日航123便墜落からの安保法案 | きなこのブログ

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123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201508/article_62.html

事故30周年を記念して、123便の機体の一部が浅い海で見つかったという話には、ちょっと、首をかしげてしまいます。

「尻もち事故で、圧力隔壁が損傷したので、隔壁の一部を暴飲愚社が交換した。その際、修理ミスがあって強度不足のため、空中で破損し尾翼など、尾部を吹き飛ばし、航行不能になった。」

という都市伝説を補強するために、今になって部品が見つかったことにしたのではないか?

と、疑いたくもなります。

事故後一か月で、暴飲愚社は修理ミスを認めた。

だが、結局、暴飲愚もJALも運輸省も誰ひとり訴追されず、責任はうやむやになった。

暴飲愚が泥をかぶることで、真相を隠蔽したけれど、それ以上の追及はさせずに立ち消えにしたということでしょうか?




意外と浅い海に沈んでいたのになぜ今頃?

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(2015/08/12 11:47)


私RKは、以前から、海上自衛隊の無人標的機(ラジコン機)、つまり、ファイヤビーを尾部に追突させと疑っています。

乗客の犠牲者の撮影した映像にも、それらしきものが。




JAL123便墜落と「オレンジ物体」の関係について更に (RK過去文書)


青山さんはパソコン上でこの写真を拡大していったところ、オレンジ色に変色していったという。

画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、

「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます

という。

ネガを直接鑑定すれば、この「オレンジ」正体も分かるだろう。

123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。

「後部圧力隔壁損壊」では横揺れは起きないという。

この「オレンジ」が右方向から123便に接近しているとすれば、この「オレンジ」と123便墜落との間に重要な関連があるとは言えまいか。」

123便には、恐喝犯との秘密交渉を終えて社に戻る途中のハウス食品の社長が搭乗していたのでは?

インサイダー取引で儲ける統一キチガイ教会に口封じを頼まれたのですか、当時、総理大臣だった中曽根元海軍主計中尉殿?




JAL123便の乗客が撮影した向かってくる飛行物体の写真




(1)民間銀行の無からおカネを作る詐欺のからくり


①民間銀行が預金者の現金(例えば100万円)の1%(1万円)を日銀に預託すると、日銀が民間銀行に現金の99倍(9900万円)の与信を与えるのが【準備預金制度】だ。

②この9900万円の与信は、現金でなく通帳に印字されただけの【幻の通帳マネー】である。

③民間銀行はこの9900万円の【幻の通帳マネー】を利子付きで個人や企業や地方自治体や政府に貸し出す。

民間銀行が融資業務を990回くりかえすと最後には9900万円の【幻の通帳マネー】すべてが利子つきで融資されたことになる。

④借り手が元本と利子を民間銀行へ返済する度に【幻の通帳マネー】は現金化され、すべてが返済されると民間銀行の手元には9,900万円の元本と 990万円の利子(金利10%の場合)が現金として回収されるのだ。

⑤すなわち民間銀行は、預金者の現金100万の1%を1万円を日銀に預託するだけで、9,900万円の元本と990万円の利子計1億890万の現金を新たに生み出すのだ!

これこそ、政府と日銀と民間銀行が結託して国民に知らせず国民を騙して国民資産を横領したことになるのだ!

(2)民間銀行と政府と中央銀行による壮大な【国民資産横領】!

民間銀行は政府と中央銀行と共謀してこの壮大な【国民資産横領】によって実体経済の数十倍の規模の【通帳マネー】=投機資金を生み出し世界中の実体経済に寄生し国民生活を破壊して莫大な利益を得てきた。

(3)民間銀行から【信用創造特権】を剥奪して【通帳マネー】を廃止したら各国の国民経済は投機経済から実体経済となり搾取がなくなり国民生活は安定し豊かになる!

民間銀行から【信用創造特権】を剥奪して【通帳マネー】を廃止したら実体経済の数十倍の規模に膨れ上がり投機資金として利益を求めて実体経済に寄生して世界中を駆け巡る【投機資金】が消滅するので、各国の国民経済は投機経済から実体経済となり、搾取がなくなり国民生活は安定し豊かになる。


①日本航空123便の墜落事件!

今から30年前の今日1985年8月12日午後6時58分に羽田から伊丹空港に向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の御巣鷹山に激突し乗 客乗員524名中502名が死亡した。

【関連情報1】

▲鈴木啓功著『金融暴落から戦争に突入する日本国』(成甲書房\1700+税)より抜粋

P280 日航機撃墜事件の[隠された真実]

①*日航役職の話=[うちの機は『北朝鮮のミサイル』に撃ち落された]

②*機長の報告=[当機は『ミサイル攻撃』を受けた]

③*透視=[日本航空=上層部]は[ミサイル攻撃]を[北朝鮮による攻撃]と判断していた]

④*事実①=墜落現場に向かう取材者は日本国政府(警察)に[進行]を阻まれた

⑤*事実②=遺族たちは墜落現場から遠いところに[宿舎]を与えられた

⑥*事実③=地元の消防団は墜落現場に近づくことを「禁止」された

⑦*事実④=事故当日(事件当日)自衛隊は[捜索活動]をしなかった

⑧*事実⑤=日本国政府は[墜落現場=墜落位置]を(二転三転させて)誤魔化し続けた

⑨*事実⑥=航空機墜落の目撃情報は(全部)[無視]された

⑩*事実⑦=目撃情報の中には[別の飛行機も飛んでいた]との証言もあったが[無視]された

⑪*事実⑧=被害者は[尾根の上]と[尾根の半ば]に分散して存在した

⑫*事実⑨=生存者救出の自衛隊は[尾根の上]だけを捜索していた

⑬*事実⑩=自衛隊は[尾根の半ばにいる被害者]には全く気が付いていなかった

⑭*事実⑪=地元の消防団が[尾根の半ばにいる生存者]を発見した

⑮*事実⑫=彼らは「尾根半ば=生存者発見現場」からは[遠ざけられた]

