徹底抗戦なくして辺野古米軍基地阻止はない
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c14d.html
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c14d.html
辺野古米軍基地建設問題で重要なことは、「辺野古に基地を作らせない」ことである。
沖縄県知事の翁長雄志氏の評価はこの一点によって決まる。
そうは言っても、不可能を可能にすることはできない。
公約実現に向けて最善を尽くしたのかが問われる。
司法は権力機関であり、権力の中核である内閣に隷属する位置にある。
個別の裁判官が、例外的に行政権力の意思に反する判決を示すことが稀に存在するが、上級審では、こうした反政府の判断は覆される。
その源泉は日本国憲法が内閣に最高裁長官及び最高裁裁判官、さらに下級裁判所裁判官の人事権を付与していることにある。
この人事権を通じて、内閣は司法権の上位に位置している。
そして、司法権の上位に位置する行政権力の上位に、日本を支配する米国が君臨している。
その典型事例は、1959年12月16日の最高裁による砂川事件判決に表れている。
この裁判では、東京地方裁判所の伊達秋雄裁判長が1959年3月30日に、
「米軍駐留は日本国憲法第9条第2項が禁止する戦力の保持にあたり違憲であり、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」
として被告人全員を無罪とした。
これに対して検察は直ちに最高裁判所へ跳躍上告し、同じ年の12月16日に最高裁が、
「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、外国の軍隊は同条が禁止する戦力にあたらないから、米軍駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。
他方、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない(統治行為論採用)」
として原判決を破棄し地裁に差し戻した。
この裁判における異例の跳躍上告、および、異例のスピードでの最高裁判決の背後に米国の関与があった。
東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」判決を受け、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけ、最高裁長官・田中耕太郎と密談したりするなどの介入を行なっていたことがのちに明らかになった(Wikipedia)。
米国が跳躍上告を促し、一審判決を覆すための工作活動を展開したのは、1960年に日米安全保障条約の改定が予定されていたからで、このために1959年中に米軍駐留合憲の判決が示されることを求めたのである。
のちに各種資料から、最高裁長官の田中耕太郎がマッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが明らかになった(Wikipedia)。
さらに、アメリカ国立公文書記録管理局における公文書分析により、田中判決がジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による
“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”
という理論により導き出されたものであることも判明している(Wikipedia)。
また、田中耕太郎は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、
「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」
と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をしたとされている(Wikipedia)。
これらの一連の経過について、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに
「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」
とコメントしているはている(Wikipedia)。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、翁長雄志知事が沿岸部の埋め立て承認を取り消した処分を撤回しないのは違法だとして、国が知事を相手に起こした訴訟で、福岡高裁那覇支部は9月16日、知事の対応を「違法」と判断し、県側敗訴の判決を示した。
国が提訴したのは7月のこと。
驚くスピードでの判決提示である。
国と沖縄県は3月に、国が翁長雄志知事を訴えた代執行訴訟で和解している。
和解の要旨は、
1.国と県は訴訟を取り下げ、国は埋め立て工事を中止する
2.国と県は円滑解決に向けた協議を行う
3.訴訟となった場合、国と県はその判決に従う
というものである。
この和解を沖縄県が受け入れると、「訴訟となった場合、国と県はその判決に従う」の言葉の意味がのちに重大問題にあることを指摘してきた。
裁判を起こせば、最終的には国が勝つ。
裁判所は独立性を有する司法機関ではなく、政治権力、行政権力に追従する権力機関であるからだ。
したがって、「辺野古に基地を作らせない」公約を守るためには、ありとあらゆる手段を講じて、時間を稼いでゆくしかないのである。
その意味で重大なカギを握ったのは、本体工事に着手するための事前協議書の受理だった。
沖縄県がこれを受理したために本体工事が着手されたのである。
この前に徹底抗戦が必要だった。
これこそまさに、2014年11月の沖縄知事選の当初から懸念されていたことである。
最高裁判決は2017年春にも示される可能性が高い。
沖縄県が敗訴することを前提に、それでも「辺野古に基地を作らせない」公約を守るための徹底抗戦の戦術を提示する必要がある。
沖縄辺野古裁判で、政府が全面勝訴。政府寄り裁判長では勝ち目がない。
http://31634308.at.webry.info/201609/article_17.html
http://31634308.at.webry.info/201609/article_17.html
政府が、翁長知事の辺野古の埋め立て許可取り消しは不当だと告訴していた福岡高裁那覇支部の裁判で、翁長知事側が全面的に負けた。
今回の結果は、当初から、県側が負けると思っていた。
なぜなら、今回の裁判は、政府側から沖縄県を告訴したからだ。
裁判は、双方にとって最後の砦だ。
一般に弱い立場の県の方が、強権による不当を訴えるということが普通である。
それが、国の方が県を告訴したのだ。
裁判が公平なら、勝ち負けは50%:50%である。
余程、勝てる自信がなければ告訴しない。
この裁判を担当した裁判長は、Wikiで調べると以下のように書かれている。
多見谷 寿郎(たみや としろう)は日本の裁判官。
福岡高等裁判所那覇支部支部長(2015年10月30日発令)。
司法修習36期。
普天間基地移設問題で、国が沖縄県知事の承認を得て埋立てを準備していた水面について、翁長雄志知事が埋立ての承認を取り消したのに対して、国が知事に取消しの取消しを求めている訴訟において裁判長を務めている。
この訴訟が提起される直前に那覇支部長に着任したことから、沖縄県のある幹部は「タイミングが“絶妙”すぎて意図的なものを感じる」との所感を持った。
2016年9月16日、「普天間飛行場の被害を除去するには埋め立てを行うしかなく、県全体としては基地負担が軽減される」として、仲井眞弘多前知事の埋め立て承認は違法ではなく翁長の取消処分こそ違法と結論付けた。
名古屋地方裁判所時代は、トヨタ自動車の元従業員の死因を過労死と認定した裁判、デンソーからトヨタ自動車へ出向中の従業員がうつ病を発症したことにつき両社の責任を認定した裁、従業員が退職後に中皮腫を発症したことにつき中部電力の責任を認定した裁判などを担当した。
一方で、千葉地方裁判所時代には2011年に提訴された浦安市・議会への政務調査費返還請求訴訟で原告請求を棄却、2013年の成田空港訴訟では土地明け渡しを命令するなど、行政訴訟では行政寄り判決を出す例が目立つという。
上記の記事に、なぜ沖縄県側が負けたかという理由が書かれている。
多見谷裁判長は、過去の判例が行政寄りで、且つ、国が訴訟を起こした直前に那覇支部に転任となっている。
裁判官の異動は、最高裁事務局が行う。
最高裁は司法省の行政機関で、事務局長などは政府の任命である。
裁判官がどんな裁判判決を出すかは、調査済であると思っている。
今回、国が絶対に負けない判決を出すであろう裁判官を、那覇支部に赴任させたと思っている。
もしくは、偶々多見谷裁判官が赴任したので、政府はこれは絶対に勝てると思って告訴したと考えている。
小沢氏の検察審査会員の不正な操作などを見れば、その位のことは、朝飯前のようにやってしまうと思っている。
今回の判決は、日米関係に不都合なことは、地方自治より大事ということで、今後このようなケースの場合、自治体は何も言えなくなる判例となるだろう。
翁長知事は、最高裁に上告するというが、正直言って非常に厳しいと思っている。
最高裁も裁判官は政府が任命する。
当然、政府側よりの裁判官が多いからだ。
政府に対抗するには、知事の権限行使でしか対抗できないと思っている。