枝野立憲が大惨敗した本当の理由
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10月31日総選挙の核心は枝野立憲大惨敗。
サブの核心は岸田自民大勝と維新躍進。
岸田自民大勝と維新躍進をもたらした原動力は枝野立憲大惨敗にある。
立憲大惨敗について事実を歪曲する報道が展開されている。
歪んだ情報流布の背景に大きな思惑がある。
それは野党共闘の阻止。
私は今回総選挙での立憲民主敗北を予想してきた。
最大の理由は立憲民主が野党共闘に背を向け続けたこと。
10月22日発売の『月刊日本2021年11月号』に「抜本改革不可欠は野党」と題する論考を寄せている。
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立憲民主の惨敗を予想した。
この論考では総選挙後に岸田首相が自民党幹事長と外相を交代させる可能性についても言及している。
岸田氏は総選挙後に林芳正氏を外相に起用する案を保持していたと考えられる。
総選挙後に幹事長を交代させて岸田体制を構築することも予め想定していたと考えられる。
立憲の枝野氏は岸田首相を選ぶか枝野首相を選ぶかの選挙であるとの主張を展開したが、日本の主権者が選択したのは岸田首相だった。
岸田氏と枝野氏の選択を迫られれば多くの主権者が岸田氏を選択するのは順当だ。
今回選挙の最大の特徴は枝野立憲が忌避されたこと。
比例代表選挙の立憲得票率(絶対得票率=全有権者に占める得票の比率))は11.2%。
国民民主投票率を合わせて13.7%だった。
2017年選挙における立憲民主と国民民主の得票率合計は20.0%。
6.3%ポイントも得票率を下げた。
全体投票率が53.7%から55.9%に上昇したのに、得票率が20.0%から13.7%に低下した。
枝野立憲が支持されなかった最大の理由は枝野幸男氏が野党共闘に背を向けたことにある。
私はこの点を再三指摘し続けた。
その上で、多くの主権者が立憲民主支持から手を引くことを予想した。
枝野幸男氏が野党共闘に背を向けたことを受けて、多数の主権者が立憲民主への投票をやめた。
これが真実だ。
ところが、メディアは立憲民主が野党共闘に進んだために立憲民主が議席を減らしたとの真逆の報道を展開している。
このような情報誘導も想定の範囲内。
日本政治支配を維持しようとする勢力にとっての天敵は「野党共闘」なのだ。
2009年に鳩山政権が誕生した影の主役が「野党共闘」だった。
共産党の候補者取り下げの協力なくして2009年の政権交代実現の偉業を語れない。
民主党の小沢一郎氏が主導して野党共闘の素地を固めた。
今回の総選挙直前に枝野幸男氏は記者に対してこう述べた。
「「野党共闘」というのは皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは使っていません。
あくまでも国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。
共産党さんとは(共産、社民、れいわの3党と一致した政策に)限定した範囲で閣外から協力を頂く。」
枝野氏は、共闘の対象は国民民主と連合であって、共産、社民、れいわとは共闘しないことを宣言した。
10月23日に都内で行われた市民団体のイベントでは、立憲民主党の枝野幸男代表が共産党の志位和夫委員長との記念写真撮影を拒絶した。
枝野氏は野党共闘を推進したのではなく、野党共闘に背を向ける対応を示し続けた。
この事実に触れず、立憲民主が野党共闘にまい進したとの報道は完全な誤報。
意図的誤報である。
枝野氏が野党共闘を否定したため、野党共闘を求める主権者が立憲民主を支持しなかった。
これが立憲民主党の比例代表選挙での惨敗をもたらす主因になった。
枝野幸男氏は総選挙大惨敗の責任を取って辞任するしかない。
その上で、立憲民主党は「野党共闘推進派」と「野党共闘否定派」に分離するべきだ。
「野党共闘否定派」は国民民主と合流し、
「野党共闘推進派」は「れいわ」、「社民」と合流するのが適切だろう。
主権者の視点に立って野党再編を断行することが求められる。
野党版「桜を見る会」
立憲民主党がれいわ新選組に圧力
立憲民主党がれいわ新選組に圧力 2
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有権者を裏切った政治家が支配する政党を有権者が信頼しないことを示した総選挙
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111020000/
