講演会場は異常に盛り上がった。
途中、前回の講演にはなかったおもしろいエピソードも織り込まれ、それに集まっていた人たちは反応し、多いに笑った。
私は今回は早めに会場に入って、前回と同じ2列目に座っていた。
そして、前回と同じようにパソコンを広げた。しかし、私が指摘したところはすべて修正されていたし、内容をメモるような気分でもなかった。
講演終了後に「懇親会は乾杯だけで帰らせてもらうように言ってあるので、先にここへ行って待っていて欲しい」と地図を渡された。
店は高級な創作料理店だった。フランス料理を基本にした和洋折衷の会席をお箸でいただく。
靴を脱ぎ部屋に入ると通されたところは、低いカウンターになっており、掘りごたつのように座り、前に立ち働く数名のコックの様子が舞台を見るように眺める事が出来る。
「●●さまから先に食前酒を勧めるように言われていますので」
マネージャがおしぼりを持って横に来た。
「ではミモザをください」
ミモザがほとんどなくなりかけた頃、息をはずませた状態で彼が入って来た。
「名刺交換に手間取ってしまって…」
前回と同じく、私と目をあわせる事なく、うつむきながら彼は言った。
シャンパンで乾杯をした後、私が言った。
「いい講演でした。笑いもあってテンポもよく完璧でした」
「あなたに褒めてもらえるようがんばって講演しましたから…」
そういうとそのまま沈黙した。
新しく運ばれてくる料理を口にしながら、その後も何度も沈黙が流れた。
ほとんど身のある話はせず、味の感想を言いあったり、ぼんやりコックの動きを眺めたりした。
締めのご飯が出る。次はデザートとコーヒー。
「今日これから…」
と小さな声で彼が話し始めたので、私が後を続けた。
「泊まる事はできないですよ」おおげさに、でもまんざらでもないように冗談めかして先制する。
「いや、そんな失礼なことは思っていないですよ」
多くの男性は判を押したように必ずこういう。こういう返しができる機会を作ってあげるのは女性の役目ではないだろうか。
「もう少しだけ飲めないかなと思って…」
「本当は誘ってくれるのかなーと思っていました。でも、今日は帰ります」
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おそらくこの調子では、今度2人で会うという約束をすればきっと最後まで行きつく可能性が高い。
そういう雰囲気だ。
2度目と3度目の違いが大きいのか小さいのか、それはよくわからない。若い人と違って、ただの友達になるかそういう相手になるかは早めに決まる。線路のようにポイント切り替えがあってどちらに行くのかガチャンと切り替える…そんな感じだ。お友達から始めませんか?というような悠長なことはない。1年かけてくどく…ということはたぶん稀だ。
それは男性だけでなく女性も同じ。でも、今日はやめておこう。
私は迷っていた。ずいぶんと彼に傾いていたものの、隣に並んで座ってみてわかったのだが、背が意外と低かった。もちろん背が低いのは好き嫌いに関係しない。
しかし、背が低い人の中には、いざという場面でおおいにコンプレックスを発揮することがある。
ハダカになってプライドもコンプレックスも捨ててほしい時、強がって女性を乱暴に扱う。
私にそれほどの経験があるわけではないが、これまで何度かそういう場面に遭遇した。
彼はシェフとして成功しているだけに独善的な匂いも感じるし、そういう可能性は否めない。
世の中にはいろいろな性癖があり、乱暴な事を望む女性もいるかもしれないが私は苦手だ。
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8階から乗った下りのエレベータの中で、彼は私の体の後ろに回り、腰を抱きすくめた。
たいていの男性はエレベータの中で迫る時、奥に追い込んでキスをしようとする。
だが、彼はそうではなく、自分が後ろに回った。
真正面から人の顔を見る事ができない人をウブでかわいいと言っていられるのは若い人の場合で、ある程度年齢がいってこういう事をする人は、後ろめたいと感じているのかコンプレックスがあるか。あるいはバックが好みか…。
「また会う約束をして。小指を貸して」
彼は言った。
私は指切りのつもりで左の小指を出した。その瞬間、体に電撃が走った。
彼が私の指をすっぽりと口に含んで舐めていた。
小指と薬指の付け根の間に舌を這わす。不用意にも快感が走り、無防備になった瞬間に
