども出すことに。
水上氏(みずかみ)
跡部氏(あとべ)
三好氏(みよし)
赤沢氏(あかさわ)
三村氏(みむら)
林氏(はやし)
浅羽氏(あさは)
大井氏(おおい)
長坂氏(ながさか)
大倉氏(おおくら)
:
木曽源氏 木曾氏
義仲の代に、夛田義経に滅亡させられ、その嫡子義高も殺害され滅亡する。
しかしその支流の一部は栄え、
上松氏(うえまつ)
大石氏(おおいし)
:
などを出した。
常陸源氏 武田氏
元々は、摂津源氏 馬場氏 を祖としている。
その子孫は、
若狭源氏 武田氏
甲斐源氏 武田氏
などなど全国にその拠点を構えた。
鎌倉期に、夛田頼朝が源氏の棟梁を名乗った時に当初認めがたかったのは、源氏の嫡流ではない頼朝が棟梁を名乗ったためだった。戦国期における武田晴信(信玄)の時代の武田家家格を見てみると面白い。
馬場信治・山県昌景の方が、武田晴信よりも家格が上なのだ。この武田家の支流で最も有名なのが、現在の甲府市の南の身延方面に居を構えたことから、甲府の南部の身延という苗字が短くなった、
南部氏
がある。甲斐源氏 南部氏とも呼称する。津軽北上を支配した南部氏は、甲斐源氏武田の支流である。
他の支流としては、
逸見氏(いつみ)
加賀美氏(かがみ)
安田氏(やすだ)
浅利氏(あさり)
:
などがある。
下野源氏 足利氏(喜連川氏)
武家の中でも河内源氏の孫の代から脈々とその家名を保った源氏の中でも馬場氏に並ぶ清和源氏の名門。その支流には、
細川氏(ほそかわ)>細川護熙元首相は子孫
斯波氏(しば)
小林氏(こばやし)足利斯波氏流
畠山氏(はたけやま)
今川氏(いまがわ)
吉良氏(きら)
一色氏(いっしき)
加古氏(かこ)
小俣氏(おまた)
石橋氏(いしばし)
渋川氏(しぶかわ)
大崎氏(おおさき)
上野氏(うえの)
桃井氏(ももい)
平島氏(ひらしま)
仁木氏(にき)
:
と見たことのある有名な氏族多くが並び、室町期を境にして全国に散らばった。
上野源氏 新田氏
下野の足利氏と対立したことと併せ、鎌倉幕府将軍家と同じ河内源氏夛田氏の支流であったために、貧乏御家人としてうまく発展できなかった。しかし、清和源氏で東国武士であるにも関わらず、時代の流れに逆らった天皇方についた新田義貞を出している。その支流には、
山名氏(やまな)
里見氏(さとみ)
世良田氏(せらた)
大舘氏(おおだて)
堀口氏(ほりぐち)
得川氏(とくがわ)
:
などがある。三河の地侍である松平氏は、その先祖を新田支流世良田氏、得川と名乗り、家康自身のみ河内源氏夛田氏流徳川氏を自称したが、改竄捏造である証拠が数多く残っている。世良田氏流得川は、徳川と何ら関係は無いとされ、江戸幕府将軍家徳川氏の尊卑分脈は実際の所不明である。
松平氏であることから、桓武平氏を先祖にもつ可能性が指摘されている。
美濃源氏 土岐氏
摂津源氏馬場氏を祖とする。一族上げて室町幕府将軍家下野源氏足利に従ったため、大いに発展した。その支流には、
金森氏(かなもり)
浅野氏(あさの)
明智氏(あけち)
石谷氏(いしや)
多治見氏(たじみ)
蜂谷氏(はちや)
原氏(はら)
肥田氏(ひだ)
:
など数も多い。
清和源氏の一部になってしましますが、皆さまの苗字はありましたでしょうか。
日本人の90%は天皇の子孫、80%は藤原道長の子孫と言われ、ほとんどの方のルーツは僅か4家族ほどに纏められるとも言われています。
面白いですね。