昨日の記事で

息子が「誰かに見られている」という不安を書きました。

 

 

 

それが統合失調症の可能性があると言われたのは5月くらいのこと。
 

 

 

正直、最初は「本当にそうなの?」って思った。検査をしたわけでもなく、問診3回目で言われた。決定ではなく可能性だけど、先生の勘なんじゃなの!?と思ったから。


 

 

そもそも思春期外来とはいえ、名前が違うだけで「精神科に通うなんて…」という気持ちがなきにしもあらず。その上、その現実を受け入れるのが、私自身は怖かったんだと思う。

 

 

 

どんな診断であれ、そのときの息子が不安や怖さを抱えていることには変わりない。病名そのものよりも、息子の気持ちにどう向き合うかのほうが、ずっと大切だったのだけど、私の勝手な理想を押し付けるならこんな感情があったことを、ここに残しておく。

 

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だけど、ふと「もしかしたら病名がついたほうが楽なのかもしれない」と思うこともあった。名前がつけば、治療の方向性が見えたり、周りにも説明しやすくなる。
 

 

 

病名があろうとなかろうと、息子自身がどう感じ、どう前に進めるかが一番大事なんだと思う。病気の名前を聞くと、「まさかうちの子が…」と思ってしまうのが親です。わかってもらえると嬉しい。

 

 

 

そこにしょんぼり立ち止まるのではなく、そこからどう一緒に進んでいけるか。昨日も書いたけど、息子同様、私も感情の波はありました。それがスットコドッコイな感情という見方がわかってからはすごく一歩離れて俯瞰することができてからは楽になった。

 

 

 

最近、息子が「こう感じるんだ」と自分の思いを少しずつ話してくれるようになった。もちろん私だけでなく、外来の先生にも。その言葉を聞くたびに、「変化しているんだ」と感じられて、前に進む希望がわいてくる。

 

 

どんな人に出会えるかで変われることがある。ちょっと違うなと思ったら、迷わず変えてみることも手だと思う。