知られざる真実ー拘留地にてー』(植草一秀・イプシロン出版)は、プロローグ、第一章、第二章、第三章、エピローグそして、巻末資料で構成されている。
第一章『偽装』はこの約10年の間に日本の政治と経済になにが起こっていたかが、克明に記されている。
植草氏が今の状況に追い込まれたのは、小泉元首相の政権運営手法、及び竹中元大臣の経済・金融政策を一貫して批判していたからである。
植草氏は隷属的な対米外交の姿勢にも異議を唱えていた。また財務省の体質改善を主張していた。
「真の改革は高級官僚の特権廃止と天下りの全廃である。」と訴えていたのだ。
植草氏は「郵政米営化」と「りそな銀行国有化」問題の核心にせまり、 「9・11同時多発テロ」にまつわる疑惑の原稿をウェブマガジンに送信したところで、今回の事件に巻き込まれた。
結局この9・11テロ疑惑の記事は掲載されることはなかったという。
第二章『炎』は彼の幼少時から現在に至るまでのダイジェスト版である。
植草氏がこれまで歩んできた道が、透明感あふれる文章で綴られている。それぞれの時代の情景が頭の中にひろがる。
中学校時代の「ほろ苦い恋愛経験」なども書き添えられていて思わず微笑む。
第三章『不撓不屈』では今後の政治や国のあり方に対する彼の主張が展開され、章の後半は支援者たちへの感謝の言葉が繰り返し綴られている。
植草氏の今の心情がうかがえる。
家族や支援者たちからの「愛」によってのみ今現在の彼は支えられているのだ。
そして、巻末資料の『真実』である。
ここで植草氏は2006年、2004年そして1998年のそれぞれの事件についての概要を客観的に記している。
不確かなことは一切書かれていない。
また相手を中傷するようなことも書いていない。
それぞれの登場人物がおおやけの場で正式に発言したことのみ書かれている。
2006年の事件に於いては、植草氏は被害者とされる女子高生についても、自分を捕まえた二人の男についても、駅員についても警察官についても、いっさい非難していない。
誹謗中傷の類はいっさいしていない。
ただ事実を必死に訴えているだけである。
しかし、ネット上で多くの人が指摘するように、数々の疑問点がある。
まず被害者の女子高生の言動がおかしい。
騒ぎが起こった直後に現れた二人の屈強な男はだれなのか、
相手と話をさせて欲しいと主張する植草氏をあくまで制止し続ける駅員、
すぐに駆けつける警察官。
「痴漢をした覚えはない。」と言ったのが、 「痴漢したことは、覚えていない。」に書き換えられていたこと、等々。
しかし、現場を目撃した人が証人になってくれたと、226ページにある。
7月4日の後半で、その方が「植草氏はグッタリとつり革につかまって誰とも密着せずに立っていて痴漢行為をしていなかった。」と証言した。(同226~227ページ)
これが被害者とされる女子高生の証言を除けば、唯一の決定的証言である。
2004年の手鏡事件も異常である。
そもそも「現行犯逮捕」そのものが憲法違反である、と植草氏は主張する。
なぜなら植草氏を「逮捕」したという志賀警官は法廷での植草氏の弁護人とのやりとりで、本人に現行犯であることを伝えなかった(要するに任意同行)と認め、自身が書いた『現行犯人逮捕手続書』は捏造だったと当の本人が法廷で認めたのである。(同218ページ)
また志賀警察官の証言が二転三転どころではなく、ざっと読んでみても8回は変わっている
。どれも法廷で植草氏の弁護人の指摘を受けてのことである。
これについては、228ページに『週間金曜日』2005年3月18日のインタビュー記事「あの事件は冤罪です」での平井康嗣氏のコメント、 「この冒頭陳述は明らかに現場を知らない警官か検事による捏造だと思います。」が紹介されている。
平井氏は「そのほかにも証言は二転三転し、傍聴席の私ですら驚きました。」(228~229ページ)と発言している。
B・フルフォード氏も、実際に尾行追跡した人物と、出席した証人は別人である可能性があると、自身の著書で主張していると思う。
そもそも神奈川県警の警察官が品川駅まで追跡してきた、という不自然さも多くの人が指摘しているところである。
公判の間に防犯カメラの映像が隠滅されたという事実もある。
植草氏が主張するカメラ映像の公開はついになされなかった。
消してしまったそうである。
「カメラ映像というのは事件発生後、ただちに保全されるべき証拠である、そのための防犯カメラではないのか。」とは植草氏の発言である。
以上、数々の疑問点があり、決定的な証拠はなにひとつないにもかかわらず、結果として裁判所は検察側の主張を認め、植草氏に刑が言い渡されたのである。
これでは、植草氏が「判決は最初から決まっていた。」と思い、控訴を断念ではなく拒絶したという気持ちがよくわかる。
植草氏は、今後の日本の指導者のひとりとして必要な人である。