無敵コケティッシュ 月曜日のユカ | 不思議戦隊★キンザザ

無敵コケティッシュ 月曜日のユカ

ナイトクラブに勤めるユカは18歳。男に尽くし男を喜ばせることを使命とするユカは誰とでも簡単に寝る女であった。そこまでしないと男に寝てもらえないのかというとそうではなく、ユカはイノセンスでありながら奔放で超絶かわいいのである。

 


オープニングが超オシャレ

 

ユカは愛人稼業もやっていた。相手は貿易商の男である。ユカは男をパパと呼んで甘えていた。パパはお小遣いをくれるし甘えさせてくれる。

 


無邪気

 

パパは家庭を持っているけどそんなの関係ない。だってパパはあたしを愛してくれるし、あたしだってパパを愛してるもの。

 


妖艶

 

日曜日、ユカは横浜元町商店街を妻と娘と一緒に歩くパパを偶然見つけた。幸せそうな一家に見えた。パパは娘にねだられて人形店へ入っていった。人形をねだられたパパは嬉しそうだった。

ユカは考える。あたしはあんなに嬉しそうなパパを見たことがない。もしかしてパパはあたしに満足してないのではないかしら?サービスが足りないのかしら?何をしてあげたら一番喜ぶのかしら?キス以外だったらなんでもしてあげるのに。

不思議なことにユカはキスだけは誰にも許さないのであった。

 


嫉妬

 

男が喜ぶこと、それは心から愛すること。本当に愛すること。愛することは、なんでも言うことをきくこと。だからあたしに命令してちょうだい。なんでもいいの。あなたの言うことなら、なんでも言うことを聞くわ。だからお願い。命令してちょうだい。

 


奔放

 

ユカは知り合いの男に抱いてもらう。踊れと命令されてユカは踊る。数人の男に紹介されてもひるまない。どうせ愛し合うなら神聖な場所で愛し合いましょう。教会の中でユカは服を脱ぎ捨てるが、そんなユカにビビった男たちはユカを置いて逃げてしまう。

 


博愛

 

なぜかしら?本気で愛してあげるつもりだったのに。順番はジャンケンで決めてって言ったのがいけなかったのかしら?悩みながら家に戻るとパパがいた。

あたしを待ってたの?どうして?不審がるユカにパパは言う。「心配だったんだよ!」と。ユカにはパパの心情が分からない。

 


白痴

 

あたしね、パパにお願いがあるの。元町の商店街でお人形を買って欲しいの。娘さんに人形を買ってあげてるときのパパってすっごく嬉しそうだったから、だからあたしにもお人形を買ってくれたらパパも嬉しいと思うの。

「そりゃ違うよ、ユカ。パパに人形買わせてもパパは喜ばないぜ、このアホー」

ユカの足りない妄想にダメだししたのはオサムであった。オサムはユカに惚れている男である。ユカとは何度もやっているがホテルではなく赤灯台、つまりアオカンでしかやってない。それってちょっと扱いが酷くないか?と思っている。

 


オサム役は中尾彬

 

しかしユカの言い分はカネ払ってホテルでやるセックスは汚い。オサムとはそういった汚い関係になりたくない。なので赤灯台でしかやらない。赤灯台でやるのはオサムだけだという。これって喜んでいいの?怒っていいの?オサムは怒って出て行った。

 


そりゃ怒るって

 

月曜日。パパにお人形を買ってもらう約束の日である。待ち合わせのホテルニューグランドへ赴くと、パパと一緒に外国航路の船長さんがいた。ユカを見たパパは驚いた。なぜならユカが自分の母親を連れて来たからである。パパは困った。なぜならユカに秘密のお願いをしようと思っていたからだ。しかし母親同伴となると秘密のお願いが出来ない。パパは約束を反故にして船長さんを連れ立って逃げた。

 


そりゃ逃げるって

 

さて、どうしてユカが母親を同伴したのかと言うと、一家が揃わないとパパが喜ばないと思ったからである。日曜日に見かけたパパは妻と娘を連れて人形をでねだられて嬉しそうだったことを踏襲しようとしたのである。妻代わりの母親、娘代わりの自分がいて人形をねだればパパが喜んでくれると思ったのである。しかし形だけ揃えても無理な話だ。それをユカは理解できない。

 


自由

 

「パパはよしなよ、よくないよ」とオサムが言う。ユカがどんなに頭が弱くても、やっぱりオサムはユカに惚れているのだ。俺はユカのお母さんを大事にするよ。パパにはそんなこと出来ないだろう?だから俺と一緒になろうよ。俺、稼ぐからさ、どこかにアパートを借りて、みんなで一緒に住もうよ。

ユカは一瞬嬉しそうが表情になるが、しかしアパートを借りるにはお金が必要ではないかと心配する。そうだなー、10万あればなんとかなるだろ。とオサムが答えたところに客人が来た。パパだった。オサムは急いでベランダに隠れる。

 


不自由

 

パパは秘密のお願いにやってきたのである。秘密のお願いとは、自分の仕事のために船長と寝てくれということであった。寝る相手は昼間に待ち合わせたホテルニューグランドにパパと一緒にいた男だということはユカにも分かった。ユカは10万円という条件を出して承諾する。

パパが帰ったあと、ベランダで話を聞いていたオサムが怒った。なぜオサムが怒るのかユカは分からない。「キスしてもいいわ」。オサムはユカの頬をひっぱたいて出て行った。どうすればいいのか、なにが最善なのか、ユカには分からない。

 


孤独

 

雨の夜、オサムが死んだ。船長を殺そうとして船へ忍び込む途中、ロープに絡まって死んだのだ。オサムがなぜ船長を殺そうとしたのかユカは知っている。それなのに自分が死んでしまうなんて。どうすればよかったのかしら?なにが最善だったのかしら?