今度は親指、人差し指、中指が口の中に飲み込まれてしまった。
単なる愛情表現にしては具体的で直接的。
彼は自分の舌のテクニックに自信があるのだ。今まで寝た女性たちにきっと絶賛されたことがあるのだろう。
舌の動きが「一度自分と寝たらきっと好きになるはず」と訴えている。
実際、舌は長く、先が尖っていて丸まったり伸びたりと滑らかな動きをしている。これは彼のデモンストレーションなのだ。
エレベータが1階についた。短い時間だったが私の左手は彼の意のままになってしまっていた。
閉を再び押そうとする彼を制して、私の右手が開を押し、歩道へと導いてくれた。
心地よい風が酔いを醒ましてくれる。
今度は、私が彼の腰に手を回す。こんな場面で変に間をあけて歩こうとするのはよくないと思っている。
相手のプライドを傷つけてしまう。帰りたければきちんと相手の体に手を回し、まやかしであっても嫌いではないとアピールして歩く事が大切なのだ。
ゆっくりと歩く。
歩きながらさりげなく腰から臀部を触ってみる。わざとではなくうっかりといった感じでお尻の割れ目、肛門のあたりに指が当たるようになでる。
肛門を触られて、まんざらでもなさそうな様子の男性は女性のバックにも執着する。
彼はいやがるどころか心なしか臀部を手のひらに押しつけて来た。それは、この人と寝れば要求される範囲は広いという信号なのだ。
結局、次の約束はしなかった。
私にはそうやって得た情報と自分の気持ちを整理する時間が必要だった。
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この年になると勢いだけでいろんな要求を受け入れるのはしんどい。だが、男性はつきあいの浅い相手にこそ強引な要求をしてくる。
せっかく貴重な時間なのだからおだやかにロマンチックに過ごしたいという思いはなかなか達成されることがない。
無論、sexをしなければ、嫌な思いはしなくてすむ。
人生はsexをしなくても十分楽しいし充実している。
多くの女性がセックスレスでも楽しそうなのはカラ元気ではなく本当にそれでいいと思っているからだ。
むなしいセックスをするくらいならしない方がいい。
そう思わせるほど、元夫を含め、多くの夫は期待に応えない。そういうことだ。
しかし、その反面sexを楽しもうとするならば、おそらく今しかないと思うのが48歳という年齢ではないだろうか。
そして、それは私だけでなくほかの女性たちもそう感じているはずと思う。
ほかの事、たとえば、趣味に類するものはいくつになってもできる。だが、ことsexはどうだろう。
単に行為としてではなく、互いの駆け引きも含めれば、すでにタイムリミットではないか。
48歳なんて若い人から見ればsex適齢期をとっくに過ぎていると思うだろう。
でも、実際歳を取ってみると分かるのだが、気持ちは20代とそう変わらない。
若いとき以上に焦りがあるかもしれない。
男性に相手にされないようになることは人生のなにかが終わる時なのだと思う。
あるいは、女性としては死を迎え、新たな生き物に生まれ変わるのかもしれない。
蝶のように変態する。
蝶はさなぎから美しい羽を持った姿に変わるが、人間の女性は羽をもがれ、かたい殻のさなぎになる。
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ともあれ、その日は大通りに出たら、丁重に頭を下げ、強く手を握って1人タクシーに乗り込んだ。
彼はエレベータの中以外では紳士であり、シャイな男性だった。
私に対し「ありがとう」と言い、自分も別のタクシーに乗り込んだ。
10歳年下の男性とのデートは多くの女性がうらやむかもしれない。
しかし、近いうちに答えを求められるのだから、悩みが増えただけと言えるかもしれない。
それでも、きっと同世代の女性からは贅沢な悩みと言われるのだ。
家の近くのダーツバーの前でタクシーを降りた。飲み直すというか、この悶々とした気分は家には持って帰らない。一杯のバーボンとマスターとのたわいない話で、気分を変えてから戻る。
さっきの事はすべて忘れる。家ではあくまでお母さんだ。キャバクラ帰りのお父さんの気持ちとそうかわりはないと思う。ダーツの成績は500を少し超えた。自分にしてはかなりハイスコアだ。気分よく家に帰ろうと思った矢先、携帯にメールが入った。
「ますます/惹かれました。次回を楽しみに待っています」
さあ、どうしようか…。