各付け機関や監督当局は、なぜサブプライムローン問題を見抜けなかったのか。
そこにはいくつかの理由がある。
その筆頭は70年代以降、 “意図的に行われてきた金融市場に対する規制”の骨抜きだった。
その背景を説明するためには、時代を1929年の世界大恐慌まで戻さなければいけない。
1929年の10月にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、いわゆる大恐慌に突入する。
この未曽有の不況を受け、1932年、時のフーバー大統領は
「証券取引所で行われた空売りなどの行為を徹底的に調査し、それが銀行システムおよび連邦準備制度の運営に与えた影響を明らかにする」
ことを目的に、上院銀行通貨委員会(ペコラ委員会)を設置した。
同委員会は、金融危機の原因と背景を解明すると同時に、再発防止のための金融制度改革を行うことを使命として発足。
このペコラ委員会は、32年から2年間にわたって数多くの証券市場関係者を喚問。
議会での公聴会に呼び出された代表的な人物を挙げるだけでも、その本気度が伝わってくる。
(モルガン商会最高責任者J・P・モルガン、ナショナルシティー銀行会長チャールズ・ミッチェル、チェース・ナショナル銀行元会長A・H・ウィギンスなど)
そこにあったのは、
「国民の財産と職を奪った大恐慌の引き金を引いた原因を徹底的に究明し、その責任の所在を明らかにする」
という使命感であり、ペコラ委員会は29年の大暴落前後のウォール街の不正行為を次々と暴いていった。
議事録は1200ページにもおよんだと言われている。
その調査結果、それまで公共性を担っていると考えられてきた銀行家たちが、証券子会社を通じた銀行業務と一体的な業務展開をすることによって、巨額の利益を得ていたことが明らかにされていった。
具体的には株価の操作やインサイダー取引、損失を隠ぺいするための不正帳簿など、あらゆる手段が使われていたという。
さらには、元銀行監督官を銀行や証券会社の幹部に登用し、銀行・証券への監督を甘くさせるといった不正行為も明らかになっていった。
暴いた事実と成果をもとにして、銀行業務と証券業務の分離を定めた“グラス・スティーガル法”をはじめ、証券法、証券取引法が成立。
さらに、ウォール街の活動を監視する証券取引委員会(SEC)が設立された。
特に、銀行法であるグラス・スティーガル法は重要で、同法は預金銀行業務と証券業務の兼営を禁止し、連邦準備制度加盟銀行が証券会社を系列に置くことや、兼務する役員を置くことなども禁じた。
その規制の力は1970年代まで残り、アメリカ国民はかつてないほど豊かな生活を送ることができた。
こうした仕組みが緩和され始めたのは、1981年から1989年まで政権を担ったレーガン大統領によって、新自由主義政策が導入されてからだ。
挙げられたキーワードは、 「小さな政府」、「規制緩和」、「減税」。
市場のことは市場に任せ、民間でできることは民間でやる。
政府が行うべき公共サービスや福祉も削減し、企業が成長できるよう規制を緩和し、減税を行う……。
どうだろう?どこかで聞いたことはないだろうか。
そうです、この考え方は小泉内閣が掲げていた政策と同じです。
では、この市場原理主義はいつごろ生まれ、経済政策の主流となっていったのか。
時はレーガン政権発足時の30年前まで遡る。
【クロスオーナーシップ規制 】