サッカー審判KenKenのブログ

サッカー審判KenKenのブログ

サッカー3級審判KenKenの審判経験記

今回は審判の話ではないです。毒を吐きます。反対意見もあるでしょうがご海容のほどを。

 

なんだかサッカーという競技がアメリカに擦り寄っているように感じるのは私だけだろうか。

アメリカで開催するからということだからではないだろうが、アメリカにおもねってサッカーの文化を歪めているようにも感じる。(個人の感想です)

 

1.アメフトやバスケのように競技以外の「ショー」が入り込んできた。

その最たるものが決勝戦でのハーフタイムショー実施。3組のアーティストのコンサートを行うためにハーフタイムを延長する。ハーフタイムが30分くらいになるのではないかと言われている。

 

2.アメフトやバスケのようにクオーター制化。

ハイドレーションブレイクを強制的に入れることで実現。今までも給水タイムやクーリングブレイクはあった。が、それらは基準となる暑さを超えた場合に実施するものだった。今回のように屋内で、空調もあるスタジアムで行う試合でもブレイクを入れる必要があるのか。FIFAは、公平を期すために全試合で採用と言う。では世界中のリーグで「公平のために天候に関係なく飲水タイムを入れる」ということが理解されるだろうか。飲水の名を借りたハーフタイムの増加だ。

一部の報道にあるように「TV中継でCMを入れられるように」というのが理由というのも理由の一つかも。

 

3.TV中継時にどうやってCMを入れるか、はスポーツ中継にスポンサーを呼び込むために大切な要素だ。

アメフトならばクオーターごとにCMを入れられる。野球ならば各回の表裏、チェンジのたびにCMだ。

サッカーは試合前後とハーフタイムだけ。だからCM機会増加のため無理やりハイドレーションブレイクを入れたのだろう。

サッカーは45分「ハーフ」で行うスポーツ、が変わってしまったらサッカーらしくない。

将来はアメリカではローカルルールで「25分クオーター」で4クオーター実施。ピッタリ25分で終了。コーナーキックが宙に浮いている最中に時間が来たら容赦なく試合終了。バスケのブザービーターみたい。

 

冗談はさておき中間案としてこんなのはどうだろう。

試合中に画面の枠にCMを設定する。地震情報などでメイン画面の周囲に情報を出し続けている、あのやり方だ。

もちろん通常のCMは放送できないので枠用のCMを新たに作らなければならない。その分TV局がスポンサーに課すCM代も安めに設定せねばならないだろう。

しかしやり方次第では試合中とっかえひっかえ流せるのではないか。量で稼ぐというイメージ。

または、時々CMをメイン画面に流し、試合は小さい画面で大画面の4分の1くらいで放送を続けるなんてのもありだ。

CMは主音声、試合は副音声、得点シーンが出たら、主画面と副画面を瞬時に入れ替える、なんてのも検討できるかもしれない。

 

4.アメリカ化の話ではないけどFIFAは参加国を32から48に増やした。これは今まで出場することができなかった国にも門戸を広げるという意味がある。

FIFAとしてはアジア枠を8.5に広げ、中国が出場できるように配慮したのだろうが、中国が弱くて予選敗退したため当てがはずれた。

もし中国が出場していたら14億人がサッカーをTV観戦し、旅行し、金を使うはずであった。しかし自国が出場しない大会に中国人が大挙して押しかけることはない。FIFAは当てがはずれた。代わりに人口16万人しかいない国が初出場となったりした。

 

5.FIFAがアメリカに、特にトランプにおもねっていることの証として、FIFA平和賞の設定と第1回目の受賞者がトランプであるということ。ノーベル平和賞が欲しいと言っていたトランプにノーベル財団が上げないよと言っていたため、じゃあFIFAが上げますよということにして無理やり設定し授与した、と勘繰られても仕方がない。

そして前回のクラブワールドカップ(米国開催)表彰式でのトロフィー授与をトランプが行ったこと、さらには優勝チームのトロフィーリフトにちゃっかり参加していたこと。

今回のW杯もトロフィーの授与をトランプがやるという話がある。FIFA会長がやるのなら誰もが理解できる。でも3か国共済なのにそのうちの1国のトップだけがやるというのは不自然だ。忖度しているのか。

 

アメリカ化は今回の大会だけの実験ということにしてほしい。

 

スローインやゴールキックのカウントダウンもアクチュアルプレイングタイムの増加には資することだとは思う。時間にうるさいアメフトみたいな感じではある。

でも今回の主審たちは厳密にカウントダウンしていない。1分間場外で待機というのもかなり短めで入場を認めている。やはりアバウトな部分、人がジャッジする曖昧さを残したくなるのではないだろうか。