三年前の、3/11。
震災が起きた日、
わたしは沖縄プロレスにいました。
修行に来ていた仙台幸子も一緒でした。
幸子は、毎日泣いてました。
ご飯も食べずに、寝れずに、ひどい顔してました。
みんなが心配だから、仙台に帰りたい、と言って、泣いていました。
どうしてあげたらいいかわからなかったし、どうすることもできなかった。
毎日、幸子を怒りました。
しょぼくれた顔でリングに上がるな!
ご飯食べなさい!
寝れなくても寝なさい!
幸子、辛かったと思います。
でも、逃げなかったし、負けなかった。
同じ頃、DASHチサコは、
仙台で、無事だったけれど、仙女で、試合ができなくなりました。
それもまた辛いことだったと思う。
震災から少し立った頃、
たまたまボリショイさんが来沖したことがありました。
幸子から話を聞いたボリショイさんは、すぐに、チサコを東京のJWPの寮に呼んでくれました。
ああ、幸子も、チサコもプロレスラーだな、と思いました。
あきらめない。
前を向いて。
そして、誰よりもあきらめなかった人がいます。
里村さん。
震災の状況があまりにひどくて、
失礼ながら、仙女はもうダメなのではないかと、思いました。。。
幸子が、沖縄を離れるとき、
里村さん、チサコ、花月、全選手で沖縄プロレスに参戦してくれました。
凄いな、
あきらめないんだな。。。
それなら、
わたしは、いつか絶対、
仙女幸子と仙女で試合しようと、
思いました。
自分がお願いして出してもらうのではなく、仙女からオファーがくるレベルにいこうって、
そういうモチベーションは、
辛いときこそ、わたしを助けてくれました。あきらめないこと。
仙女と幸子、仙台のお客さんが、
教えてくれたことです。
そして、チサコがJWP無差別のベルトに挑戦する、、、
その直前で、組まれました。
DASHチサコ vs 木村響子
思った通り、
チサコは、最後まで全然、勝負をあきらめなかった。
なぜこのタイミングで、組まれたか?
わたしに負けて、アレコレ言う人もいるでしょう。
でも、わたしに負けたくらいで、チサコは、あきらめない。
チサコも、仙女も、仙台のお客さんも
あきらめないで乗り越えてきた、ということ。
仙女を背負う。以上に、そういうものすべてを、小さな背中に背負ってる。
強いよ。
チサコのJWPへの恩返しを、
しっかり見届けます!
仙台から、一緒に祈っててください。