「自衛隊員は本当に人が撃てるのか」と書いた毎日の記事は国民必読だ
http://天木直人.com/2016/06/09/post-4689/
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6月7日の毎日新聞に日本国民必読の記事を見つけた。
それは今度の参院選の争点のひとつである安保法制についての記事だ。
「自衛隊 準備なき大転換」という見出しのその記事の要旨はこうだ。
まず、その記事の冒頭に、取材に応じた狙撃訓練を積んできた現役自衛官の次のような言葉が紹介されている。
「表情までくっきりとわかるんですよ」
スコープ越しに見る「相手」は、いつもびっくりするほどクリアだという。
「その時」が来たら、職務で引き金を引くしかないと思っている。だが・・・
「命中した瞬間、血がバーッとなっちゃいますよね。その映像が頭に残っちゃいますよね」
「引き金は引けても、目をつぶってしまうだろうなあ」
別の自衛隊員も言う。
「実際に撃てるかどうか、その時になって見ないとわからない」
この記事を読んだ時、私は10年ほど前に会った米国のベトナム戦争帰りの元海兵隊員、アレン・ネルソン氏の言葉を思い出した。
イラク戦争に反対して外務省を解雇された私は、にわか平和主義者のごとく、全国の平和集会に呼ばれて講演して回った時があったが、その時、講演先で知り合ったのがアレン・ネルソン氏だ。
立派な人物だった。
心強い同志を得たと思ったのもつかの間、病に倒れて今はいない。
その彼の言葉がいまよみがえる。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になったアレンは、ある日、小学校の先生になっていた高校の同級生に出くわし、彼女の強いすすめで、クラスの子どもたちにベトナム戦争の話をするようになる。
話し終わって質疑の時間になり、ひとりの女の子が立ち、アレンをまっすぐに見詰めてこう聞いたという。
「ネルソンさん、人を殺したんですか?」
すぐに答えられなかったアレンは、子どもたちの素直な顔を見ていると嘘をつくわけにいかず、目をつぶってやっとの思いで。「イエス……」と答えたという。
すると、驚くべきことに、子どもたちは逃げ出すどころか、立ち上がって一斉に自分のところに駆け寄ってきて、一人ひとりがしっかり抱きしめてくれたという。
この出来事がアレンを立ち直らせ、以来反戦を訴え続けるようになったという。
ベトナム戦争帰還兵が語る戦争の現実はすさまじいものだった。
・・・深夜、あるいは早朝、人々が寝静まっているときに村に火を放って、逃げ惑う村人を見境なく撃ち殺す、武器を持っている兵士相手ではなく、無防備の村民を殺す、上官からは何も考えずにただ命令に従え、と言われる・・・
最前線で死ぬか生きるかの瀬戸際で上官の命令で無実の非戦闘員も殺さなければならないような状況に追い詰められた米兵の姿がそこにある。
日本の自衛隊員が、いままさにその米軍の指揮下に入り、米兵と行動を共にすることになるのだ。
そんなことが、安倍首相の鶴の一声で出来た安保法の下で、出来るのだろうか。
出来るはずがない。
いや、そもそも安倍首相は、そのような事を自衛隊員にやらせる覚悟で安保法を強行成立したのか。
そんな覚悟が安倍首相にあるはずがない。
この毎日新聞の記事は、また次のような戦争外傷の事を書いている。
元自衛隊の衛生官が「日本安全保障・危機管理学会」のセミナーで語ったという。
スクリーンに映し出された画面には、仕掛け爆弾で四肢がすべて吹き飛ばされた米兵がいる。
「もしかしたらこんな姿の自衛官が出るかもしれません。そういう時代に日本は入ったという事です」
そしてその元自衛官は4年前の米国研修で経験した苦い思い出を次のように語ったという。
自衛隊員が携行する救急品について米軍関係者に聞かれ、
「包帯くらいしか持っていない。(救急)訓練もそんなにやらない」
と答えたら、返ってきた言葉は、
「自衛隊は頼りにならない」
だったと。
その米国はいまどういう国になっているのか。
戦争外傷の若い帰還兵が国中に溢れ、一大社会問題になっているのだ。
この事もまたアレン氏が警告していた通りだ。
戦後70年間、戦争と無縁だった日本は、その幸運さに感謝しなければいけない。
安保法が出来たからと言って日本国民がそれに黙って従うほど馬鹿ではない。
この毎日新聞の記事を読めば誰もがそう思うに違いない。
私が国民必読の記事だと書いた理由がそこにある
(了)