わが胸に邪悪の森あり 夢野久作 | 不思議戦隊★キンザザ

わが胸に邪悪の森あり 夢野久作

今年に入って乱歩と久作を読んでいる。というのも昨年末に「ゲゲゲの謎」を観賞し、ナントナク「怪奇・猟奇」な気分になったからである。乱歩はさすがの筆運びでサクサク読めるが、久作となるとサクサク読めない。というか読みどころが分からない。読みながら何かがありそうな気配はある。しかし、その「何か」を待っているうちに終わってしまうのである。アレ?終わり?ってな感じなのである。

読むたびにそう思ってしまうのだから、これはもう久作に問題があるんじゃないか?と久作に責任転嫁して「久作の問題」をチョット考えてみようと思う。

 

読むのがツライ系

 

マダムの所有している久作アイテムは上記三冊、中編の「少女地獄」以外は短編である。まあ、少女地獄も三つの作品に分かれているので短編と言っていいかもしれぬ。その他は青空文庫でちびちび読んでいる。

さて、久作である。イマイチ良く分からないのである。不可解で不明瞭に感じるのである。なぜだろう?とギモンを持ちつつ読むのだからマスマス読みづらい。そうやって読み続けて気付いたというか、気になる点をいくつか炙り出してみた。アハアハアハ……。

 

こんな雑誌もあったけど

たいして参考にならず

 

・文体が一貫していない

 

久作は「一人称形式」「書簡体形式」を特徴とする作品がある。そして少女の一人称の作品に文体不一致が頻発しているように思われる。例えば「氷の涯」の少女ニーナが女言葉で独白中、急に「だ調」に変転し説明的になるのである。こういった文体不一致のゆらぎに出くわす度、あれ?人物が変わった?といちいち立ち止まる羽目になるのである。読み辛え。

あと、山の手言葉を使う少女の台詞に「ありがとうよ」という言い回しが出てきたりする。無理して書いてんのかな?と、また下らんことに気を取られるのである。

 

・ステキの使用過多

 

久作は文体だけではなく妙な部分でカタカナを多用するのも特徴のひとつであり、中でも「ステキに~」の使用頻度が多すぎる。実例として「ステキに~」箇所を列挙してみる。丸カッコ内はステキ文が使用されたタイトルを表す。「すてきにいい天気(あやかしの鼓)」「ステキに苦い(狂人は笑う)」「ステキに珍らしい(キチ〇イ地獄)」「ステキに派手、ステキに気持ちのいい、ステキに明るい声(空を飛ぶパラソル)」「ステキに面白い(シナ米の袋)」「ステキに早い、ステキに朗らか×2、ステキに偉いお方(少女地獄)」「ステキに大きい(冥途行進曲)」などである。少女地獄の「ステキに朗らか」なんぞは同作品で2度使用である。冥途行進曲はステキに何が大きいのかと言うと心臓の大動脈瘤である。余命二週間というネガティブな流れなのに心臓の大動脈瘤がステキに大きいのである。ステキにどうかと思う。

この「ステキに~」は当時流行りの言い回しだと思うが、久作はよほどステキに気に入ったのであろう。これはもう「久作文」と言っても差し支えないほどだ。ステキに話は飛ぶが、ちびまるこちゃんの漫画でまる子が美味いものを喰ったとき(確かじいさんの友蔵も一緒に)「ステキにおいしい・・」と独白したコマがあって、即座に「こんなところに久作が」と思ったことがある。

 

・ジャンルが分からない

 

SF探偵推理純文恋愛歴史幻想等々小説ジャンルは色々あるが、では久作作品が属すのはどのジャンルかというと、それが分からない。ハッキリと「これだ!」と言えないのである。アンチミステリ、ジャンルレスになるであろうか。

ところが!久作自身は探偵小説を書いているつもりらしいのだ。というのも久作の作品を掲載していたのが「探偵クラブ」「探偵趣味」「新青年」「ぷろふいる」「猟奇」といった探偵小説雑誌であったからである。というか久作は「あやかしの鼓」で新青年の創作探偵小説募集に2位入選、全国紙にデビューしたのであった。そもそもの始まりが探偵小説なのだ。それなのに実際に読んでみると探偵小説っぽくないのである。その理由は次に説明する「意味不明描写」が原因かと思われる。

 

・微に入り細にわたる意味不明描写

 

意味不明描写は主にグロテスク描写である。最も不可解なのがドグラ・マグラの若林博士の行動である。久作は若林博士が地下の解剖室で少女の虐殺死体を切り刻む様子を事細かに描写している。死体をすり替えるためとはいえ、そんな描写いるか?と高校生マダムは頭をひねったものだ(コレ読んだとき高校生だった)。しかも異常行動は伏線でもなんでもなく、マジでただの異常行動に過ぎないのである。まああの小説は登場人物全員どうかしているので異常行動もあの世界観では異常ではないのかもしれない。それが非常に久作っぽくはある。

例題にもうひとつ、空を飛ぶパラソルで轢死した若い女の描写がある。これもまた、ありありと想像せざるを得ないほどの懇切丁寧な描写っぷりで、脳味噌にそのイメージをありありと思い浮かべながら読む羽目になり邪魔で仕方がない。なぜそこまで念入りに描写するのか分からない。その意図が分からない。

