99%の民の犠牲の上に1%だけの繁栄を目指すTPP | きなこのブログ

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[震災から2年・紳士面した詐欺師たちと分断された民]
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震災から2年が経った。それまでも一部の人たちの間で意識されつつあった日本の末期的な症状がこの震災を経てより多くの人々に認知されるところとなったのであるが、何よりも愕然とさせられるのは、「団結」「絆」「頑張ろう日本」といった表面的に語られるフレーズとは裏腹に、社会の疲弊が進み、国民の分断がかなり深いレベルで進行していたということも、この震災によって明らかになってきたのではないかということである。

中野剛志がTPP反対論を唱え始めたのは2010年末で、当ブログでTPP反対3部作(リンク1・リンク2・リンク3)を掲載したのが翌2011年1月、震災のおよそ2ヵ月前である。

原発事故を伴った大震災が起こった後、流石にこれで政府も役人も目を覚まし、TPPなどというおよそ馬鹿げたものを断念して復興に専念するだろうし、原発も廃止に向かうだろうなどと私はその時は思ったのであるが、その見通しは非常に甘かった。

財界・政界・官界・学界・報道界や言論界のエリートと呼ばれる人たちが、復興が何よりも先に優先されるべき事態となってなお、TPPという、被災地の民に壊滅的打撃を与えるのは勿論のこと日本国民全体がもはや二度と立ち上がれなくなるであろう代物を、事もあろうに「復興のため」(日本経済新聞2011年4月19日社説)などと事実とは全く反対のことを主張してメディアを使った推進論の大合唱をする様を見て、彼らが、個々に差異はあれ、総体としては、実は大した国家観や哲学、そして何よりも社会全体を考える公共性を持ち合わせておらず、極めて利己的で不謹慎とも言える動機から民を詐欺的言辞で騙し、国家を食い物にして動かしてきたのではないかという、信じたくはない疑念が益々強まった。

「やったもん勝ち」「騙したもん勝ち」「自分さえよければそれでいい」といった軽佻浮薄でふざけた価値観に政官財界やマスコミのエリートの中心がかぶれているのかと想像すると恐ろしいのだが、あながち外れていない気がする。

世界的に見てもクリントン・ブッシュ・小泉竹中・サルコジらが出てきた90年代あたりから特にそうした風潮が顕著になってきているように思う。

[完全崩壊した推進派の論拠/論理性の崩壊]

この2年間、推進論者や大手マスコミは極めて抽象的なTPP推進イメージキャンペーンを展開してきた。「日本は貿易立国である」「アジアの成長を取り込む」などという推進論(?)は、具体的な中身を伴わぬキャッチコピーの如きものであり、データを駆使した論理的反証によって悉く論破されてきた。

そして反対論者からは夥しい数の危険性を指摘する意見がだされているにも拘らず、それに対する推進論者側による正面からの反論は皆無といって等しい状態で、反対論者との論戦から逃げ回っているというのが率直な感想である。

つまり論戦にすらなっていないという異常な状態が2年以上も続いていることになる。

そして恐ろしいと思うのが、一体何がTPPのメリットであるのか、誰がどのような恩恵に浴するのか、何故にそこまでしてTPPに加入せねばならぬのかという理由説明が全くと言っていいほどないままに、交渉参加するかどうかについて意思決定が行われようとしているということである。

これだけの数のデメリットや危険性が指摘されているにも拘らず、ただ「交渉によって聖域を勝ち取る可能性がある」という極めて不可解なこの一点を語るのみで、なぜ参加せねばならぬのかの理由の説明もなく、出口がない密室交渉参加が決められようとしているのだ。まさに論理性が崩壊しているのである。

しかも日本が交渉参加宣言を行ったとしても、事前交渉があるために、本交渉に入れるのは早くて今年9月の1回のみ。

更に、後から交渉に参入したカナダ・メキシコに対しては、
「〈1〉合意済みの部分をそのまま受け入れ、議論を蒸し返さない
〈2〉交渉の進展を遅らせない
〈3〉包括的で高いレベルの貿易自由化を約束する」
(読売新聞3月8日付)
といった条件を受け入れさせていたことが判明した。

しかもカナダ・メキシコは「交渉終結権を手放したことによって、新たなルールづくりの協議で先発九カ国が交渉をまとめようとした際に、拒否権を持てなくなる」(東京新聞3月7日付)ことも判明した。

これに加えて、3月11日、民主党でTPP推進の旗を振っていた前原誠司が衆議院予算委員会で、「(野田政権が)最後まで(TPPへの)交渉参加表明をできなかったのはなぜかというと、米国の要求、事前協議の中身が余りにも不公平」であったからだと舞台裏を暴露した(リンク HEAT氏ツイート)。

鈴木宣弘・東京大学教授によれば前原が暴露したことに対して米国が怒っているとのことである(リンク HEAT氏ツイート)。

米国が怒っているという話が本当であれば、米国が無理難題を押し付けているという話も本当であろう。

こうしたことから、たった1度の交渉において「聖域」なるものを勝ち取る可能性はほぼゼロに等しいことが益々明白になった。

さらに後から参加表明をしたカナダとメキシコは事前交渉において、「聖域を勝ち取る」どころか、米国らに過酷な条件を飲まされていたことが明らかになったのである。

つまり交渉の余地など現実には残されてはいないのである。

TPPはもはや「交渉に参加するか否か」ではなく、「他国が決めた内容を丸のみしてTPPに加入するか否か」なのである。

「交渉力」だの「交渉によって聖域を勝ち取る」だのという推進派の最後の論拠も崩壊したことになる。

交渉に一旦参加すれば、撤退は事実上不可能であり、かつ野党の主勢力は民主党・橋下維新・みんなの党という新自由主義TPP推進勢力であることから、交渉が妥結すれば、現在での議席配分のままでは批准段階での否決はほぼ不可能である。

つまり「TPP交渉参加」は、交渉が妥結する限り「TPP加盟」を意味することに等しい。

我々は抽象的な言葉で推進を主張する論者に対して、「TPPのメリットは具体的に何なのか、TPPによって一体誰がどのような恩恵を得るのか」を具体的に語ることをまず要求すべきであって、「聖域があるやなしや」ということ (もはや崩壊した論拠なのであるが) はTPP加盟を決める条件とはなりえないということを明確に示しておく必要がある。この線を譲ってはならない。

推進論者はなぜTPPに入りたいのかを具体的に語ることを決してせず、今後とも逃げ回ることと思う。なぜならば、TPPのメリットが巨大資本1%側にしかないことが明白になるからだ。推進論の最後の論拠が崩壊してもなおTPPに加盟するというのであれば、他に一体どんな理由があるというのだろうか。

TPPは単なる貿易協定ではない。推進論の論拠が悉く崩壊した後に残されたものは、
「国家という枠組みの上位に多国籍資本が君臨し、民主的手続きによってそれを覆すことがもはやできぬようにした上で、99%の民の犠牲の上に1%だけの繁栄を目指す」 新自由主義グローバリズムによる「売国」の本質である。

同時に、彼ら推進論者が1%に仕える「資本の御用イデオローグ」であることが露呈してくる。

彼らは「非論理」を貫くだろうが、それに対抗するのは「論理」でしかない。こちらが相手の「非論理」の土俵に乗っても、話が噛み合うはずもない。相手を「論理」の土俵に引きずり出すしかないのである。