選挙は庶民が政治に参加する合法的な手段だが、それだけで政治を変えることが困難だということを庶民は理解している。
だからこそ、庶民に選挙権が与えられているという見方もある。
庶民が選挙に関心を持たなくなっても不思議ではない。
2009年8月の衆議院議員総選挙も庶民に選挙で政治を変えられないと再確認させることになった。
この選挙で民主党が勝利、翌月に鳩山由紀夫が総理大臣に就任したのだが、鳩山を支えていた小沢一郎がマスコミや検察から攻撃を受けた結果、2010年6月に退陣する。
この攻撃は捏ち上げに近かった。
鳩山から首相の座を引き継いだ菅直人は消費税の増税と法人税の減税という巨大企業を優遇する新自由主義的政策を打ち出して庶民からの支持を失っただけでなく、中国との関係を悪化させる行動に出た。
いずれもアメリカの私的権力が望む行動だ。
菅直人の後、2011年9月に首相となった野田佳彦も菅直人と基本的に同じように新自由主義に基づく社会を築く政策を進め、選挙になれば敗北することが確実な情勢の中、12年12月に内閣総辞職した。
総選挙で民主党は惨敗、安倍晋三グループの新自由主義体制を生み出すことになる。
この時の民主党の体制を引きずっている政党を有権者が信頼するとは思えない。
ところで、安倍の背後にはネオコン系シンクタンクのハドソン研究所で上級副所長を務めるI・ルイス・リビー、通称スクーター・リビーがいた。
この人物はエール大学の出身だが、そこでネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツの教えを受けている。
鳩山政権の崩壊は鳩山自身の性格も影響しただろうが、それ以上に重要な原因はアメリカの私的権力に嫌われたこと。
例えば、2009年から11年までNSC(国家安全保障会議)のアジア上級部長を務めたジェフリー・ベーダーは講演会で鳩山の「東アジア共同体構想」を罵倒し、日米関係の最大の懸念だったと語っている。
この構想は「友愛精神」に基づく「東アジア共同体」を築こうというもの。
アメリカの覇権を否定していないが、日本・中国・韓国を中心とした東アジアが集団安全保障体制を構築し、通貨の統一も実現すべきだとされ、自立の道を示している。
この構想をアメリカの私的権力が許すはずはなかった。
日本よりアメリカから自立していたフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は1991年に「ヨーロッパ軍」を創設しようと試みたが、潰されている。
新たな軍事組織を作ろうとした理由は、NATOがヨーロッパを支配するアメリカの仕組みだからだ。
この仕組みを壊さない限り、ヨーロッパは独立できない。
統一通貨を作ることもアメリカの私的権力を刺激したはずだ。
アメリカは基軸通貨としてのドルを発行する権利を握ることで支配システムを維持してきたわけで、それを崩すことはアメリカの支配システムを崩すことにつながる。
新たな通貨を創設するにしても、アメリカの私的権力は自分たちがその中心になろうとする。
アメリカをはじめとする欧米諸国の支配から脱するため、ドル体制から離脱しようという動きはあった。
例えば、イラクのサダム・フセイン政権は2000年に石油取引をドルからユーロに変更する姿勢を見せ、
その2年後には通貨危機を経験したマレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相が金貨ディナールを提唱、
リビアのムアンマル・アル・カダフィはアフリカを自立させるために金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にしようとした。
イラクのフセイン体制やリビアのカダフィ体制はアメリカ主導軍による軍事侵略で倒されている。
アメリカほどではないが、日本でも選挙は資金力がものを言う。
有権者を操るため、自分たちに都合の良い情報を流して信じさせ、都合の悪い情報を封印するためにメディアが使われるが、その仕組みを作り上げるためにも資金は必要。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカでは第2次世界大戦から間もない頃から情報を統制するためのプロジェクトを開始、記者や編集者を買収するだけでなく、メディア自体を経済的に支配してきた。
投票システム自体の不正も指摘されている。
2000年のアメリカ大統領選挙ではバタフライ型投票用紙などが原因で混乱したが、その際、投票マシーンの不正が話題になった。