ユカは冷たくなったオサムのくちびるにキスした。

 


愛?

 

船長との約束当日、ドレスアップしたユカはパパのエスコートで船に案内された。ことが終わって船から降りたユカはパパの手をとって踊り始める。

 


自棄

 

ユカが手を緩めると、パパが海へ落ちていった。これは偶然?それとも・・・。パパが落ちたときユカは驚いたが、そのうちしゃがんでパパが溺れていくのを見ていた。

 


復讐

 

パパがすっかり沈んでしまうと、ユカはひとり日本大通を歩くのだった。

 


虚無

 

―完―

 

コケティッシュな加賀まりこが神々しい逸品。とにかく加賀まりこの全てが問答無用に可愛い。ユカの頭の弱さを補って余りあるほど可愛い。

オシャレさと可愛さとバカさと軽さのバランスが絶妙で、もしこれが同世代女優の吉永小百合大原麗子八千草薫だったとしたらバランスが崩れていたであろう。この作品はユカを加賀まりこが演じることで唯一無二のものにしている。

 


キワモノの名作

 

ユカは頭の弱い女である。女は男を喜ばせることに幸せを見出すと信じている。そして男を喜ばせること=セックスだと思っている。それもこれもユカの母親の洗脳のたまもので、元娼婦だと思われる母親は常々「女の幸せは男を喜ばせることだよ。男を喜ばせるのはアレしかないんだよ。だってアレの嫌いな男なんていないんだから」とユカに言い聞かせているからである。

 


それが母親の成功体験なんだろうなあ

 

なのでユカはパパに尽くしてカネをもらうのは愛されている証拠だと思っている。それでユカは幸せだったが、その幸せに疑問を生じるのが、家族と一緒にいたパパの幸福そうな笑顔である。

ユカはあんなに幸福そうに笑うパパを見たことがない。パパに幸福そうに笑って欲しいと思ったユカは状況だけ模倣する浅墓な一計を案じるのである。ユカはパパの家族に嫉妬していることに自分で気づかない。

 


知らず知らずに愛の押し売り

 

ユカの嫉妬に気付いたのはオサムである。嫉妬するということはそこにある程度の愛があるということである。オサムはただの愛人だと思っていたユカがパパを多少でも愛していることを知り嫉妬する。

しかし嫉妬したところでどうなるものでもないし、ユカは頭が弱い。かといってユカを見捨てることも出来ない。だってオサムはユカを愛しているんだもの。ユカの頭の弱さを知りながら、それでも愛している。

だがパパは違う。ユカを囲っているだけだ。本当に愛しているなら自分の利益のためにユカを知人に売ったりしない。

ユカの頭が普通だったらパパのお願いを一蹴するだろうし、そもそも割り切った関係であることを理解するだろう。しかしそうなればもはやユカではなくなる。頭が弱いからこそユカなのである。

 


全体的な軽さがユカのチャームポイント

 

こんなユカなのだから、加賀まりこ以外の女優が演じていたとしたら、可愛さよりユカの頭の弱さに呆れるだけであっただろう。

男にじゃれつく奔放さと大胆さ、ダイレクトに喜怒哀楽を表現する素直さ、他人の考えを読まない(読めない)無垢さ。可憐や清楚を排除しつつ、少女とヴァンプという反発するふたつのキャラクターが加賀まりこによって見事に調和し、ユカというひとつのキャラクターに矛盾なく同居している。驚くべきケミストリーである。大正解といっても良い。

 


下着姿が可愛いユカ

 

ユカの喫煙シーンも可愛く、フランソワーズ・ドルレアックに匹敵するほどであった。

 

小指の立て具合が似合う


参考:フランソワーズとトリュフォー

(マダムの思う世界一可愛い喫煙写真)

 

男に尽くして男を喜ばせたいユカなのに、キスだけは出来なかった。原因は幼少期にある。男とキスしている母親を窓の外から盗み見しているところを神父に咎められたのだ。「ユカ、見てはいけない!あれは恐ろしいものだ。最もやってはいけないことだ!」という神父の言葉が無意識に刷り込まれ、ユカは大人になってもキスだけは怖れていたのである。

あれだけ怖れていたキスを、ユカはオサムに与えたのである。オサムは死んでいたけれども。ユカはオサムを愛していることに気づいたのであろうか。

 


もう遅い

 

ラストシーン、ユカは日本大通を夢遊病者のように歩く。それがまた、似合う。都会的で孤独でちょっと蓮っ葉。やはり加賀まりこ以外には考えられない。

東京生まれの加賀まりこは高校生のときから六本木キャンティの常連だったということだ。伝説的レストランのキャンティは当時綺羅星のようなセレブリティを客とするサロンであった。そこへ通うということは、それだけ自主性を持っていたと思われる。自主性を持った加賀まりこだからこそ、自主性のないユカを演じて完璧なのである。

吉永小百合のように清楚ではなく、大原麗子のように湿っぽくもなく、八千草薫のように上品でもない。加賀まりこのユカは永遠に可愛いだけなのである。

男の理想を具現化した女にはむかっ腹立つのが普通だが、ユカだけは例外である。あまりにも可愛すぎて腹を立てるヒマがないのである。ユカの可愛さはもはや兵器と化している。

女のマダムでこれなのだから、男性陣のみなさまにおかれましては観賞には充分お気をつけあそばせ。あと、ユカみたいな女を探しても絶対見つからないからな。もしユカみたいな女がいたとしても、絶対裏に何かあるからな。お気をつけあそばせ。