男が野心を持つとき ゴリオ爺さん | 不思議戦隊★キンザザ

男が野心を持つとき ゴリオ爺さん

ラスティニャック青年は、南フランスに古くから続く名門貴族の出身であった。しかし革命による社会の不安定化で実家はすっかり没落し、領地からあがる地代で細々と暮らしていた。没落貴族といえども貴族は腐っても貴族、長男のラスティニャックは家族の期待を一身に背負い、学を修めるためパリへ上京したのであった。




ラスティニャックの下宿先は場末も場末、俗物で尊大な女将が経営する安下宿、そんな下宿の下宿人たちも似たり寄ったり、決して居心地が良いワケではなかったが、将来は実家の資産と名を立派に守るという目標を持っているラスティニャックは、狭い部屋も不潔な下宿先も、てんで問題にしなかった。貴族とはいえ実家の財政状況を知っているが故、貧乏学生という自覚はあった。
田舎の善人のようにひとを疑うことをせず、真面目に大学へ通う、家族思いの好青年ラスティニャックの考える成功とは、地味ながらも堅実な生活であった。



さて、時代はルイ・フィリップの立憲君主制王政下であった。革命から何度も政治が引っくり返り、貴族が衰退する反面、ブルジョワという新しい階級が台頭し始めていた。アメリカ帰りの進歩主義者ルイ・フィリップは自由資本主義を政策とし、その恩恵を受けたベンチャー成金の有象無象は、益々私腹を肥やすのであった。つまり、度胸と強力な人脈があれば商人や貴族といった階級に関係なく、誰だってカネ儲けが出来るのだ。そしてカネ儲けは悪徳ではない。


パリで一年暮らしているうちに、ラスティニャックはパリでの成功を夢見るようになった。パリでの成功、それは、パリ社交界での成功を意味する。全ての富と出世のチャンスは社交界に集まっている。まずは社交界に入りこまなければならない。そして、俺の後ろ盾になってくれるカネとコネを持った上流階級の夫人を、是非とも見つけなければならない。


ラスティニャックは貴族であったので、伯母の伝手で親戚のボーセアン子爵夫人を紹介してもらった。ボーセアン夫人はパリ社交界でも有名な貴婦人、彼女との血縁関係はラスティニャックにとって最強のカードである。早速ボーセアン夫人から舞踏会の招待状を受け取り、ラスティニャックは意気揚々と出掛けて行った。
ボーセアン夫人の館は、由緒ある貴族の邸宅が並ぶサンジェルマン地区にあった。まさか自分が、パリ屈指の貴族の館に足を踏み入れることになろうとは。



デコルテを惜しげもなく露出させている美しい女たち、その中でもひときわ目を惹く女性がいた。レストー伯爵夫人である。南国の情熱を持つラスティニャックは、怖いもの知らずの大胆さで伯爵夫人に近づいた。ダンスを2度申し込み、自分を売り込んだ。ラスティニャックから見たレストー夫人は、特に迷惑とも感じていないように思われた。ラスティニャックは夢見心地であった。


これがパリの社交界か!!俺の知らない世界、俺が飛びこもうとしている世界。俺にチャンスを与えてくれる世界。
ラスティニャックはこれから始めようとしている冒険を前に、若者らしい素直さでパリ社交界を受け止めた。しかし豪奢にひそむ虚栄心、欲情と嫉妬、ねたみやそねみが入り乱れる社交界の裏側を、彼はすぐに知ることになる。


後日ラスティニャックは、ボーセアン夫人の舞踏会で言葉を交わた美しい女性、レストー伯爵夫人を訪ねた。夫人の館はブルジョワジーの新興住宅地、ショセ=ダンタン地区であった。ラスティニャックが館に着いたとき、既に先客がいた。


当時一番イケてた男性ファッション


ウェストを絞ったフロックコートを着こなし、つややかな金髪をカールした男であった。玄関先に止めてあった箱馬車は、きっとこの男の乗物なのだろう。そう思うと、ラスティニャックは途端に田舎者丸出しの自分が恥ずかしくなった。貧乏学生の俺は、なんにも考えずにラタン地区の下宿屋から徒歩でトコトコやってきた。おかげでせっかくの舞踏靴に土がついている。そのうえ真昼間なのに燕尾服(俺の一張羅はこれだけなんだ)、手入れしていない黒髪のボサボサ頭。こんな身なりでは、上流階級の女どころか、お針子だって見向きもしてくれないだろう。
そうだ、パトロネスを探す若い男は、それこそ孔雀のように美しく着飾って、目当ての夫人に自分を売り込まなきゃいけないんだ。


磨けば光る原石


社交界の掟をまったく知らないラスティニャックは、館でKY発言までかまし、ワケの分からぬまま館を後にした。


途中まで上手くいっていたはずだ。しかし俺が「ゴリオ爺さん」の話を始めた途端、微妙な空気が流れ、レストー伯爵夫妻が急に険のある態度に変わったんだ。ゴリオ爺さんの話題が原因だったのは分かる。しかしなぜこの話題がNGなのか、俺には分からない!


