法恩院住職 鳥沢廣栄著
『スッと心が軽くなる仏教の言葉』を引用させて頂き投稿させて頂きます。
[考え方を少し変えたり、世の中を見る角度を少し変えれば、生きる希望は見えてくるものです。それを説き明かし、安楽な世界へと導いてくれるのが仏教なのです。
仏教には、自分の生き方を変える言葉がたくさんあります。生きる希望が湧いてくる言葉が数多く語られています。そのことを多くの方に伝えたいと思い、本書を記しました。
この本を読んで、少しでも生きる希
望が得られるならば、幸いに思います。あなたの心に響く言葉が、きっと見つかることと思います。 合掌]
鳥沢廣栄著
第二章 道が開ける言葉
◆誘引開導(ゆういんかいどう)───導けるか否や(典籍:「法華経」「俱舎論」など)
[最後通告をする時などに「引導を渡す」といいます。この引導とは、そもそもお葬式で僧侶が死者に死を告げ、あの世に導くという意味です。
これは、「増壱阿含経」に説かれている話が元になったとされています。
お釈迦様が大愛道比丘という弟子が亡くなったとき、人生無常と涅槃常住を説きました。この逸話が元になって、死者に対し諸行無常・涅槃寂静を説く習慣ができ、葬式へと発展していったのだそうです。これが、後々死者へ引導を渡すという言葉となったのです。
引導には、もう一つ意味があります。それは、法華経に説く「誘引開導」という言葉です。引導は「誘引開導」の省略です。その意味は、「人々を導いて仏陀の教えに引き入れること、正しい方向へと導くこと」です。こちらが本来の引導の意味になります。
人々を正しい方向へ導くことは、大変難しいことです。人々だけではありません。学校では先生が生徒を、会社では役員が経営を、家庭では親が子を、正しい方向へ導かねばなりません。しかし、必ずしもそれが成功するとは限らないのです。
正しい方向へ導けるかどうかは導く者の力量にかかっています。導く者の能力によっては、方向を見失ったり誤ったりもします。導く者は責任重大です。
己が人を導くに相応しいものかどうか、現在の導きが正しいかどうか、時折、省みるのも大切なことでしょう。もし、方向性に疑問があるのでしたら、勇気を持って変更しましょう。それが引導する者の責任なのです。]
【人々を正しい教えに導く行いは大変に難しい事です。と共に大きな徳を積む行いになります。
導かれた方は勿論の事、多千億のご先祖様も救われる事となります。この事が導きの行いの大変に大事な理由です。 合掌】