⑯*事実⑬=生存者救出の自衛隊が尾根に到着する前に[尾根にいた集団]が目撃されている

⑰*事実⑭=深夜[尾根に到着した集団]が[生存者を殺害した]をとの情報もある

⑱*1985年=[日航機撃墜事件]→[プラザ合意]→[バブル経済]

本書では

[日航機墜落事故の真実]


[米軍のミサイル攻撃による=日航機撃墜事件]

と透視している。

だがその背後には「日本国政府による更なる謀略」も存在するのだ。


【関連情報2】

▲日航123便が群馬県に墜落した10年後、米軍の準機関紙に掲載された記事が日本政府に与えた影響
2015.08.11 櫻井ジャーナル

日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落してから8月12日で30年になる。

羽田空港を離陸して伊丹空港へ向かっていたこの旅客機には乗員乗客524名が搭乗、そのうち520名が死亡している。

この出来事でも運輸省航空事故調査委員会が報告書を出しているが、例によって信頼できる内容ではない。

例えば、「ボーイング社の修理ミスで隔壁が 破壊された」というシナリオを正当化するため、医学的常識は否定されている。

隔壁が破壊されたなら急減圧があったはずだが、機長酸素マスクをつけていな い

異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつ けていないのだが、手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高いのだ。

急減圧しても酸素マスクをつけなければ、3分程度で小学校1年の国語教科書を読む速度が遅くなり、6分30秒を経過すると手に痙攣が見られるようになり、チアノーゼで指先が紫色に近くなることがわかっている。

その当時に出されていた運輸省航空局(現在は国土交通省航空局と気象庁)監修の AIM-JAPAMによると、2万フィートでは5から12分間で修正操作と回避操作を行う能力が失われ、間もなく失神してしまうとしている。

しかし、その件に関し、調査で急減圧実験を担当した自衛隊の航空医学実験隊に所属していた小原甲一郎は、急減圧があっても「人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではない」と主張した。

説得力は全くない。

つまり急減圧はなく、隔壁の破壊が墜落の原因ではない可能性が高いということだ。

では、何が原因だったのかということだが、墜落直前に撮影された航空機の写真を見ると尾翼が消えている。

事故原因を探るため、尾翼を探す必要があり、相模湾周辺の海底を念入りに調べなければならないのだが、運輸省(現在の国土交通省)は調査する意思はなく、尾翼の約7割は回収されていないようだ。

ところで、123便に異常事態が発生したのは羽田空港を離陸した12分後の18時24分

コックピットから東京管制部へ羽田へ戻りたいので、2万2000フィートまで降下したいと連絡、すぐに「操縦不能」と伝えている。

そして18時58分に墜落

その当時、近くをアメリカ軍の輸送機が横田基地に向かって大島上空を飛行中で、日航機の管制に対する最初の緊急コールを聞く。

18時40分のコールは叫び声のようで、尋常ではないと判断した乗組員は横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図り、墜落地点を19時20分に特定、報告している。

運輸省に捜索本部が設置されたのは墜落地点が特定された25分後の19時45分

捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していなければおかしい。

米軍機が墜落現場に到着した直後、厚木基地から海兵隊の救援チームのUH-1ヘリコプター(ヒューイ)が現地に向かい、20時50分には現地へ到着隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されたという。

日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。

命令を受けた後もアメリカ軍の部隊は現場にいたのだが、21時20分に航空機が現れたことから日本の救援部隊が到着したと判断、その場を離れている。

ところが、日本の捜索隊が実際に墜落現場に到着したのは翌日の8時半

10時間以上、救援が遅れたことになるのだが、この遅れがなければ生存者も増えていたと言われている。

この輸送機の話は1995年8月「星条旗」報道された。

C-130に乗っていたマイケル・アントヌッチが当時の状況を詳しく説明している。

墜落直後には箝口令が敷かれていたのだが、なぜアメリカ軍の準機関紙に証言が載ったのか?

1994年に細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」

「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」

というタイトルの報告書を発表、

それに反発した国防大学のスタッフ、マイケル・グリーンパトリック・クローニンは、カート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年2月の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。

1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。

「周辺事態法」が成立した1999年にはNATO がユーゴスラビアを先制攻撃した。

2000年ナイリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した

「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテー ジ報告)」

では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、

「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」

と主張、

「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」

としている。

2001年9月11日の出来事をはさみ、

2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、

03年にはイラク特別措置法案を国会に提出、

04年アーミテージは自民党の中川秀直らに対して

「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」

と言明した。

2005年には

「日米 同盟:未来のための変革と再編」

が署名されて対象は世界へ拡大し、安保条約で言及されていた

「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」

放棄された。

2012年にはまたアーミテージナイが報告書を発表、安全保障関連法案につながっている。

日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれる流れの出発点に「星条旗」日航123便墜落に関する記事はある。

これは偶然なのだろうか?

「星条旗」の記事を日本のマスコミ重要な事実を隠して伝えた。

「星条旗」にも触れられていないが、墜落の原因をアメリカは知っていて日本政府に対する恫喝になる内容だという可能性もあるだろう。





日本国民を生贄 「プラザ合意」


日本操り対策班


日本操り対策班 2


米国の抑止力×日本の抑止力



アメリカの都合で強いられて来たゼロ金利