こうしたシステムを開発している会社と政治家の関係が指摘されたほか、DESI(ダイボルド・エレクション・システムズ/現在の社名はプレミア・エレクション・ソリューションズ)の機械が実際の投票数と違う数字を集計結果として表示することを大学などの研究者が指摘していた。
問題になった機械に限らず、コンピュータ化が進めば投票結果の操作は容易になる。
2000年の大統領選挙ではジョージ・W・ブッシュとアル・ゴアが争っていたが、ゴアへの投票を減らすため、怪しげなブラック・リストや正体不明の「選挙監視員」による投票妨害が報告されている。
正当な選挙権を行使できなかった市民が少なからずいたと報告されている。
集計の過程でゴアの得票が減っていると指摘する報道もあった。
2016年の選挙ではヒラリー・クリントン陣営がブッシュと同じ手法を使うのではないかと疑われていた。
クリントンは戦争ビジネス、金融機関、ネオコンと緊密な関係にある人物だ。
アメリカでは金権政治を司法システムが支援している。
例えば2010年1月にアメリカの最高裁は、非営利団体だけでなく営利団体や労働組合による政治的な支出を規制してはならないと決めた。
つまり、「スーパーPAC(政治活動委員会)」を利用すれば無制限に資金を集め、使えるということであり、富豪や巨大企業による政治家の買収を最高裁が認めたということである。
選挙の後、資金提供の見返りとして富豪や巨大企業が望む政策が進められるわけだ。
アメリカの国際政策がシオニストに握られている理由もここにある。
こうした仕組みを作っても支配層にとって完全ではない。
ネオコンなど好戦派はどうしても2000年の選挙で勝つ必要があったのかもしれないが、立候補しないと言っていた人物を警戒していた。
実は、選挙の前年、1999年に大統領候補として最も支持されていた人物はブッシュでもゴアでもなく、ジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりジョン・F・ケネディ大統領の息子だった。
1999年前半に行われた世論調査ではブッシュとゴアが30%程度で拮抗していたのに対し、ケネディ・ジュニアは約35%だったのだ。
ケネディ・ジュニアが民主党や共和党から独立した形で出馬したなら、投票数で勝つ可能性もあった。
しかし、こうした事態は生じなかった。
1999年7月、ケネディ・ジュニアを乗せたパイパー・サラトガが目的地のマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島へあと約12キロメートルの地点で墜落、ケネディ本人だけでなく、同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテも死亡している。
墜落地点から考えて自動操縦だった可能性が高く、操作ミスだった可能性は小さい。
JFKジュニアが乗っていた飛行機にはDVR300iというボイス・レコーダーが搭載され、音声に反応して動き、直前の5分間を記録する仕掛けになっていたが、何も記録されていない。
また緊急時に位置を通報するためにELTという装置も搭載していたが、墜落から発見までに5日間を要している。
選挙はブッシュ・ジュニアが勝利して大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて国内の収容所化と国外での軍事侵略が本格化した。
2000年の上院議員選挙では投票日の3週間前、ブッシュ・ジュニア陣営と対立関係にあったメル・カーナハンが飛行機事故で死んでいる。
このカーナハンと議席を争っていたのがジョン・アシュクロフト。
選挙では死亡していたカーナハンがアシュクロフトに勝っている。
このアシュクロフトをジョージ・W・ブッシュ大統領は司法長官に据えた。
2002年には中間選挙が行われた。
この段階でイラク攻撃に反対する政治家は極めて少なかったが、少数派のひとりがミネソタ州選出のポール・ウェルストン上院議員だ。
そのウェストン議員は投票日の直前、2002年10月に飛行機事故で死んでいる。
「雪まじりの雨」という悪天候が原因だったと報道されているが、同じ頃、近くを飛行していたパイロットは事故を引き起こすような悪天候ではなかったと証言、しかも議員が乗っていた飛行機には防氷装置がついていた。
しかも、その飛行機のパイロットは氷の付着を避けるため、飛行高度を1万フィートから4000フィートへ下降すると報告している。
その高度では8キロメートル先まで見えたという。