太極拳の教室に行くつもりが時間を間違え、ヨガ教室を受講してしまった。
さて、キケロは共和制ローマ末期の人である。塩野七生さんの本では「弁護士」とされている。実際、訴訟における当事者の代理人を務めることもあったから、弁護士といって間違いではない。法律学を学ぶ者としてはキケロの名前を知らないともぐりと言われてしまう。
しかしどうも「弁護士」というより「弁論家」と言った方がよいようである。当時の弁論家というのは「政治家」と同義であるという説明もあるが、当時は「弁護士」と「政治家」が職業として分離していなかったようなのである。元老院議員がみな弁護士という意味ではない。(元老院議員というのは、あれは社会階級であるから、元老院議員イコール政治家ではない。)
キケロの信奉者は現在も結構多い。しかし立派な著作を残しても行動が伴わない人はちょっとどうか、と思う人も多いのではないか。カエサルとポンペイウスが内戦をしたとき、キケロはポンペイウス派(体制維持派)であったのだが、その優柔不断さから、両派の人から敵視されるような事態になった。
私の好きな勝海舟も佐幕派と倒幕派の両方から命を狙われたが、彼は自分の信念を貫いたからであって、全然意味が違う。
キケロは、カエサルの政敵と説明されることもあるが、政治的信念は違っても、個人どうしのレベルでは、お互い名文家として名高いこともありそれなりに尊敬しあうような関係であったらしい(そうでない部分ももちろんあると思うが)。
ちなみに、立派な著作を残しても行動が伴わない人としては、ルソーが有名だ(同列に並べるとキケロに失礼かもしれない)。著作を残すということは行動にも責任を伴うのか、などと思うと気が重いので、自分は気にしないこととする。