『鎌倉殿の13人』を視聴しました。
内容が濃すぎて衝撃。
2代執権に「江間 義時」が就任しました。
この時代に本当に生まれなくてよかったと思います。
権謀術数渦巻く鎌倉幕府の成立期は当に地獄絵図そのものでした。あらためてそう思います。心底嫌。
史実の重厚さと奥の深さはフィクションとは比べ物になりません。
どちらかと言うと、末期太平記の時代の3つ巴の争い。いや、結果的には4つ巴の争いの方が憎々しく、泥々しくも嫌い。
そんなことを考えていたら、太平記を纏めたくなりました。
俄仕立ての歴史蘊蓄に対して、プロの歴史オタクの方々からお叱りを受けそうですが(笑)
(1)ガタガタに傾いた孤立無援の鎌倉を悲しいまでも守り抜こうとする最後の執権 赤橋 守時、その前15代執権 金澤 貞顕、そして 得宗家(北条本家)北条 高時 達鎌倉方。
(2)あらゆる御家人から支持され、後世天皇に反旗を翻したとの烙印を押された源氏の名門足利高氏。
(3)古の過ぎ去った栄光を追い求めて強権を発動して、庶民や御家人から愛想を尽かされた後醍醐天皇と楠木らを始めとした北朝方。
(4)兄の栄光を背中を追い続けて、兄を僻んだ直義。
現代風に言い換えれば、ロシアプーチンは後醍醐天皇。
苦しくも背中に世界を背負い戦い続けるゼレンスキーは足利高氏。
過ぎ去った過去を、戻らない過去を忠誠だけで従う楠木らは、当に親露派だろう。
直義は誰?
空気を読めず、時代を読めず、世の中を敵にまわした後醍醐天皇を裏切ったとした足利尊氏を評価しなかった大日本帝國は滅びました。
歴史を直視して、正しく何を、どうして、と考えていかなければ、勢いや、虚勢でどうにでもなることはありません。虚像を信じるなどもっての外です。
太平記の時代も、滅びる側は必ず権力欲に溺れた愚臣が暗愚な当主を欺く、という図式。
そして新たな時代を切り開くのは佞臣、いや功臣がいる側でした。
前者は、平 高綱(たいらの たかつな)、後者は 高 師直(こうの もろなお)
日本人が誇る古典 『忠臣蔵』 では、仇討ちされる側となる 高 師直 ですが、今までの日本人が何故こうまでして進歩を嫌い、保守的な考え方になるのかも歴史を紐解いていく上ではとても重要な観点だと思います。
横道にズレますが、この忠臣蔵をモデルにした、新訳:忠臣蔵という歌舞伎を製作し、仇討ちされる側は 吉良 義央(きら よしひさ)上野介に置き換えられ、今では本家本元の忠臣蔵との知名度は逆転現象となってしまいました。元々徳川幕府を批判するつもりの隠れ蓑という側面はあったとは言え、メディアに踊らされやすい日本人の特徴でもあります。
鎌倉殿を見た後、水生の魔女を視聴しながらこの記事書いていますが・・・
悲しい・・・・
では。