進歩性判断に関する2つの注目判決についての雑感 | 知財弁護士の本棚

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企業法務を専門とする弁護士です(登録30年目)。特に、知的財産法と国際取引法(英文契約書)を得意としています。

ルネス総合法律事務所 弁護士 木村耕太郎

以前に(10数年前か)弁理士さんたちと行った勉強会で、「アメリカにはグラハム判決があるのに、日本には進歩性に関する基本判例がない」とおっしゃった方がいた。

   

アメリカ最高裁の1966年の判決であるGraham v. John Deereは基本判例とされているが、その内容自体は簡単なもので、進歩性判断についての近時のわが国の裁判実務のような精緻なロジックを示すものではない。しかしながら、基本判例が存在するという、そのこと自体に意味があるのだというようなことを、その方は主張しておられた。

   

その後、知財高裁平成21128日判決・平成20年(行ケ)10096号【回路用接続部材事件】が現れたとき、一部の専門家は、大変注目すべき重要判例が出たように、もっともらしいことを述べていた。

   

回路用接続部材事件は、特許発明の課題を重視する考えを打ち出したもので、もっと言うと(そこまではっきり書いていないが)特許発明と引用発明の課題の共通性を重視する見解ではないかと思われる。平成21年から23年ころの知財高裁の判決には、特許発明の課題を重視する態度を前面に出したものが目立つ。

   

しかし、(このブログで述べたことがあったか覚えていないが)特許発明と引用発明の課題の共通性をあまり重視するのは、端的に言うと間違っていると、個人的には考えている。理由は、理科大の講義などで話したことが何度かあるが、ここでは書かない。KSR事件として知られる2007年のアメリカ最高裁判決は、特許発明と引用発明の課題の相違を重視して非自明としたCAFC判決を取り消した。

   

回路用接続部材事件の一時期のブームの後、同判決が基本判例として定着したと言えるのかは疑問がある。

   

最近、注目されている判例が2つある。

   

1つは、知財高裁平成30413日判決・平成28年(行ケ)10182号、10184号【ピリミジン誘導体事件】であり、進歩性判断における引用発明の適格性に関するもの。大合議判決として、初めて進歩性に関する論点を取り上げた。化合物の発明において、副引用発明が相違点(化合物の構造の一部)に係る上位概念(2000万通り以上の組み合わせ)を開示しているという事案である。

   

本判決は、主引用発明を認定し、本件発明との一致点・相違点を認定し、副引用発明から相違点を埋めるような組み合わせ・置換を論理づけできるかを検討する、という近時の実務で定着したロジックを確認しているほか、「①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆、技術分野の関連性、課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して、主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに、②適用を阻害する要因の有無、予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。」という部分が一般論として役に立ちそうだ。

   

メインの論点については、「刊行物に記載された発明」(2913号)は「当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない」、「当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできない」としているが、これはむしろ当然か。

   

隠れた論点?として、容易想到性(進歩性なし)を基礎づけるのに、主引用発明(甲1発明)を選択したことの合理的理由が必要かが争われた。判決は(主引用発明、副引用発明を含めて)「通常、本願発明と技術分野が関連し、当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択される」とだけ判示しており、技術分野の関連性は必要とするものの、それ以上のことは要求していない。引用発明を選択したことの合理的理由は不要ということであり、これが現在の実務だ。塚原朋一先生の「特許の進歩性判断の構造について」(片山英二先生還暦記念論文集「知的財産法の新しい流れ」417頁)が、唯一の必要説かと思われる。ここは、不要説でよいのではないか(なお上記塚原論文自体は傑出した論文であり、是非読むべきである)。

 


もう一つの判例は、最高裁令和元年827日判決・平成30年(行ヒ)69号【アレルギー疾患用点眼剤事件】であり、進歩性判断における顕著な作用効果に関するものだ。判決の内容は他の論文などに譲る、というか原文を見た方が早い。

   

この判決の位置づけは難しく、単なる事例判決かもしれない。高橋淳先生は、進歩性に関する審決取消訴訟の判決が、実体判断の誤りを理由として最高裁により取り消されることはないという長年の特許実務家の常識を打ち破った判決であると述べている(知財ぷりずむ20203月号1頁)。たしかにおっしゃるとおりだ。しかし常識を打ち破ったかもしれないが、内容が単なる事例判断であることと別に矛盾はしないので、常識外だから重要判例とも言いきれない。実務家にとっての重要判例とは、何らかの基準を明確に提示しており、他の事件に応用可能であるような判例である。

   

顕著な作用効果については2つくらい論点がある。論点1は、独立要件説と二次的考慮説と呼ばれるもので、清水節先生の特許判例百選【第5版】69事件解説が大変、わかりやすい。独立要件説とは、たとえ相違点にかかる構成が容易に想到できるとしても、当該発明の効果が予測しがたい顕著なものであるときは、これを独立の要件と見て進歩性を認める見解である。これに対し、二次的考慮説とは、発明の進歩性は、構成の容易想到性を意味するが、その論理付けの際に、当該発明の効果も二次的な考慮要素となるとの見解である。

   

二次的考慮説というと、アメリカ法のsecondary considerationsを連想してしまうが、どうも直接の関係はないと考えた方がよさそうだ。

   

自分の感覚としては、まさに二次的考慮説なのだが、下級審判例や学説は独立要件説が優勢なようである。

   

アレルギー疾患用点眼剤事件の最高裁判決がどうなのかと言うと、高橋淳先生によると、独立要件説を前提にしているとのこと(知財ぷりずむ20203月号3頁)。そこまではっきり書いていないような気もするので、もう少し考えてみたい。

 

  

顕著な作用効果についての論点2は、作用効果が「顕著」というのは、従来技術(引用発明)の作用効果と対比してなのか、引用発明を組み合わせた構成から予測される作用効果と対比してなのかという論点がある。拙稿「知的財産法エキスパートへの道(36回)特許権の実体的成立要件(4)進歩性」知財ぷりずむvo.10 No.11320122月号)87頁で触れたり、理科大の講義では何度か話をしたことはあるが、従来はあまり知られていなかったマイナーな論点だ(当然①だと思っている人が多かった)。

   

本判決は、本件発明が奏するであろう作用効果(「本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果」)と対比しており、意味としては②説を採用するようである。

   

本判決は、基準を一般論として定立していないし、進歩性判断の数ある問題のうちの、顕著な作用効果に関することだけに関するものである。だから単なる事例判決であって大して重要ではないかもしれないし、もしかしたら重要なメッセージが隠されているかもしれない。わかりにくい、位置づけが難しい判決というのが正直なところである。

 

【修正2020年12月17日、2021年11月21日】