「ルールに基づく国際秩序」という魔法の言葉 | きなこのブログ

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「ルールに基づく国際秩序」
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これが「ルールに基づく国際秩序」の姿なら、我々にとって、それがない方が良いのではないだろうか。

 

ケイトリン・ジョンストン
2024年1月16日

この英語記事の朗読を聞く(ティム・フォーリーによる朗読)。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、ガザの焼却と、それを阻止しようとしているイエメン軍への爆撃を許している。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、欧米が支援するサウジアラビアの残虐行為によって、イエメンで何十万人もの人々が殺害されるのを許した。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、NATO諸国が世界を脅かす代理戦争をウクライナで故意に挑発するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、欧米諸国と地域パートナーが重武装したファシスト過激派でシリアをあふれさせ、恐ろしい内戦に突入するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、シリアの天然資源を支配し、再建を阻止するために、アメリカが侵略してシリアの広大な領土を占領するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、欧米が支援する部隊が「人道的介入」を装い長年望んでいた欧米による政権転覆作戦でカダフィを殺害した後、リビアを混沌とした地獄絵図に変えるのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、意図的なウソプロパガンダのキャンペーン後、イラク侵略でこの地域全体を不安定化させ、何百万人もの死者を出すのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、アフガニスタン侵略と、嘘と腐敗に支えられた何十年にもわたる占領を可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、アメリカの戦争犯罪を暴露したジャーナリズム活動のかどで、ジュリアン・アサンジの投獄を可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」沖縄イラクやシリアなど、そこに暮らす人々が駐留に猛烈に反対している場所を含め何百もの米軍基地で地球を包囲するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、アメリカとその同盟諸国が、イエメンイラクベネズエラなどの国々での包囲戦術で、膨大な数の民間人を殺害するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、アメリカが意のままに世界中で無数の選挙に干渉し、いつでも不都合な政府を強制的に打倒するのを可能にしてきた。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、想像を絶する恐ろしい将来の紛争に備えて、急速に増大する米軍基地と戦争機構で中国を包囲するのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、核武装したロシアと中国に対する瀬戸際政策を急速にエスカレートさせ、アメリカが世界を新たな冷戦に突入させるのを可能にした。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、これまで考え出された中で最も強力なプロパガンダ体制によって文明が支配されるのを可能にし、自分たちは自由だと信じ込まされ、洗脳された歯車のような連中マインドコントロールされたディストピアを生み出した。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、益々不透明な政府の秘密の壁の背後に計り知れない量の政府の不正行為を隠すのを許してきた。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、億万長者企業や社会病質者の政府機関の権益に普通の人々の利益が従属させられるのを許してきた。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、強力な金権政治家を富ませるため、生態系を破壊するのを許してきた。

 

「ルールに基づく国際秩序」は、絶え間ない流血と増え続ける専制政治を犠牲にして、地球が極端な殺戮と腐敗の帝国に支配されるのを許してきた。

 

「ルールに基づく国際秩序」こうしたことを許しているなら、一体どんな「ルール」のことを言っているのだろう。

 

そして、そのルールは一体どんな「秩序」を維持しているのだろう?

 

これが「ルールに基づく国際秩序」の姿なら、我々にとって、そんなものはない方が良いのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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