画像はお借りしました
法恩院住職 鳥沢廣栄著
『スッと心が軽くなる仏教の言葉』を引用させて頂き投稿させて頂きます。
[考え方を少し変えたり、世の中を見る角度を少し変えれば、生きる希望は見えてくるものです。それを説き明かし、安楽な世界へと導いてくれるのが仏教なのです。
仏教には、自分の生き方を変える言葉がたくさんあります。生きる希望が湧いてくる言葉が数多く語られています。そのことを多くの方に伝えたいと思い、本書を記しました。
この本を読んで、少しでも生きる希望が得られるならば、幸いに思います。あなたの心に響く言葉が、きっと見つかることと思います。 合掌]
鳥沢廣栄著
第二章 道が開ける言葉
◆他力本願──無責任な道ではない(典籍:「黒谷上人語燈録」「法然上人行状画図」)
[自分のやるべきことを何でも他人に任せてしまうことを他力本願といいます。この他力本願は、元は法然上人や親鸞聖人がよく用いた言葉です。
仏教の修行は、自力・他力・自他力の三種に分けることができます。自力とは、自分で修業して覚ることです。座禅により覚りを得ることがこれにあたります。自他力とは、自分で修業もするが、如来や菩薩などの救いも求めて覚りに至ることです。密教がこれにあたります。
さて、他力です。これは他力本願と同じで、如来や菩薩の救いにすべてを任せてしまい、そこから覚りを得ることです。すべてを阿弥陀如来に任せてしまうという、浄土宗や浄土真宗の教えがこれにあたります。これは簡単そうに思えますが、意外に実践が難しい教えなのです。なぜなら、そこには自分の意志は微塵もないからです。
本当の他力本願とは、如来や菩薩の救いにすべてを委ねてしまうことです。自分の意志や意見は、捨てなればなりません。自分という我は一切ないのが他力本願なのです。委ねたことにより、どのような苦しみや困難があろうとも、すべて受け入れねばならないのです。結果がどうであれ、不平不満は絶対にいわないのです。本当の他力本願は、単なる無責任なお任せ主義とは異なるのです。
自分のやるべきことを他人に任せてしまうのなら、結果がどうであれ文句をつけてはいけません。任せたのは自分自身なのですから、責任は自分にあるのです。それが納得できないのなら、人任せなどしないで、自分で行動するべきでしょう。]
【他力本願は一見心の弱い人の信心の姿の様に思いがちですが、よく考えてみますと決してそうではありません。
世界平和・日本国安泰・正法興隆・天変地変の難の成仏を祈願させて頂き、一日も早くロシア、ウクライナ、中東での平和な日々が訪れます様。