 

まあ、こういうイメージっすよね

 

探偵小説であるならばトリックやミスリード、または伏線に隠された事実、どんでん返しなどに力点を置き、納得する結果(犯罪理由など)に着地しなければならないはずだが、久作の場合は文中に散りばめられた謎が必ずしも結果に結びついていない。謎は謎のまま残るのである。しかし探偵小説を標榜する久作は、取ってつけたような理由を突拍子もなく登場させる。バランスが悪いのである。これについては「あやかしの鼓」の乱歩評に詳しい。

 

第一人物が一人も書けていない。どの人物もその心持を理解することが出来ない。少しも準備のない、出たとこ勝負でちょっとばかり達者な緞帳芝居を見ている感じです。(略)こうしたこじつけみたいなものが、作全体に満ちております。御伽噺なら御伽噺で書き様もありましょう。御伽噺でもなく、現実味にも乏しく、妙に受け取れない作品です。

 

この乱歩の久作評を読んでマダムは「そうだそうだ!」と思った。我が意を得たり!と思った。とはいえ乱歩はこうも評価している。

 

この作の取柄は、全体に漲っているキ〇ガイめいた味です。(キチ〇イで一貫すればいいものを、実は正気であったりするのが困るのです)。そういう味はかなり豊富に持っている人だと思います。

(「あやかしの鼓」について江戸川乱歩の選評)

 

繰り返すようだが、この乱歩の久作評を読んでマダムは「そうだそうだ!」と思った。我が意を得たり!と思った。久作作品は妙に探偵小説風に整えてあるので本気の狂気が霞んでいるのだ。マダムは久作の本気の狂気を読みたいと思った。しかしどれを読んでも薄いのである。溢れ出てしまった狂気を久作自身がわざわざ薄めている気配がある。否、薄めている自覚はないのであろう。ただ狂気の前後が冗長過ぎるのだ。この冗長さえなければ、もっと濃度が高く密度の濃い狂気に触れることが出来るのに。そんな作品はないだろうか?

 

久作、只者ではない感

 

ある。いまのところマダムが久作の最高峰と考える作品が2作ある。まず「笑うオシ女」である(オシという字は漢字だが使用禁止かも知れんのでカタカナとした)。ここに登場する狂女が素晴らしい。土蔵に住む低知能でオシの色情狂、それでいて超美人。暗い土蔵の2階から誰彼構わず男を誘惑する。なんというロイヤルストレートフラッシュ的な狂女であろうか。狂女と聞いて想像する通りの原点である。エベエベと泣くのがまた秀逸。

そしてもうひとつは「猟奇歌」である。雑誌「猟奇」が始めた短歌のジャンルで、猟奇をモチーフにしていれば誰が詠んでも良かったが、久作のレベルが高すぎたのか、それとも久作以外のレベルが低かったのか不明だが、現在では久作の猟奇歌しか残っていない。確かに久作の猟奇歌のレベルは高い。高すぎる。以下に何首か抜粋する。

 

この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ応接間かな

 

サディズムとマゾヒズムが程よく融合している一句である。久作の作品に熱を感じるときがある。熱が高い部分はたいてい毒婦が登場している。あやかしの鼓では鶴原の未亡人、けむりを吐かぬ煙突の南堂伯爵未亡人、女抗主の新張未亡人などである。あ、いま気づいたけど全員未亡人だ。主人公を幻惑する未亡人はそろいも揃ってサディストで主人公はその餌食になったあと未亡人を殺す。あるいは警察に突き出される。アンビバレントな性癖が垣間見えるようだ。サディスト未亡人との密室の秘め事は久作が好んだシチュエーションだったのかも知れぬ。ちなみに少女の場合、過酷な運命を与えて苛め抜く。だいたい死ぬ。

 

わが胸に邪悪の森あり
時折りに
啄木鳥の来てたゝきやまずも

 

タイトルの「わが胸に邪悪の森あり」はこの歌から拝借した。これはすごいと思った。カッコいいと思った。理性は持ちえど胸に巣くう邪悪の森の存在を否定しない。なぜならそれは甘美の泉でもあるからだ。誰からの批評も受け付けるつもりがない冷たさがあって良い。

 

毎日毎日
向家の屋根のペンペン草を
見てゐた男が狂人であつた

 

久作の本領発揮というか、久作以外に誰がこんな歌を詠む?というほどの久作節。不穏。背中に冷たいものが走る一句。ワケの分からなさが不気味で素晴らしい。

 

月のよさに吾が恋人を
蹴殺せし愚かものあり
貫一といふ

 

貫一ディスってる。

 

メスの刃が
お伽ばなしを読むやうに
ハラワタの色を
うつして行くも

 

若林博士?

 

かように久作のエッセンスが最も凝縮しているのが猟奇歌である。久作作品は短ければ短いほど狂気猟奇レベルが高い気がする。狂気猟奇を持続するには書く方も読む方も精神力が必要だからである。

ということでしばらく精神を鍛練してドグラ・マグラに再挑戦しようと思う。精神が鍛練できなかったら諦める。

久作作品は青空文庫で読めるのでどうぞみなさんも挑戦してみてご覧なさいな。きっと眠くなってよ。ホホホホホホエベエベエベエベエベ