絶望が支配しかねない世の中 | きなこのブログ

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この世の闇と光
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3163.html


「今のうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。皆さんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんでじぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです」


戦後直後に中学一年生用の教科書につかわれた「あたらしい憲法のはなし」に書かれた言葉だが、「日隅氏が私たちにやさしく語りかける言葉に聞こえる」という梓澤氏の指摘は、梓澤氏のみずみずしい感性によって捉えられたものであるが、その指摘の正しさに驚かされる。


強き者には妥協せずに敢然と挑み、弱き者には心の底からのやさしさを注ぎ尽くす。


この他者への愛が私たちに大いなる希望を与えるのである。


マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉


「私には夢がある


絶望の山に分け入り、希望の石を切り出すのです」


を教えてくれたのは梓澤氏である。


いま問題になっている「いじめ」の問題。


根源にあるのは「愛の欠落」、「愛の欠如」であると思う。


他者に対する愛がなければ、この世はすさんだものになるだろう。


「信なくば立たず」というが、「愛がなければ、私たちは生きてゆくことができない」


その、何よりも大切なものを、日隅氏は私たちに注いでくれた。


そして、その日隅氏の周りに、やはり、同じ光を放つ人々が取り巻いている。


あまりにも早い旅立ちではあったが、私たちの心のなかに、日隅氏は永遠に生き続ける。


自分のことが100%、他者のことは0%という人で世のなかが占有されれば、この世は闇になってしまうだろう。



日隅氏は希望の光だ。そして、日隅氏を取り巻く多くの同胞が存在することも、この世の大きな光である。


この世の闇に光を差し入れる、その人の輪を広げることが、この世を明るい希望に満ちたものにする唯一の道である。