ラスティニャックは忌々しい思いを胸に、流しの馬車に乗り込んだ。「ボーセアン夫人の館へ行ってくれ!」
いまのところ俺の出世への手掛かりはボーセアン夫人ただひとりだけだ。こうなったら恥も外聞もない。どうにかして俺を一流のダンディにしてくれるよう、夫人に頼みこむしかない。


数週間後、ボーセアン夫人に連れられてイタリア座へ現れたラスティニャックは見違えるようであった。隙のない流行のファッションと手入れした黒髪が、彼の美貌を益々際立たせている。これだけの美貌を持ちながら控えめな態度も好ましい。もともと貴族なので物腰の優雅さも見事なものだ。そして彼を連れているのが、社交界では一流の貴婦人として有名なボーセアン夫人なのである。誰もがふたりに注目した。


変身しました


とはいうものの、ラスティニャックが新調した最新流行スタイルのフロックコートは、実家に無理を言ってカネを借りて作ったもので、これで出世に失敗したら両親に合わせる顔がない。

これがデビューといってもいい社交界に、ラスティニャックは懐も自尊心も崖っぷちで挑んだのであった。


目的は自分に投資してくれるパトロネス。俺の野心を買ってくれる貴婦人。コネとカネを持ち、将来は俺に重要なポストを紹介してくれる女。そんな女を、俺は捕まえなくてはならない。



そこでボーセアン夫人が勧めたのが、莫大な資産を持つ銀行家の若妻のニュシンゲン夫人である。新興ブルジョワジーの間では人気急上昇中のニュシンゲン夫人は、カネ、若さ、美しさを完璧に兼ね備えていた。しかし、彼女が望んでもどうしても手に入らないものが、ひとつだけあった。貴族とのコネクションである。
彼女の姉は伯爵と結婚したおかげで社交界へ出入りしており、妹のニュシンゲン夫人にはそれが羨ましくて嫉妬するほどだ。そこへ貴族出身のラスティニャックが近付けば、遠からずに夫人はうまく堕ちるだろう。ラスティニャックはボーセアン夫人のサロンへの切符のようなものだからだ。

ボーセアン夫人のサロンは、パリで最もシックだと評判だが、招く客人を厳しく選定しているという点で、最も閉鎖的なサロンでもあった。だからこそ、ボーセアン夫人のサロンに出入りできることは一種の特権であり、それを持っている人物の自尊心を最大限に満足させるものだ。

つまり、ラスティニャックの貴族階級を餌にして、ニュシンゲン夫人を釣る計画なのである。上手くいけば、ニュシンゲン夫人はラスティニャックを通してボーセアン夫人のサロンに招待されるだろうし、ラスティニャックは強力なカネとコネを持つニュシンゲン夫人という後ろ盾を手に入れることが出来るだろう。


自分をどれだけ魅力的にプロモートし、如何にして他人を利用するか。世の中はギブアンドテイク、愛だって同じ。出世したいなら感情を捨てなさい、利害で付き合う女に惚れたらいけません、他人を踏み台にしてのし上がることを恐れてはいけません。

ボーセアン夫人はラスティニャックに忠告したが、まだ21に過ぎないラスティニャックは、初めての恋にウブであった。




ニュシンゲン夫人と付き合ううち、ラスティニャックには社交界の本当の姿が見えてきた。社交界なんて上辺だけ金メッキが施された集まりに過ぎず、そこでは噂と嫉妬だけが支配する。お互いに値踏みしあい、腹の中を探りあう。だからといって引き返すことはできない。一度参加したら最後、下らないチキンレースを続けなければならない。

だがそれも出世のため。ラスティニャックは博打を覚え、夫人の館で豪勢な夕食を取り、連れだって馬車で芝居を見に行く。ニュシンゲン夫人は人前でラスティニャックに全てを与えているようにふるまうが、実際は彼が一番望むものを決して与えない。恋の駆け引きに慣れていないラスティニャックは大いに悩む。


