またひとつ季節がめぐり
4年という歳月がうつりゆきました。



震災の日の3月11日は
淡々とした日常を過ごしつつも
厳かな気持ちで1日を過ごしてましたが、
あの日のことを思い返すと
いまでも昨日のことのように
鮮明にフラッシュバックしてきます。



私はちょうど入院中。
卵巣がんの大手術を4日後に控えていて
ふらふらする体で
院内のコンビニで買い物しているさなか
グラリグラリと
地面が大きくうねりはじめ。。。


そのあまりの大きな揺れに
病棟が倒壊するのではないかと思ったほど
(;つД`)


背筋がこおり
震えて硬直する手足を必死に動かし
病院関係者や医大生が走って逃げる方向にヨロヨロと ついていきました。


.:*:・'°☆。.:*:・'°☆


それからというもの
テレビから写し出される映像と
絶え間なく続く余震に
胸がかきむしられる思いでしたが
あまりのむごさに悪夢を見ているようで
まるで実感がなくて。。。



それよりも手術のスケジュールは
いったいどうなってしまうのか?
延期や中止になるのでは?
その間に癌が増悪してしまうのでは?
という妄想で頭の中はぐるぐる。
(@_@:)



正直のところ。
自分のことだけで
誠一杯だったように思います。
(後で知るのですがほとんどのオペが
スケジュール変更なしで
行われたのだそう。)



そののち
地獄絵のような光景と大混乱のなかで
私はトータル16時間の
大手術を受けることになります。



.:*:・'°☆。.:*:・'°☆


あれから4年。
被災地の復興が いまどういう状態なのか
テレビではこぞって特集を組んでいます。


愕然としたのは
福島の原子力発電所の解体作業のこと。
なんと「完全に廃炉」にするためには
30年以上かかるとも…
40年以上かかるとも…
いわれているのだそう。



たった数分間の大地震がもたらした余波は
想像していた以上に
重苦しいものなのですね。。。
(´;ω;`)



被災地から離れて暮らしているので
すっかり過去の事のように思いがちですし
原発のことにしても
子供を持てなくなった私にとっては
他人事のように思ってました。



だけど。。。。
40年後を繋いでくれるであろう
これからの子供たちのためにも
未来へと続く道をしっかり見据えて
進行形で物事を考えなくてはいけないと
改めて思ったのでした。



.:*:・'°☆。.:*:・'°☆


さて
「がん百態(ひゃくたい)」
という言葉があります。
これは以前 とある友人から聞いて
非常に感銘を受けた言葉です。



人がひとりひとり
性別も国籍も性格も違うように
がんの種類や 進行具合や 治療方針も
誰ひとりとして同じではありません。



卵巣がんのひと。
乳ガンのひと。
大腸がんのひと。
肺がんのひと。



告知されたばかりのひと。
今まさに手術や治療をしているひと。
治療を終えて経過観察中のひと。
リンパ浮腫で苦しんでいるひと。
初期で見つかったひと。
体中いっぱいに転移してみつかったひと。
再発に怯えながら生きているひと。
再発の中を懸命に生きているひと。




たったひとつの共通点といえば
「未来」
という言葉がどれだけありがたいことか
いかにキラキラと輝いていたかを、
痛いほど思い知らされていることでは
ないでしょうか。



お腹の傷は
日ごとに薄くはなってゆくけれど
癌を取り巻く心の痛みはきっと
一生治ることはないでしょう。



かといって
後ろを振り向いてばかりもいられない。



未来が見えなくとも
今を精一杯
現在進行形で生きていくだけなのです。






Avro' sempre fiducia in me stesso!
(いつも自分を信じよう!)

Se non mollo, c'e' la posso fare.
(諦めなければ負けはしない)




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イタリアフィレンツェの夕陽です

サマータイムがあるので
夜の9時にならないと陽がおちず。
グーグーお腹が鳴るなかを待ち
燃えるような夕陽に出逢えました。
あまりの美しさにしばしボォーー
。・(*´ω`*)。・゜





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