クロスライセンス契約に係る職務発明の相当の利益の考え方 | 知財弁護士の本棚

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企業法務を専門とする弁護士です(登録30年目)。特に、知的財産法と国際取引法(英文契約書)を得意としています。

ルネス総合法律事務所 弁護士 木村耕太郎

 職務発明規程を作るに際しては、まじめな会社は、相当の利益(相当の対価)の算定方法に関する裁判例の考え方になるべく合致するような規定を作ろうと思うようである。


 しかし、少なくとも包括的クロスライセンス契約に関しては、裁判例の算定方式に沿って規定を作るのは無理がある。


 日立製作所事件控訴審判決(東京高裁平成16年1月29日判決)は、包括的クロスライセンス契約における相当の利益とは、「相手方が保有する複数の特許発明等を無償で実施することができること、すなわち、相手方に本来支払うべきであった実施料の支払義務を免れることである」が、包括的クロスライセンス契約における対価の「バランス」から、「相手方が自己の特許発明を実施することにより、本来、相手方から支払を受けるべきであった実施料を基礎として算定することも、原則として合理的である」としている。


 すなわち(1)相手方が自社の特許発明を実施することにより、本来、相手方から支払を受けるべきであった実施料と、(2)相手方が保有する複数の特許発明等を無償で自社が実施することにより、本来は相手方に支払うべき実施料のいずれで算定してもよいが、本来は後者であり、前者で算定するときは不確実性を考慮して減額調整するという。


 実際に裁判実務で採られるのは、私の知る限り、専ら(1)の算定方式である。なぜなら、(1)の方式は当該裁判で主題となっている職務発明に関する特許1件の実施状況のみを確定すればよいのに対して、(2)の方式は、当該裁判で主題となっている特許の実施状況は関係がなく、相手方の保有する多数の特許群の実施状況を確定しなければならず、算定の手間がかかりすぎる(と思われている)からである。


 しかし、裁判例の方式(相手方が自社の特許発明を実施することにより、本来、相手方から支払を受けるべきであった実施料)は、裁判だからこそできる算定方式である。


 職務発明規程を運用するとき、自社(A社とする)ではなく、クロスライセンス契約の相手方(B社とする)の売上を調査して確定することは不可能である。


 職務発明規程の運用としての補償金の算定は、自社製品の売上をベースにするしかない。そのとき、算定の基礎とするのは、当該職務発明の実施品の売上ではなく、あくまで、クロスライセンス契約における相手方(B社)の特許群の実施品の売上である。同じ技術分野であるから、たまたま同時に当該職務発明の実施品でもあるかもしれないが、それは理論的には関係がない。



 これに仮想実施料率を乗じる。仮想実施料率というのは、クロスではなく、普通のライセンス契約だったら何パーセント払っていたかということである。


 まとめると、


自社(A社)製品における相手方(B社)特許群の実施品の売上×仮想実施料率×自社(A社)特許群における当該職務発明に係る特許の価値割合

 

という式になるはずである。


 これに近い算定式を持つ規程を1社だけ見たことがあるが、あまり一般的ではないと思われる。


 「自社実施に関して実績補償を支払っているのだから、クロスライセンスで現金の出入りがなければ、重ねて補償金を支払う必要はないのではないか?」という疑問を持たれる方もいる。


 しかし、クロスライセンス契約に基づく相当の利益の算定は、あくまで相手方(B社)特許群の実施品の売上に基づくのであり、当該職務発明に係る特許の実施品の売上ではない。両者の範囲は、たまたま重なるかもしれないが、それは関係がない。自社実施に基づく実績補償では評価しきれていないのである。



 

 「クロスライセンス契約については、差額調整金が入れば補償しているが、差額調整金が入らないときは、補償しなくてよいのではないか?」という考えで運用している会社もある。



 例えば、自社(A社)はクロスライセンスの相手方(B社)から差額調整金として2000万円もらったので、普通のライセンス契約で2000万円の実施料収入があった場合と同じ扱いでよいではないかという話だが、それは違う。


 理論的に言うとこうだ。B社の特許群のA社における実施品の売上を調べ、仮想実施料率を乗じると、実はA社はB社に1億円を支払うべきであった。ところがB社はA社の特許群の実施により、1億2000万円を支払うべきである。よって差額調整金として2000万をB社は支払う。


 A社の特許群(職務発明に係る特許が含まれる)の価値は2000万円ではなく、1億2000万円なのだ。だからこの場合の算定は、


(自社(A社)製品における相手方(B社)特許群の実施品の売上×仮想実施料率+差額調整金)×自社(A社)特許群における当該職務発明に係る特許の価値割合

*自社(A社)製品における相手方(B社)特許群の実施品の売上×仮想実施料率=1億円


となるはずだ。


 逆に、自社(A社)が相手方(B社)に差額調整金として2000万円支払った場合はどうなるか。


 B社の特許群のA社における実施品の売上を調べ、仮想実施料率を乗じると、実はA社はB社に1億円を支払うべきであった。ところがB社はA社の特許群の実施により、8000万円を支払うべきである。よって差額調整金として2000万をA社は支払った、ということだ。


 A社の特許群(職務発明に係る特許が含まれる)の価値は8000万円である。だからこの場合の算定は、


(自社(A社)製品における相手方(B社)特許群の実施品の売上×仮想実施料率-差額調整金)×自社(A社)特許群における当該職務発明に係る特許の価値割合

 *自社(A社)製品における相手方(B社)特許群の実施品の売上×仮想実施料率=1億円


となる。


 理論的に言うと以上のとおりである。


 しかし、そもそも裁判例の算定方式を踏襲しないと直ちに不合理ということでは、まったくない。このとおりの規定にしないといけないという意味ではなく、あくまで、裁判例の考え方に近い規定にしたいならこうなるということである。