戦争に対する安部の見解 | きなこのブログ

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大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

日本を明るい未来へ…


 



戦争になっても、私たちは安全な場所で、あなた方に指揮を出す側です。


あなたが被爆者でも、私は被爆者ではありませんし、今後もありません。


だから、あなた方の苦しみも、よくわかりません。


はっきり言いまして、暑い中、広島、長崎まで行くのも面倒です。


「見解の相違です」








首相コピペあいさつ、長崎も? 被爆者からの批判に無言
http://www.asahi.com/articles/ASG8951Z7G89UTFK002.html  

長崎市で9日にあった平和祈念式典で、安倍晋三首相の読み上げたあいさつ文の冒頭部分は、昨年とほぼ同一の内容だった。


6日の広島市での平和記念式典のあいさつ文が「昨年のコピペ(引き写し)」などと指摘されたばかりで、長崎の被爆者団体からも批判の声が出た。


「本日、被爆69周年――」で始まった長崎の式典での首相あいさつ。


最初の段落と2段落目は、年数を示す文言以外はまったく同じ。


3段落目の「一度ならず、二度までも被爆の辛酸をなめた」とのくだりは一字一句変わっていない。

長崎原爆遺族会の正林克記会長は式典後に被爆者を代表して首相と懇談した際、このことに触れて「長崎の誓い、決意は去年と同じだったのでしょうか」と問いかけ、「がっかりというか、被爆者みんながびっくりした状態でいます」と述べた。


首相はこの時、手元の資料に目を落としたままで、あいさつの内容については言及しなかった。
(藤原慎一)





 





祈念式で「いとし子よ」を朗読すべきだった安倍氏
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e4e6.html  

69年前の今日、広島に続き、長崎に原爆が投下された。

ポツダム宣言受入れの判断が遅れ、甚大な被害が生まれた。

米国は罪なき一般市民を大量虐殺した。

いずれの判断も重罪として断罪されるべきであろう。

8月6日の広島での平和祈念式では、安倍晋三氏の式辞原稿の半分が昨年の式辞原稿から使い回しされた。

料亭の料理で使い回しがあったときは、「手付かずの料理」との弁明があったが、こちらは「手付かずの原稿」ではなく、しっかりと読み上げられた原稿だった。

そもそも日本のリーダーは、LEADERではなくREADERである。

他人が書いた原稿を読み上げているだけである。

原稿を準備する人が手抜き原稿を作成したのである。

部下が手抜き原稿を作成して、それをチェックできないところに、安倍晋三氏の祈念式への基本スタンスが鮮明に表れている。

読み上げる言葉に魂が込められていない。

ただ、原稿を噛まずに読み上げることだけが意識されているのだと思われる。

いま、私たちが再読、精読するべき文章は、手抜き原稿ではなく、被爆者の魂の叫びだ。

長崎原爆に被曝しながら、死の寸前まで被曝者の救済に尽力した人がいる。

爆心地から700メートルの距離にある長崎医大の診察室にて被曝。右側頭動脈切断という重傷を負いながら、布を頭に巻くだけで救護活動にあたったとされる(WIKIPEDIA)。

その後も原爆障害の研究に献身的に取り組んだ。

長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の永井隆博士である。

永井隆博士は二人の幼き子への遺言の書である『いとし子よ』に次のように記した。

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。

憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。


しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟の叫びを守っておくれ!


敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。

しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?

武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?・・・

狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。

そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。

いとし子よ。

敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。

愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。

愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」


「理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」

この言葉を永井隆博士は1949年に遺した。

安倍晋三氏はどうせ読み上げるだけなら、こちらの原稿を読み上げるべきであったと思う。



 


被爆者「集団的自衛権、要らぬ」 首相「見解の相違」
朝日新聞デジタル 8月10日(日)0時3分配信

長崎市で9日にあった被爆5団体による安倍晋三首相への要望の場でも、集団的自衛権が主なテーマになった。


長崎原爆遺族会の正林克記会長は


「緊張緩和への政府の確かな取り組みさえあれば、火に油を注ぐような集団的自衛権は要りません」


と迫った。

これに対し、安倍首相は「平和国家としての歩みは寸分も変わらない。(集団的自衛権について)丁寧に説明する努力をすることで必ず理解をいただけると思う」と応じた。


終了後、被爆者の一人が「納得してませんよ」と声をかけると、「見解の相違です」と表情を変えずに言い、会場を後にした。

長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄(すみてる)会長は「安倍政権になってから、被爆者が訴えてきた方向と反対に進んでいる」と表情を曇らせた。


被爆者と首相のやり取りを聞いていた田上富久・長崎市長は「絶対に戦争をしてはいけないという原点は、理屈でなく被爆者の思いだ。


被爆地で、首相にそれがどれだけ伝わったのかよくわからないが、伝えていくのが(被爆地の)大事な役目だと思う」と話した。
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朝日新聞社