法恩院住職 鳥沢廣栄著
『スッと心が軽くなる仏教の言葉』を引用させて頂き投稿させて頂きます。
[考え方を少し変えたり、世の中を見る角度を少し変えれば、生きる希望は見えてくるものです。それを説き明かし、安楽な世界へと導いてくれるのが仏教なのです。
仏教には、自分の生き方を変える言葉がたくさんあります。生きる希望が湧いてくる言葉が数多く語られています。そのことを多くの方に伝えたいと思い、本書を記しました。
この本を読んで、少しでも生きる希望が得られるならば、幸いに思います。あなたの心に響く言葉が、きっと見つかることと思います。 合掌]
鳥沢廣栄著
第一章 心が軽くなる言葉
◆凡聖不二(ぼんしょうふに)──仏も凡人も変わらない(典籍:「沙石集」)
[お釈迦様が入滅して以降、お釈迦様と同じような覚りを得る修行者がいなくなりました。そのため、お釈迦様のような仏陀になるには、何度も生まれ変わって善行を積まないといけないという教えが主流になりました。一般の人々も修行者も、凡人は聖者である仏陀とは程遠いのだ、ということです。
ところがその後、大乗仏教の台頭により、衆生は仏陀とかけ離れたものではない、という思想が主流になりました。凡人も聖者である仏陀も本質的には同じである、という思想です。これを「凡聖不二」といいます。
普通の生活をしている凡人(仏教では凡夫といいます。)でも、仏陀になることができる種を持っているのです。
なぜなら、仏陀であるお釈迦様も凡夫と同じ人間だからです。お釈迦様は、超人ではなく我々と同じ人間なのです。
同様に、世の中の人間もみな本質的に平等で同じなのです。みんな同じ人間なのです。そこには差別も区別もありません。個性の違いや性格や性質の違いがあるだけなのです。凡人であっても、才能あふれる人であっても、本質的には同じ人間なのです。
凡人だからといって悲観することはありません。凡人が聖人に成ることだってあり得ます。凡も聖も同じなのですから。]
【一切衆生悉有仏性(しつうぶっしょう)です。私たちも皆佛に成れる素質を有しております。釈尊も人間から佛様に成られました。私も業障の垢を一枚一枚洗除し、佛の身を目指し、長い道のりと思いますが、「今身より佛身に至るまで能(よ)く持(たも)ち奉る」の誓願のもと精進を続けて参ります。 合掌】