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[考え方を少し変えたり、世の中を見る角度を少し変えれば、生きる希望は見えてくるものです。それを説き明かし、安楽な世界へと導いてくれるのが仏教なのです。
仏教には、自分の生き方を変える言葉がたくさんあります。生きる希望が湧いてくる言葉が数多く語られています。そのことを多くの方に伝えたいと思い、本書を記しました。
第二章 道が開ける言葉
◆外道・極道・中道───道はいろいろある(典籍;外道(げどう)「俱舍論」など多数極道(ごくどう)「日本での造語」中道(ちゅうどう)「中阿含経」)
[仏教でいう「道」は、「修行過程や方法」を意味しています。仏教語には「道」がついた言葉が多く存在しています。「仏道」といえば「仏陀になるための修行法」ですし、「道場」といえば「仏道修行の場所」が本来の意味です。
「外道」も仏教の言葉です。今ではいい意味では使われませんが、元は「仏教以外の宗派」という意味で使われていました。そこには、卑下も批判もありません。仏教は他の宗派を非難したり批判したりはしません。「人にはその人にあった道がある」というのが仏教思想の基本ですから、あえて他宗派を批判することはなかったのです。
「極道」という言葉もあります。この言葉も好印象の言葉ではありません。しかし、元は「道を極める。極楽への道」という意味に使われていました。「極道者」といえば、「道を極めた者」であり、「覚りを得た者」という意味になります。
「中道」も仏教語です。本来は「快楽主義・苦行主義に偏らない修行」を意味しています。仏教は快楽修行も苦行も認めてはいません。むしろ、苦行では覚りを得られない、としています。どちらにも偏らない平等を修行することで覚りに至るのです。
道は一つではありません。いろいろな道があります。あなたがどんな道を選ぼうと、それはあなたの自由です。たまには道を外れてもいいでしょうし、道草を食らうこともいいのです。途中で道を変えることも構わないでしょう。どんな道でもいいですから、楽ばかり追わず苦労を遠ざけないで、堂々と自分が選んだ道を歩み、その道を極めて欲しいものです。]
【本来、皆仏教用語でそれぞれに意味深い言葉です。
現在では特に、外道や極道は人間の行うべき道ではない行いを意味しております。
その中で佛様は、中道の大事を説いておられます。
私たちは快楽のみにふける事なく、逆に自分の体を痛めつける様な苦行に身を置くことなく、ごく自然に中道を歩ませて頂きたいものですね。 合掌】
世界平和・日本国安泰・正法興隆・天変地変の難の成仏を祈願させて頂き、一日も早くロシア、ウクライナ、中東での平和な日々が訪れます様。🙏🙏🙏