虚栄と冷徹な計算が渦巻く社交界に出入りしながらも、ラスティニャックはまだ良心というものを持っていた。正直で純粋で他人に容易く同情してしまう。特に、ゴリオ爺さんに。


シャルル・アズナブールのゴリオ

こちらはシャア・アズナブルさん


ゴリオ爺さんとは下宿屋でラスティニャックの隣の部屋に住んでいる老人である。製麺業で財を成したブルジョワだった。娘が二人おり、良縁のため莫大な持参金を持たせたということだ。姉はレストー伯爵に、妹は銀行家のニュシンゲンに嫁いでいた。
そう、ラスティニャックとも面識のある二人の貴婦人、レストー伯爵夫人とニュシンゲン夫人である。
娘は二人とも豪華で贅沢な生活をしているのに、なぜ父親のゴリオ爺さんはこんなところでカネの算段に困っているのだろうか?


ゴリオは早くに妻を亡くし、二人の娘を男手ひとつで育ててきた。そのせいもあるだろうが、ゴリオの娘たちに対する愛情は異常とも思えるほどであった。そして娘は父親の愛情をいいことに、それぞれ嫁いだ後も、あれやこれやとゴリオにカネを無心しているのである。
まるでカツアゲかと思うほどの集りっぷりにラスティニャックは驚くが、ゴリオにとっては可愛い娘、公債を売ったり銀食器を質に入れたりして娘のためにカネを作る。ゴリオの無償と思える愛に、ラスティニャックはいつしか尊敬の念を抱き始める。


ラスティニャックはゴリオのお気に入りになった。公正で真面目な青年、貴族ではあるが情もある。なにより愛しい娘の愛人なのだ。二人は、ニュシンゲン夫人を愛しているという共通点から連帯感を強めていく。
ゴリオは娘とラスティニャックのため、逢引き用の部屋を借りてやった。こぢんまりとした部屋は趣味のよい調度品で飾られ、食卓にはレストランから取りよせた料理が並べられていた。
ラスティニャックは自分のために整えられた部屋に入るなり、深く考え込んでしまう。


ゴリオ、腹話術人形みたいだぞ


なぜだ?ゴリオ爺さんはみすぼらしい下宿屋に住んでいるというのに、なぜ俺たちにこんな贅沢を勧めるのだ?これは俺の望んでいたことだろうか?他人にカネを出させて、さも当たり前のように贅沢を消費することが?
夫人も夫人だ!父親が自分の欲望にカネを出すことを当たり前だと思っている。ゴリオもゴリオだ!カネなんてないくせに、なぜここまでする?これが娘への愛情なのか?精神的愛情より物質的愛情の方が勝っているとでも思っているのだろうか?
そりゃ俺は成功したいと願ってる。カネだって欲しい。だけどこの遣り方は正しいのだろうか?分からない。俺には分からない。


他人を利用し、常に利害を考える。利用できると思ったら、ためらいなく踏み台にしなければならない。
それが出世の近道だということを、ラスティニャックは理解し始める。



ある夜、ゴリオが倒れた。ゴリオの意識は混濁し、もう先は長くないように思える。ラスティニャックはゴリオの娘、すなわちレストー伯爵夫人とニュシンゲン夫人に急いで連絡する。しかし二人ともゴリオの見舞いに来ようとしない。
なぜなら今夜は二人にとって大事な夜会があるからだ。そしてラスティニャックはニュシンゲン夫人と一緒に夜会へ出席する予定であった。危篤状態にある父親の見舞いより、見栄を張れる夜会の方が大事だというのだ。
これがまともな回答だとは、ラスティニャックにはとうてい思えなかった。だが、ニュシンゲン夫人の「夜会のあと、すぐに見舞いに行く」という条件を飲み、沈んだ気持ちのままニュシンゲン夫人のエスコート役として夜会へ出席する。夜会が終わり、ニュシンゲン夫人を連れて下宿屋へ戻ろうとするが夫人は疲れたからいやだと言って断る。結局夫人は朝一番に見舞いに行くと約束し、館へ帰って行った。
下宿屋に戻ったラスティニャックはゴリオが不憫でならない。娘二人は父親を裏切っていると言っても等しいのに、ゴリオは娘の見舞いを健気に待っている。それだけのために、かろうじて生きているといった様相である。しかし、いくら待っても娘は来ない。
とうとう最後はゴリオも娘に裏切られたことを確信し、すでに呂律が回らなくなっているにも関わらず呪詛を呟きながら死んでしまった。



