法恩院住職 鳥沢廣栄著
『スッと心が軽くなる仏教の言葉』を引用させて頂き投稿させて頂きます。
[考え方を少し変えたり、世の中を見る角度を少し変えれば、生きる希望は見えてくるものです。それを説き明かし、安楽な世界へと導いてくれるのが仏教なのです。
仏教には、自分の生き方を変える言葉がたくさんあります。生きる希望が湧いてくる言葉が数多く語られています。そのことを多くの方に伝えたいと思い、本書を記しました。
この本を読んで、少しでも生きる希望が得られるならば、幸いに思います。あなたの心に響く言葉が、きっと見つかることと思います。 合掌]
鳥沢廣栄著
第一章 心が軽くなる言葉
◆自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)──本来は清らかである
(典籍:「宝性論」)
[人間の心は汚れているのでしょうか。悪の心なのでしょうか。
人間は善の心だけを持っているわけではありません。悪い心も持ち合わせています。善の心も悪の心も、兼ね備えているのが人間です。しかし、仏教では、その善悪は別として、人間の心は本来清らかなるもの、清浄なるものと説きます。これを「自性清浄心」といいます。大乗仏教が興り始めたころ、多くの仏教論書に説かれ始めました。
人間の心は本来清らかなものなのです。ではなぜ、人間は悪いことをしてしまうのでしょうか。本来の心が清浄ならば、悪いことはできないはずです。そう思われるのも当然でしょう。しかし、人間には欲があります。それが悪いことをする原因なのです。
人間の心は本来清浄なのに、いろいろな欲により、本来の清浄さを覆ってしまうのです。清らかな水が数滴の汚れた泥水で濁ってしまうように、清らかな心もわずかな欲望により、その清らかさが隠されてしまうのです。
たとえば、意地悪な心や人よりも勝りたいという欲求、妬み、羨み、怨み、怒りといった数滴の汚れた想いで、心の清らかさが濁ってしまうのです。
その妬みや羨み、意地悪、怨み、怒り、貪りといった数滴の汚れた心を減らしていけば、人々の心に本来の清らかなる心が現れてくるのです。
あなたの心は本来清らかなのです。そこに気付いてください。]
【私たちの本来清らかな心は、生まれ変わり死に変わりする中で、「身とは殺、盗、婬」を繰り返し、どんどん汚くなっております。
しかし、汚くなる一方ではありません。その事に気づき、懺悔(さんげ)の行いに入りますと徐々に心の濁りは取れてゆきます。精進あるのみですね。 合掌】