上田市長を批判した自民党土屋議員の正体見えたり。被災地への修学旅行は意味がないそうだ。
http://31634308.at.webry.info/201408/article_14.html
http://31634308.at.webry.info/201408/article_14.html
先日、自民党の衆議院議員の土屋正忠氏が、長崎市の田上市長が、集団自衛権を批判するなら、国政に出て言えと言ったことについての記事を書いた。
国会議員は集団的自衛権の話は出来るが、市長風情や庶民などは、国家安全保障の話などをするなと言うのだ。
この思い上がりはどこから来るのかと不思議でならなかった。
人を見下したような態度はどこから来るのか。
集団的自衛権を容認することは、相手の戦争に自分から手を貸すということである。
その犠牲になるのは、国会議員、首相ではない。
自衛隊の隊員であり、つまり庶民の子である。
徴兵制は無いと言っているが、戦争が激しくなれば必然的に徴兵制が復活すると考えている。
土屋氏は、米国の若者と同じように日本の若者も血を流さなければならないと思っている自民党のボスの信奉者ということである。
この土屋氏の思い上がった考えの一端が、日刊ゲンダイ紙の記事でわかってきた。
この土屋氏の思い上がった考えの一端が、日刊ゲンダイ紙の記事でわかってきた。
この人物は、広島、長崎の被爆地の修学旅行は意味がないというのだ。
中学生に被災地の原爆資料館を見せても仕方ないという考えのようだ。
確かに被災地を見学しても、平和にはならない。
しかし、実際に戦争の経験のない若者が、原爆資料館に行ってその遺留品を見て、また実際に被ばくされた方の話を聞くことは、集団的自衛権を閣議で容認することよりは余程重要である。
被災地に学生が見学に行っても意味が無いという精神構造の根っこは、市長レベルのものが安全保障の話などしても意味が無いと言っていることと同じである。
被災地に学生が見学に行っても意味が無いという精神構造の根っこは、市長レベルのものが安全保障の話などしても意味が無いと言っていることと同じである。
こんな不遜な議員が選ばれていることに驚く。
今の自公の議員集団は、集団的自衛権容認の共犯者である。
現役の議員誰一人、反対の声を上げていない。
つまり、憲法違憲の法案の共犯者だということを、肝に命じなければならない。
自民党 土屋正忠議員(以下の日刊ゲンダイ紙記事写真掲載)
「平和宣言」批判騒動 土屋議員は筋金入りの“被爆地嫌い
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/152557/2
■修学旅行にも反対
噛みついた「長崎」などの被爆地に対しては以前から“一家言”あったようだ。
市長時代、中学校の修学旅行先に被爆地を取り上げるべき――と求める市議に対し、
土屋は
<広島、長崎に視察に行ったから、これで平和が達成できるなんていうのだったら、こんな簡単なことはない>
とバッサリ。
その後も、中学生の広島・長崎の修学旅行をかたくなに突っぱねていた。
武蔵野市の現職市議がこう呆れる。
「土屋さんが広島・長崎の修学旅行に異論を唱え続けるものだから、幹部も<右へ倣え>の思想に陥り、教育長すら<広島は観光ずれしている(略)旅館もひどいし、子供たちの学習にはならなかった>と発言するようになりました」
田上市長が平和宣言で「懸念」を示すのもムリはない。
「土屋さんが広島・長崎の修学旅行に異論を唱え続けるものだから、幹部も<右へ倣え>の思想に陥り、教育長すら<広島は観光ずれしている(略)旅館もひどいし、子供たちの学習にはならなかった>と発言するようになりました」
田上市長が平和宣言で「懸念」を示すのもムリはない。