ラスティニャックは友人の医者と一緒に、なけなしのカネをはたいてゴリオの葬儀を行った。なんて世の中だ!
カネ、階級、出世、成功。俺は金輪際、感情というものを捨ててやる!どんな汚いことをしてでも、成り上がってやる!
俺はゴリオ爺さんのように死にはしない。いくらでも出世してやる!
ラスティニャックは、墓地のある高台からパリを見下ろしながら叫ぶ。


「A nous deux maintenant!」



-完-


オノレ・ド・バルザックが執筆した「人間喜劇」シリーズの中でも、最も有名なのが今回紹介する「ゴリオ爺さん」であろう。タイトルは「ゴリオ爺さん」だが、真の主役は、田舎からパリへ上京した貧乏貴族、実直で真面目なラスティニャック青年である。


バルザックさん
(付き合う女は全て貴族階級だった)


最初はウブなラスティニャックが、パリに1年住み視野が拡がっていくにつれ、野心を抱きはじめる。コネでボーセアン夫人と知り合いになり、そこからラスティニャックの出世物語が始まるのである。



バルザックの小説は人物再登場が特徴である。まあ、一言でいうとスター・システムみたいなもんだ。ある小説では脇役だった人物を、別の小説で主役として登場させる。または、その反対もある。ラスティニャックは人間喜劇内で一番出世した人物であり、登場回数も多い人物なのである。
「ゴリオ爺さん」は、ラスティニャックが初めて登場した小説である。この小説の面白さは、最初は田舎の貧乏貴族に過ぎなかった青年が、社交界を知り、恋の駆け引きを知り、パリという都市のしたたかさと無常を知るに従い、度胸をつけ、女の自尊心をくすぐる術を身につけ、最後には出世のために感情を捨てるという変貌具合であろう。



ラスティニャックは最終的に、貴族議員にまで上り詰める。しかし度胸があり、女の自尊心をくすぐる術を持ち、感情を捨てた誰もが出世できるかというと、そんなことはない。ではなぜ、ラスティニャックは出世できたのであろうか?

それはラスティニャックが持つ美貌であると考える(超個人的意見)。
エキゾチックな黒髪に情熱的な瞳。ラスティニャックをひとめ見たボーセアン夫人は、磨けば光る人物だと見抜いたに違いない。


当時の青年は、年上の親しい貴婦人を持つことがステータスであった(バルザック然り)。青年は芝居やオペラなどで貴婦人をエスコートし、振る舞いや社交のルールを覚えた。貴婦人は既婚者であることが多かったが、当時の上流階級は政略結婚であったので、後継ぎさえ生んでしまえば、あとは自分の好き勝手に出来たのである。
ダンスや芝居、ピアノに刺繍、貴婦人の趣味もいろいろあるが、その趣味のひとつに「男を育てる楽しみ」も入っている気がする。ラスティニャックのように最初はウブな青年が、教育するに従って徐々に当世風のダンディに変身すればするほど、教育のし甲斐があるってもんだ。野心を持った美しい男であれば尚更だ。


右上の髭の人物は誰だよ?バルザック?


ラスティニャックが感情を捨てた8年後、彼は社交界では知らぬ人がいないほどのダンディとなる。これもボーセアン夫人が最初に施した教育のおかげであろう。

ウブだった頃のラスティニャックが、ボーセアン夫人の館で泣き付いたとき、夫人はこう言った。


あなたは冷静に計算なさればなさるほど、出世なさるのです。容赦なく打撃を与えなさい。そうすれば、ひとに恐れられます。男も女も、宿駅ごとに乗り潰して捨ててゆく乗継馬としてしか、受け入れてはいけません。そうすることによって、あなたは望みの絶頂に達することができるでしょう。


ゴリオが息を引き取ったとき、ラスティニャックは全てを理解した。出世と引き換えに人間性をなくさなくてはならないことを。それが、この時代だということを。社交界で上手く泳ぎ続けるには、仮面を被らなくてはならない。


時代に負けたゴリオの墓前で、最後にラスティニャックが叫ぶ一言、「A nous deux maintenant!」、日本語訳では「さあ、これからはパリとおれの一騎打ちだぞ」が有名だが、あえてマダムが別の科白に意訳してみようと思う。


「お前(パリ)と一緒に、行き着くところまで行ってやるぜ!」




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