能登半島大地震に伴い被害を受けられ被災なされました皆様には心からお見舞い申し上げます。
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『日本と世界の宗教がひと目でわかる!』引用させて頂き投稿させて頂いてます。宜しくお願い致します。🙇
編者紹介(下記引用)
歴史の謎研究会
歴史の闇にはまだまだ未知の事実が隠されたままになっている。その奥深くうずもれたロマンを発掘し、現代に蘇らせることを使命としている研究グループ。
教養として覚えたい宗教の知識を一冊に凝縮したのがこの本。三大宗教はもちろん、ユダヤ教、ヒンドゥー教、儒教、神道………など「世界」を知るのに欠かせない大事なポイントがひと目でわかる、宗教の完全見取り図!]
第五章 儒教・道教
孔子の生涯①───儒教の祖が「三十にして立つ」まで(一部省略)
[孔子は、春秋時代の紀元前五百五十一年(一説に五百五十二年)、魯国で下級役人の子として生まれた。
ほかに、巫女の子に生まれたという説もあるか、いずれにせよ、孔子自身が「貧しくて賤」と語っているように、決して名門の出ではなかった。
姓は子(孔子の「子」とは別)、氏は孔、諱(いみな)は丘なので、本名は「孔丘」である。
孔子の「子」は「先生」というほどの意味で、孔子とは孔丘を尊敬した呼び方といえる。
孔子が学を志したのは、十五歳と遅かった。論語にいう「吾、十五にして学を志す」とは、本来、学問を志したのは遅いほうだったという意味なのである。
しかも、父親を幼いうちに亡くしていたので、苦学して礼学を修めたという。
十九歳のとき、宋国出身の女性と結婚す、長男の伯魚をもうけたとされるが、それ以降、家族の消息はほとんどわかっていない。
二十歳を過ぎた頃、孔子は、穀物蔵を管理する役人に採用される。その後、牛馬を飼育する役に昇進したものの、将来は都の中枢で働きたいと勉強を続けていた。
やがて、孔子は優秀さを認められ、周公を祭る大廟(たいびょう)に勤務するようになった。
すると、孔子の学識の深さを慕って、しだいに若い人たちが集まってくるようになった。
そこで、孔子は役人の職を辞し、魯の都の一隅に塾を開くことにした。
これが、中国初の私塾といわれ、向学心に燃えた人々が集まってきた。泰商、顔路、子路などが、初期の弟子たちだった。
孔子は「三十にして立つ」、すなわち三十歳でなんとか一人前になったといっているが、私塾を開いて独立したのが、ちょうど三十歳の頃のことだった。]
【「三十にして立つ」の言葉の重みをひしひしと感じます。
私のような平凡な人間でありましても、自らの進む道(私の場合は法華行者)を極力早く定め、ぶれる事なく前進してゆく事が『立つ』の状態に値すると思います。 合掌】
世界平和・日本国安泰・正法興隆・天変地変の難の成仏を祈願させて頂き、一日も早くロシア、ウクライナ、中東での平和な日々が訪れます様。
南無妙法蓮華経🙏🙏🙏
「先祖の血みんな集めて生まれけり」と説かれておりますが、私達の血肉の本は多千億のご先祖様から頂いております。ご先祖さまを敬い尊ばせて頂き子孫自らが亡き両親・亡き我が子・我が家族・ご先祖様のお供養をさせて頂く事が今命を頂いている者の使命役目であり信心の基本です。
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