「1542」番 戦後七十周年企画 なぜ日本は戦争に向かわされたのか(1)。 日本共産党の戦前最後の委員長 野呂栄太郎(のろえいたろう)の命がけの闘いから昭和史の真実が見えてくる。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou
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(戦後七十周年企画 なぜ日本は戦争に向かわされたのか(1)
日本共産党の戦前最後の委員長、野呂栄太郎(のろえいたろう)の命がけの闘いから昭和史の真実が見えてくる。
2015年は戦後七十周年を迎える。
安倍晋三首相が、祖父・岸信介が目指した絶対国防圏の構築に向かってがむしゃらに突き進んでいる。
日本は戦争へ向わされていると憲法学者樋口陽一(リベラル派憲法学者たちのドン)や、小沢一郎たちは警告を発している。
安倍首相の取り巻きたちは、とりわけ売れない評論家である八木秀次は、「安倍首相は憲法改正にまで手をつけるべきだ」と盛り上がっている。
このような動きが国民そっちのけで行われている。
こういうときに、すでに大きな権力を握っている自民党を従来型の反戦平和理論で批判しても肩透かしを食らう。
彼らもまた大きな歴史の流れの中で翻弄されているのに過ぎないのだから。
今年は戦後七十年なのだから、日本国の本当の歴史について勉強するべきときである。
最近の歴史学者たちの本に頼っても当てに出来ない。
なぜなら彼らは自分が専門とする特定の時代の特定の事件のことはよく調べている、だが同時期に起きていた他の諸事件のことは知らないのである。
それが日本の歴史学者たちの世界だ。
粗っぽくでもいいからその時代の全体像を示してくれないと読んでいるほうはチンプンカンプンである。
日本政府が勝手に暴走して愚かな戦争を始めたわけではない。
そのように最初から仕組まれていたのである・・・・という言論を副島先生が打ち立てた。
だから私は、その戦争を止める勢力が必ずいたはずである、という考え方から歴史研究を始めた。
そうすると日本共産党という、戦争に命がけで反対して闘った政党を発見した。
戦前の日本共産党があれほどに頑張ってくれたから、戦争を仕組んだ極悪人たちのことが歴史資料として残って今、炙(あぶ)りだされる。
日本共産党が壊滅することなく反戦活動を続けていれば、日本の沖縄戦や硫黄島の玉砕の悲劇もなかったし、原爆投下や東京大空襲もなかっただろう。
満洲でのソ連による日本の民間人大虐殺もない。
日本共産党亜は、昭和7年(1933年)に壊滅させられた。
この年の2月29日に、作家の小林多喜二(こばやしたきじ)が築地(つきじ)警察署で特高警察たちに撲殺されて死んだ。
同年の5月29日に、京都大学の刑法学者の滝川幸辰(たきがわゆきとき)が大学を免職された(滝川事件)。
そして同年の11月28日に、最後の日本共産党の委員長と呼ぶべき野呂栄太郎(のろえいたろう)が品川警察署に逮捕され、翌年の2月19日に拷問により獄死している(33歳)。
日本共産党を壊滅に追い込んだ当時の政治警察の大親分たちを今こそ、具体的に証拠をあげながら追及し、その仮面を剥(は)ぎ取らないといけない。
1925年(大正14年)に治安維持法が制定されて共産主義者たちへの取り締まりが始まった。
治安維持法は本物の根性の有る共産主義者たちの動きを封じるための法律だった。
このあと共産主義者たちは一斉に逮捕された。
昭和3年(1928年)の1600人、4年の1400人の一斉検挙が大弾圧だった。
彼らは厳しく尋問され、ある者は拷問されて、やがて転向(てんこう)して、多くが非共産主義者になっていった。
以後は、民族運動の右翼になっていった元幹部たちもいる。
これで日本の反戦活動はストップした。
この動きを主導したのが日本の内務省(ないむしょう)だ(敗戦後、内務相は、GHQによって廃止された)。
内務省の下に特別高等警察が作られた。
そこには下級のノンキャリア(今で言えば高卒)の特高警察官がたくさんいる。
幹部たちは、帝大(東大など)を出たエリートたちで、戦後の有名な政治家で言えば、後藤田正治(ごうとうだまさはる)や中曽根康弘(なかそねやすひろ)のような人たちだ。
私は、下級の特高警察たちではなく、その上の東大法学部を出た、日本の政治警察であった内務官僚たちを糾弾する。
現に彼らの一部は、内務省職員として「思想検事(しそうけんじ)」とも呼ばれた。
“初代思想検事”と呼ばれたのは、岩村通世(いわむらみちよ、1883-1965。、明治43年司法省)入省)である。
岩村は、検事総長を務めてゾルゲ事件を最高度から担当し、東條英機内閣で司法大臣を務めた。
敗戦後、GHQに逮捕されてA級戦争犯罪人の指名(デジグネイション)を受けた。
日本共産党を直接弾圧した最高責任者は、安倍源基(あべげんき)である。
安倍は、内務省に入って、昭和7年(1932年)に、初代警視庁特別高等警察部・部長に就任して、日本共産党の弾圧のための取り調べに当たった。
昭和12年(1937年。2.26事件の翌年。中国侵略の本当の開始であるシナ事変=日華事変=と、第二次上海上陸作戦そして南京(なんきんこうりゃく)、その年末に南京大虐殺が起きた)に、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の警視総監になり、敗戦までずっと治安対策の責任者であった。
最後は内務大臣にもなっていた。
彼ら内務(省)官僚こそが、日本の行く末を誤らせた張本人たちであると私は主張する。
それに比べて、内務官僚に無意識のうちに戦いを挑んだ、野呂栄太郎や岩田(いわた)義(よし)道(みち)(再建日本共産党の最高幹部で虐殺された)たちこそは、立派な人たちだった。
アメリカのロックフェラー財閥の大番頭であったアベレル・ハリマン(ハリマン鉄道財閥の2代目。初代のエドワード・ハリマンは優れた経営者で今もアメリカ国民に尊敬されている。ニューヨ-ク・セントラル駅に銅像が有る)から、上手に操られていたソ連の独裁者スターリンの指図・命令からも、独立しようとしていた野呂栄太郎(のろえいたろう)は、本物の革命を日本に起こす可能性があった人だ。
だから日本の内務省が罠にはめて野呂を死なせた。
私はこのことについて、いろいろと証拠をあげながら説明していく。
これから何回もの連載となって長くなるが、宜(よろ)しくお付き合い願いたい。