※信解品第四
私の有する一切の財物はみなわが子のもの
〈要点〉
信仰は、心かずることと、心から理解するという二つの面に支えられている。
釈尊から、『人はすべて仏性をもち、正しい修行をすれば必ず仏の智慧に達することができる』と聞いて、舎利弗たちは歓喜する。慧妙須菩提(えめょうしゅぼだい)・摩訶迦旃延(まかかせんねん)・摩訶迦葉(まかかしょう)・摩訶目けん連(まかもつけんれん)の四人も、舎利弗と一緒に喜びあう。そして、その説法を信じ理解したことを確認するために、譬えをもって語るのが、この章である。
幼いころ父の家を出て、五十年も諸国を放浪している貧しい男がいた。父は、一人しかいない幼い子を探しつづけたものの、どうしてもみつからず、自分もある町にとどまり、成功して大きな財産を築いていた。
そんなある日、貧乏のどん底にあえぐその男が、父の邸とも知らず、雇ってもらおうと門の前まできたものの、あまりの豪華さに圧倒されて、走り去る。父は、直感的に『息子にちがいない』と思い、その男を邸へつれてこさせた。男は『罪を犯していないのに、なぜ罰するのか』大声でわめきたてるので、父は一度放すことにした。
そして再び、使用人をつかって、『便所やどぶの掃除を一緒にやらないか』ともちかけて、安心して働かせ、息子を観察しつづける。二十年も働いていると、男は少しずつ本来の素直な心をとりもどしてきた。父は、病気になると、蔵の管理を息子にまかせ、臨終が近づくと、親族一同を集め、初めて、父子の名乗りをあげ、全財産を息子にゆずり渡すのである。息子は運命の不思議さに心うたれて、父に感謝して告げる。
『 私があなたの息子とは信じられません。財産をいただけるなんて考えたこともないのに、この宝蔵をすべてゆずられるとは、どういうことでしょう』___
大長者の父は仏であり、放浪する息子は衆生なねだ。財宝は仏の教えのことだ。仏性を父から受け継いでいるのも知らず、娑婆世界をさまよい歩いているのである。しかし、衆生も仏の子。いくら背をむけても、いつしか父のほうに近づいていくのである。
[信解品第四]は、自分が仏の子であり、仏性をそなえていることを知らずにさまよい歩いている衆生を、仏は、その卑屈な心を自然に温かく導いて、仏の智慧にふれさせる。
そして自己の本質に目覚めさせ、その尊さに気づかせるのである。[信解品]の魅力は実に大きい。
【中品の弟子四人が『三車火宅の譬え』に対し自分達が考えた譬諭をもって展開されている章です。即ち、長者窮子(くうじ)の譬えです。】
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